記E6.怪物番長
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神良と翼、折り重なって見つめる一時。
「そこまでにしとけよ、吸血鬼」
翼は襟首を掴まれて、ひょいと軽々宙に浮かされ、ぽすっとソファーに投げ捨てられてしまった。
光流の仕業だ。
とても“良いところ”を邪魔されて翼はむっとするが、光流に軽く睨まれると黙るしかなかった。
光流の目つきは殺気を隠していない。
ついに狩人としての本性を垣間見せ、翼の親戚のお姉さんという小芝居を放棄したのだ。
「僕の嫌いな四文字熟語は婉曲迂遠だもんでさ、単刀直入に言うけど」
「ふむ?」
ダンスの流れで転んで床に仰向けになったままの神良は、きょとんとしている。
それを光流が、見えない刃を喉元に突きつけるが如く、苛立ちながら見下ろしている。
「僕は君を殺しにきた」
「ほう」
ついに恐れていた状況がはじまったと焦る翼。
緊迫の局面に包まれたリビング、音々や長島も騒然としている。
しかし当の神良は余裕綽々というかまだ立ち上がろうともせず、薄っすら笑っている様子だ。
「ひめを殺したくば、それこそ単刀直入に不意打ちでも一太刀浴びせればよかったのではないか? そうせなんだ理由は何じゃ。正々堂々がそなたの流儀かや?」
「闇の狩人としてはそうしたいのが山々だけど、僕は仮にも翼の保護者なんだ。ロクに確かめもせず問答無用に喰い殺したんじゃ理不尽だ。無駄に恨まれるのはやだもんね! だから吸血鬼、お前がボロを出すのを待ってやってたんだよ、わかれよつるぺたババア!」
「左様か。それでひめの悪事の尻尾が掴めず、困っていると?」
剣呑なやりとりに翼は戦々恐々とする。
神良と直接は、たった一時の語らいしかない関係だ。けれど音々も勝利も、神良を深く慕っている理由がもう翼には理解できてしまった。翼より、彼女らから神良を奪ってしまうことが耐え難い。
かといって、もし光流が返り討ちに遭って死んでしまうだなんて翼は想像したくない。
両者は正真正銘、人智を越えた怪物だ。
ふたりとも翼には優しいとわかっていても、その逆鱗に触れる言動をしてしまったらと思うと恐怖心が湧く。潜在的に、生物としての本能が命の危機を訴えてくるのだ。
「翼と契りたきゃ、保護者の僕を納得させてみろよ吸血鬼! 翼、君もだ! 君が望んでも、家族に申し開きくらいできなきゃ単なる親不孝のバカ娘だぞ!」
「……ずるいです」
家族。
翼の弱いところを、光流は残酷で親切なことに容赦なく突いてきた。
何不自由ない裕福な家庭に、厳しすぎず甘すぎない両親は文句のつけどころがない。翼が自分から言いだした芸能活動も、子供の戯言と一蹴せずに応援してくれた。子役によくある、夢見がちな親の期待を過度に押しつけられたこともない。
不満があるとしたら、五つ下の妹――小虎のことだ。
翼の芸能活動のはじまりは、小虎の妊娠出産育児という飛田家のより大きな重大事と重なった。
こどもは“手が掛からない”ことをしばしば褒められる。
四六時中ずっと世話せずに立派に育つのならば、こんなに都合の良いことはないと翼は考えた。
両親にわがままを言って困らせ、構ってもらおうとしても嫌われる。
いや、むしろ最初は、そのわがままのつもりで芸能活動をやりたいと言い出した気さえする。
結果として、幼稚園と芸能活動という二つの家庭ではない居場所ができてしまった翼は、そのまま産まれたばかりの妹から遠ざかるように家や両親から離れる時間を好んだ。
両親の愛情は等しく注がれた。
世間に愛される天才子役ともてはやされるようになっても、けして、だからといって両親は妹より翼を溺愛してくれるわけではなかった。努力も遠慮も才能も、翼と妹に大差をつけることがない。
時には、本当は家族に愛されてないのではないかと苦悩さえするが、現実には他の家庭と比較しても十分すぎるほど恵まれていて、友達に嫌味や自慢を言っていると誤解されるほどだった。
つまり、実感として親の愛情を受け取っているというのに、翼は不満なのだ。
(……そうか、私、もう家族だけじゃ物足りないんだ……)
十一歳の今、翼は妹の小虎にきちんとお姉さんとして接することができている。
もう嫉妬はない。嫉妬するほどに家族の愛に飢えてもなく、今以上には強くも求めていないことに気づいたからだ。
『将来の夢は花嫁になってママみたいな素敵なお母さんになるの』
幼稚園や小学校では度々、よく聞く話だ。
平凡な夢だと思っていたけれど、よくよく考えると、それはつまり、今ある以上の人間関係や愛情を求めたいという願望なわけで。
人生に新たな出逢いを求めることは誰にでも通じる願望だと翼は知っている。
翼にとって、その幸運にも出逢うことができた相手こそ、音々や長島といった芸能関係者であり、そして今ふたりで対峙する光流と神良でもある。
吸血鬼である神良もまた、同じ願望を抱いているのだと翼は直感している。
だからこそ仲良くなりたい。
――そのように、もし両親に真実を打ち明ける日が訪れたら、翼はちゃんと言葉するだろう。
しかし光流は異質だ。
岩田光流という人間は、そうした願望を拒絶して生きようとしている気がする。
高校への進学をあきらめて、十五歳にして闇の狩人という自ら他人との交流を遠ざけるような日陰の仕事を選んだ生き様は、貪狼という異名と裏腹に、貪欲どころか禁欲的にみえた。
「ずるいです。もしお父さんお母さんが神良と私の関係を許してくれたって、光流お姉さんが神良が生きることを認めてくれなくちゃ無意味じゃないですか」
「詭弁で悪かったね! そうだよ交際どーこーじゃない! こいつに生かす価値があるか否かだ!」
「……神良のなにがそんなに気に入らないんですか」
「こいつは強すぎるのが悪い。最悪だ」
「……え?」
光流は最強を豪語する。その光流の選ぶ表現としては違和感しかなかった。
翼が遭遇した二度の事件でも、苦戦したという吸血鬼の老紳士にも、そこまでは言わなかった。
一瞬、神良が動揺を隠すように目を背けた。
「か、過大評価じゃ。ひめは一介の吸血鬼に過ぎぬというのに」
「あーあーやだやだ、あのなぁ! “弱そうに見せようとする”闇の住人ほど性質の悪いもんはないんだよ! 白を切るんだったら演技力をもっと磨けよな三流役者!」
光流は怒気を露わにして神良を睨みつける。
その恐ろしい形相に、翼は「ひっ」と思わず上擦り声を漏らしてしまった。
しかし一方で、神良は未だに臨戦態勢どころかダンスで転んで翼に押し倒されてしまった時のまま仰向けで、立ち上がってすらいない。
恐ろしくて身動きできない、あるいは無抵抗を示している。そう解釈もできるが、翼の見立てが正しければ、単純に演技力不足で弱そうに振る舞えないのだ。
なにせこの状況下で、神良は嫌がるどころか興味深そうに微笑んでいた。
「本当に、ひめは弱いのじゃ! 弱点も多いし、あっさり死ぬぞ! なぁ音々!?」
「え、ええ、確かに日光を浴びて死んでましたけど……」
「はぁ!? 死んでたら今こうして生きてるわけないだろいい加減にしろよ!!」
とうとう光流は神良の胸ぐらを掴み、無理やり立たせて乱暴に揺さぶった。
小学五年生の翼より背丈の低い神良はやはり体重も軽いのか、光流の怪力を加味してもなおぬいぐるみのように軽々と宙に吊り下げられる。
が、無抵抗を続けるかに思われた神良は不意に「よさぬか!」と乱暴に光流の手を振り解く。
それは神良の、大正時代の女学生のような和洋折衷の着物が乱れたせいにみえた。
「……すまぬ。この着物はひめの愛する元眷属小春の仕立てた一張羅、この建物もまた愛しの音々の母君が遺してくれたものじゃ。頼む。衣服と場所を改めさせてくれぬか」
「……ちっ、調子が狂うな」
場所は近隣の公園、人払いの結界とやらを施して待つと光流は言い残して高木邸を出た。
神良が約束を守らず、このままアイドルや眷属を置き去りにして逃げるという想定は光流にはないのだろう。そこまで神良の人となりを理解しつつ、対決は避けがたいのだ。
「はぁー……。さっぱり、さっぱり」
脱衣所で衣装箪笥を見繕う。音々と翼が、神良にちょうどいい着替え選びに手間取っているところに、風呂上がりの勝利がのほほんと帰ってくる。
事情を説明すると「……ええ!? うええ!?」と二度も大げさに驚いた。ぱさり、と湯上がりの火照った裸身を隠していたバスタオルを取り落すほどに。
「え、え、ハンターって実在するんですか! 私たち、退治されちゃうんですか!?」
「いいから拾って、タオル」
「ふわわ! いや、皆なんで落ち着いてるんですか! 皆殺しにされちゃうかもなんですよ!」
「ほう、これは眼福……死ぬ前によきものが見れたのじゃ」
「ふわ……! やっ! 神良ちゃんのえっち!」
あわててバスタオルを拾って巻く勝利。音々や翼に見られるのは無視できる小事でも、神良にエロい目で見られるのは無視できない大事らしい。
翼は淡々と、神良の要望である“動きやすくて破けてもいい、適度なサイズの服”を探す。
「……やっぱり、私のしか手頃なものがないですね」
「翼のか。西洋寝間着は嫌いでないぞ。そなたのお下がりというのも悪い気がせぬ」
くふふ、と神良は朗らかに笑う。
幽霊騒動でも一度使われた、白っぽいワンピースのパジャマだ。スカート裾にフリルがついており、神良の美貌と合わさるとなんでも似合うもので簡素な作りがかえって神秘性を醸していた。
着替える間、音々と勝利は光流について色々と翼を質問攻めしてきた。ふたりとも、いかに光流が強大で凶暴かを説明されるとさすがに不安そうにした。
「私、小春おばあちゃんから神良の武勇伝を聞いたことあるのよ。悪い妖怪や幽霊を懲らしめることが何度もあった、という風にね。勝利ちゃんは実際に戦ってるの、見たことあるのよね」
「う、うん。とっても強かったよ。でも、その、これからどう戦うのかな。弱いと負けちゃう、強いと危険だってみなされちゃうなんて……うまく引き分けたらいいのかな」
「わかりません。光流お姉さんも、どこまで本気で仕掛けてくるか……」
翼は言い淀む。
「――けど、全力は出さないはずです。あの人は、何かを確かめたいようですから」
「ふむ、全力を出すとなぜ確かめられぬのじゃ?」
悪夢のような光景がフラッシュバックする。翼は震えた。
仕留めた獲物を、絶命した敵を、一心不乱に食い尽くすおぞましい光流の姿を。
翼は知っている。全力の光流にとって、悪しき闇の隣人を退治するということは目的ではなくて、手段にすり替わる。空腹を満たすということが目的で、獲物を殺すのは手段なのだ。
「全力の光流お姉さんは戦いや殺しを楽しむような心さえ失います。……本人も、とても嫌ってるようですし、見極める目的のうちは選ばない戦い方です」
「……難題じゃのう。翼よ、そなたが悲しまぬ結末のためには勝利も敗北も許されぬわけか」
不安がる翼、そして音々や勝利を安心させようというつもりか。
神良はわざとらしいほどおだやかに何度も笑ってみせる。
「なに、案ずるな。女は口説き慣れておるのじゃ!」
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!
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