記E5.飛田ツバサ and Future Stars Project mirai
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神良が命じると、すぐに音々がリビング中央のテレビモニターに映像を流す。
それは翼の新曲「マロンドロン」のプロモーションビデオ。
ポップでキュート、そしてスローテンポな曲調に合わせて、紅葉樹の並木通りを舞台に、マロンブラウンのドレスを纏い、日傘を手にしてステップするように舞い踊る。
日傘を開くとPR商品であるマロンドーナツの意匠が凝らされていて、映像の中の翼は、軽やかに歌いながら傘を軸として優雅に、そして元気にダンスする。
実物の紅葉をたっぷりと散らせる演出、さらに傘が頭上に開かれる動きにあわせて、CG合成で描かれる樹上のリスがイタズラに栗の実をおっことす。ぽむっと日傘に跳ね、そのドーナツの意匠がより華やかに飾りつけられる。
最後は並木通りの通行人やお店の人までダンスに加わり、フィナーレを飾る。
天真爛漫を絵に描いた晴れやかな笑顔を、確かに煌めいてみえる。
――あたかも他人のようだ。
翼当人の実像とは掛け離れた、PVの設定と演出に基づく翼であって翼でない別人だ。
とても聞き分けのよい翼は、昔から自分のキャラクター性を望まれたように近づける。そこに強烈な個性や自分らしさがない。何を塗りたくってもいいホテル食パンみたいな演技者だ。
深み、凄み。
そういった“本物”の芸能者が魅せる“深さ”がまるでない。年相応だとしても、浅い。
この輝かしい映像美が、翼には苦痛だった。
「ドーナツを食べてみたい。そうひめは初めて思ったのじゃ」
「……ドーナツ?」
翼は目をまんまるにして、きょとんとする。
この二百何十年と生きる高貴なる吸血鬼とやらは、何を言い出すのかと思えば、ドーナツ販促CMタイアップ曲のPVをみた感想で、ドーナツが食べたいと述べたのだ。
(何ですかそれ。もっとマシな感想ないんですか? 小学生の読書感想文ですか)
学校の同級生だって、もうちょっと細かい点を触れてくれる。曲に踊りに歌と見どころは山程あるわけで、ドーナツが食べたくなるのは企業広告なんだから当たり前ではないか。
軽い失望感をおぼえつつ「……それだけですか」と翼がこぼすと、神良はまだ映像のリピート再生されているテレビの方を見たまま返事する。
「うむ」
「うむって……、そんなの、何も特別なことは」
「吸血鬼がドーナツを食べたくなるのじゃぞ? 血の一滴も宿さぬ小麦と砂糖のかたまりをじゃ」
「……え?」
一瞬、神良の言っている意味がわからなかった。
ドーナツは単なる菓子だ。生き血なんて何ら関わりない。黒魔術の儀式に捧げる供物ではない。
ドーナツは食べたければ好きに食べればいいだけで、そこに吸血は何の関係もない。
――何の関係も、ない。
「待って、吸血鬼は血以外は食べられないということ?」
「味覚はある。食欲がないのじゃ。空腹になっても人間の食物を食べたいと自然には思わぬ」
「それって、意味がないじゃない」
翼はめいっぱいに想像力を働かせる。
食べられないものを、食べたいと思わないものを、食べたくなる。それはどんな心境なのか。
(観察しよう、神良を……)
ひとしきり一挙一動、眉の動き、頬のゆるみ、目の輝き、口の歪み、観察眼を働かせる。
(……楽しそう)
翼自身の目を疑うほどに、神良の情緒はシンプルにみえた。プロの洞察姿勢を感じさせない。
分析と研鑽がために鋭い目つきをするでもなく、ただ夢中になっている。
そして神良のいう“食べてみたい”とは、つまり、食欲からなる条件反射でないと翼は理解する。
「憧れる、ということですか」
「そうじゃ。きっとそうじゃ。こうも素敵なもの、憧れるに決まっておる! 現実に食べたところで、けしてひめの空腹は満たされぬと理屈でわかっていても恋焦がれてしまうのじゃ!」
映像が、二度目のフィナーレを迎える。
神良はすくと立ち上がって、翼の元に近づくと、恭しく片膝をついて頭を垂れる。
「翼よ、ひめと踊ってはくれぬか?」
「……はい」
翼は断れなかった。
それは舞踏会での、王子様の誘い文句を彷彿とさせた。
けれど手を引かれて一緒に立ち上がってみればわかるが、神良は吸血鬼の姫君。背丈は翼より一回り小さくて、それにいざ踊ろうとすると自然に楽曲を熟知する翼がリードする側になってしまう。これではどちらがシンデレラか白黒つかない。
「私、社交ダンスなんて知らないですけど……」
「ひめも知らぬが、よいではないか。心の赴くままに、音楽に身を委ねれば今はよい」
「高貴な吸血鬼ってそれでいいんですか?」
「知らぬのか? 吸血鬼は音楽にも弱いのじゃ、心打たれてしまうからな」
元々がマロンドロンは日傘をダンスに取り入れているので、翼は日傘裁きを応用するイメージで神良と踊る。スローテンポな曲調も合わせて、ぎこちなく、もたついたり、時に足を踏んでしまったり、うっかりソファーにぶつかりそうになってしまったり。
傍目に見れば、拙くて微笑ましいお子様同士のお遊戯がいいところだろう。
けれど、これは今、まぎれもなくお城の舞踏会でのワンシーンだ。
聴衆の見守る中、ありもしない豪奢なシャンデリアの下で、素敵なダンスをふたりで踊っている。
(おまじないは切れてない。不自然に感情が昂ぶったりもしない。私は、冷静なまま……)
それでも翼は魅了されている。
それ以上に、翼こそが神良を魅了してしまっているのかもしれない。
考察する。
神良という吸血鬼は、アイドルに憧れている。高木音々の師事を受ける以上、同じ教え子にして国内有数のアイドルである翼は、必然的にお手本となる。もし本気で神良にアイドルを志すつもりがあるのならば、飛田翼という天才を目標にし参考にするのは不自然ではない。
――悠久の時を生きる吸血鬼という超常的な存在ゆえに翼は神良を誤解していた。神良はきっと、ごく単純に、アイドルのたまごという立場から翼のことを見上げているのだ。
もし翼が逆の立場だと考えたら、雲の上の大目標とこうして手を繋いで踊ることができたら、たぶん、純粋にはしゃいでしまう。舞い上がって、嬉しくてたまらない。
(……そう考えると、くすぐったいです)
ああ、なんて言葉巧みであることか。
これだけ特大級の好意を向けられて、裏表なく尊敬を言葉にされて、敵意で返せる理由が翼にはない。たかだか十一歳の小娘であると自覚のある翼は、否応がなく抗えない。
しかし一介のファンや同級生、芸能界の様々な人々、好意と賛辞を贈られてここまで胸躍る相手なんて滅多に出逢うことがない。
――特別。
そう、特別な相手だと感じているからこそ、こうまで翼は心の躍動感に流されてしまっている。
「神良様は……私のこと、大好きなんですか」
「うむ!」
屈託のない、可愛げのある笑顔。
曲が終わりに近づくに連れて、少しずつ、ふたりの踊りは呼吸が重なっていく。
「ここ、もっとゆっくり、足はさっと引いて」
「こうじゃな」
「まだ甘いです、ダメダメで……あっ」
三度目のフィナーレを綺麗に迎えたテレビモニターと裏腹に、神良と翼の初めての踊りは足がもつれて無様に転倒するという結果に終わってしまった。
下敷きになる神良。いや、さりげなく、翼をかばっての下側だ。
「くふふふ、踊りも西洋のものは慣れぬのう! じゃが楽しかったぞ」
上から覆い被さる形になった翼は動じることなく、この密着した体勢のまま、神良を見つめた。
翼はこの胸の高鳴りに今更、疑問を抱かなかった。
「汗、流さないんですね」
「吸血鬼ゆえにな」
「……鼓動はゆっくりと聴こえるんですね」
「そうでなければ、白木の杭で心臓を貫くなんて弱点は成り立たぬからのう」
「わかりづらくて困るじゃないですか、私のこと、本当に大好きなんだって」
翼は演技している。
少し、気取っている。脚本も何もないけれど、本当に憧れられていると知ってしまった以上、より好意を抱かれやすい己を演出したくなる。
飛田翼とは、そういう賢しい性分なのだ。そんな自分が嫌いだけど、やめられない。
一流は選ばれるだけではない。時に、選ぶ側なのだ。
「熱烈オファーに翼、降参です。なってあげてもいいですよ。――貴方の眷属に」
さぁ心して演じよう。
素敵な、神良の望むアイドルを。
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