記E4.スタアラスカル2《ツヴァイ》
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リビングは高木邸でも一番に広々としている。
白を基調とした格調高いモダン洋風の室内は、何といってもソファーが印象的だ。神良を含めた六名も集まって、なお座席が余っている。壁掛けの大きなテレビモニターを中心として凹の字を描く配置のソファーがあり、ローテーブルをぐるっと囲んでいる。
そのソファーには翼の贈った寿司クッションが並んでいて、まるっきり、例の猫動画と同じ背景が完成する。動画に登場する飼い主――神良が悠然と座ってくつろげば、猫がいない以外は完璧だ。
「あのー、今更ですけど、まさか、動画に映っている猫の“ねねすけ”というのは……」
「うむ。そなたの上司、音々じゃ」
借りてきた猫のように席の端に座っていた長島が、その隣の翼も、音々を見やる。
ちょうどお茶を汲んできた音々は手早く机に緑茶を並べると、お盆で顔を隠してしまった。
「な、なによ、神良様にどうしてもと頼まれたら断れなかったのよ……」
ダンボールに頭から滑り込んだり、神良の手の上のカリカリキャットフードを食べたり、膝に乗っかって撫でられてうとついたり。変身できるにしたって、音々はいかなる心境で猫を演じたのか。
なあごなあごと鳴いて甘える猫なで声も、猫じゃらしにパンチを繰り出す仕草も――。
翼の脳裏には、路地裏でのネコミミ音々で再現されてしまう。
――ある意味、表現者として尊敬すべきかと翼は己に言い聞かせておくことにした。
「ひめの人気獲得の一策に猫を可愛がるさまを撮りたいと勝利が申してのう。ひめと戯れる猫の役をできるのは他ならぬ音々以外に居らぬ。ま、本物の猫とてひめにはすぐに懐くがな」
吸血鬼――神良は正座している。テレビの前に座布団を敷いて、ちょこんと。
のんびりと湯呑で緑茶をすするさまは、ハイソな豪邸リビングから完全に浮いている。
一方の音々は眷属という立ち位置を重んじるためか、一歩後ろ隣にこれまた正座する。
「ソファー、使わないんですか神良……様」
翼は言い方に迷うが、やはり様が正しいだろうと考える。目上で恩師の音々がそう呼ぶ以上、最年少の翼もそれに習うべきだ。神良も様づけに気を良くしたらしい。
「ひめは江戸時代の後半くらいに生まれ育ったものでな、洋式の家具はどうも落ち着かぬのじゃ」
「私たちも正座しましょうか……?」
「なに、好きにくつろいでいるだけじゃ。どうしても気になるならば、こうしよう」
座布団を、ソファーの上に敷いて正座する。そうして神良は凹の字の右端に移り、音々は何も言わずに背もたれの後ろにまわって佇むという配置になる。
(――和室ください)
ではソファーの中央に座るのは誰かといえば、光流だ。我が物顔でふんぞり返っている。
――ちなみに勝利は“汗を流すため”に入浴中。と、翼と神良でごまかしておいた。翼と吸血鬼との初めての共同作業が、まさか勝利のおもらしを隠蔽するための小芝居になるとは……。
光流のような害獣にバレては一生の爪痕となるところだった。
「そろそろさぁ! つまんねーこと言ってないで本題に入れよ! 事情は電話で説明済みだろー」
光流はギターケースを傍らに置いて、肌身離すことがない。
その中身が日本刀をはじめとする仕事道具だと知っている翼には一触即発の局面にみえている。
――ここからは判断を誤れば、惨劇に繋がりかねない。
翼は手の汗ばみを、そっと服の袖で拭った。
「本題か。用件は二つ。同じ舞台に立つ芸能者、共演者としての顔合わせ。そして吸血鬼と眷属としての契約を望むか否か、であったな。さて――」
神良の妖しくも美しい魔性の眼差しが、翼へと注がれる。
翼もまた息を呑み、じっと見返した。
(――まやかしは、私には通じていないはず、です)
寿司九重に赴く直前、翼と長島は魅了の魔眼に対抗する手段を、光流に与えられていた。いざという時、不可思議な力で正気を失わされては光流の足手まといになる、と。
少々、その時のことを振り返る。
これから寿司九重を探そうと自動車を停めた駐車場でのことだ。
「ねえさぁ、眉唾ものって知ってる?」
「……いえ、長島さんはわかりますか?」
「信用できない、嘘くさい、みたいな意味だったっけ。たしか、きつねやたぬきに化かされないようまゆげにツバをつけるというおまじないが昔に流行った……で、合ってる?」
「そう、だからおとなしくしてろよ!」
翼は瞬きする間もなく、ぺろっと光流の舌で眉毛を舐められてしまっていた。
まず右の眉を、さらに翼の一瞬の抵抗も許さず肩を掴まれて、左の眉をぺろりと舐められる。
(――は!?)
翼も不意のことでドキッとするが、断じてときめきではない。命の危機を感じたという意味でだ。
光流の舌は、貪狼の舌であった。
犬に似た長めの舌にまとわりついた唾液が眉に絡まり、ほんのり生臭い。匂いはじきに消え失せてしまったが、今のは確実に、闇の領域のまじないだった。
「え、え、あたしもしないとダメなのかな!?」
「当たり前だろ、由緒正しいおまじないなんだからな! ……僕にされるの、そんなにやだ?」
「そ、そんなことないよ!」
光流が不意打ち気味にしおらしく、そしてあざとく振る舞うと長島はころっと騙された。
どうも長島は狼の舌を認識できてないらしい。
つまり、今日出逢ったばかりの妙にかっこかわいい美少女に眉根をペロペロされるわけで。
「背、高いよね糸衣ってさ。僕よりもさ。ちょっと屈んでほしいな」
「は、はい、こう、かな」
さらっと下の名前で呼んだ。しかも呼び捨て。密着状態で、ちょっぴり甘い声色で。
光流のやりがちな、つい勘違いさせるやつだ。
「痛くしないからじっとしてなよ」
「んっ、くすぐった……」
丁寧に眉をなめる行為は、まるで長回しのキスシーンみたいだ。
くすぐったそうに恥じらう仕草、逃げたそうにのけぞる糸衣の姿勢を、少し覆いかぶさるように光流が迫る。目を閉じる糸衣の息遣いと微かな舌の水音が、耳まで翼を釘付けにする。
(は、ハレンチすぎませんかこのおまじない……!?)
ドラマや漫画のキスシーンなら翼も見慣れている。が、眉を舐めるというシーンは見慣れない分、第三者として間近で見るともう最後まで見ないと後悔する気がしてしまった。
「ん、おわりっと」
「う、うちの犬より凄かったかも……」
ぽーっと頬を赤らめて惚けている長島を眺めて、はたと翼は気づく。
――今の、長島とまったく同じことを翼はされていたのでは、と。
狼の舌にみえるのは翼の霊視のせいで物質的には純粋に、光流の艷やかな少女らしい舌でぺろぺろされてしまっていたのだ。長島視点では、つまり自分が“ああだった”わけで。
「私もやります! やり返します!」
「わ、ちょ、やめろよ僕はいいんだって!?」
光流を無理やり屈ませ、翼も勢い任せに舌で眉をぺろっとなめてみる。
でも、なんだか全然しっくり来ない。
左右とも何度かちろちろ舐めてみたが、舌使いが下手くそなのか光流はくすぐったがるばかり。
終わってみて、長島の反応をみるに、どうも翼がやっても子犬がじゃれてるような絵面らしい。
年齢差があるとはいえ、色香のある仕草で光流のような害獣に翼は完敗してしまったのだ。
(これでまじないが嘘だったら、恨みます……!)
そして今、現実に神良と対峙してみて、翼はおまじないの効力を実感していた。翼自身の変化がないだけでなく、一般人の長島がこれといって神良に強い反応を示さないからだ。
(本当でしたけど、それはそれで恨みます……)
魅了の魔力が通じないおかげで、翼はとても冷静に神良の容姿外見を確かめることができた。
最高水準の、百万人に一人といって過言でない神良の顔立ち。文句のつけようがない。しかし、芸能界の頂点に近づけば、神良の美貌も唯一無二でなく、翼ならば互角に競えるはずだ。
和洋折衷、想定よりも外国人っぽくはない。浮世離れこそしているが、どこか日本的だ。生まれ育ちも含めて、神良はどうも日本に根ざした吸血鬼、という風変わりなものらしい。
全体像としては体格が翼より一回り小さくて、二つ下の妹だと説明して信じられそう。
総合して評せば、ごく普通の超絶美少女だ。
これくらいならば、明確に翼が負けているわけではない。無論、自惚れぬきに。
「翼よ、そなた――」
一方、神良はいかに翼を評価するのか。
「かわゆいのう! 生でじっくりみると格別じゃ! まさしく日本一の美少女じゃ!」
日本一。
辛口や酷評も覚悟していた翼は、あまりにあんまりな甘々判定が下ってびっくりする。
大星雲のように目を輝かせ、神良はやや興奮気味。それこそ憧れ人に出逢った子供みたいに。
「“生”とは、何です……?」
「そなたのことは“予習”しておる、ひめのお手本として、目標への参考としてじゃ!」
「お手本……? 目標? 翼が、貴方の?」
翼は、それこそ、まるで狐や狸に化かされた気分に陥った。
女狐であれ女狸であれ、神良はいとも容易く、翼の胸中へと急接近してきてしまった。
人に褒められ慣れている翼だって、ここまでべた褒めされるとやっぱり嬉しい。なにか裏があるのではと不安になるほど嬉しくて、困ってしまう。
(何を企んでいるの、神良は――!)
翼は、眉唾ものの絶賛に警戒心を強く保とうと神良のことを睨み返すのだった。
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