記E3.コールドパーティー
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閑静な高級住宅街にある高木邸。都会で三台分の駐車スペースがある車庫はちょっと貴重だ。
長島の運転するセダンの自動車に定員の5名。いつもよりちょっと狭い車内の後列中央で到着まで我慢していた翼は、ガレージに出てうーんと背伸びをする。
高木邸は、翼の自宅とはまた違った豪邸だ。複数台の駐車ができる作りは、来客を想定してのことだろう。あらかじめ来客をもてなすことが前提として織り込まれた建物なのである。
映像映えするお城のような夢の大豪邸でもないが、庶民にはちょっと縁遠いくらいな屋敷だ。
「うわ、何億円すんのこれ」
闇の狩人という大層な肩書のわりにド庶民の光流が大げさに驚く。
平社員の長島も「翼ちゃんちよりさらに大きい……」と気圧されてしまっている。長島の高木邸来訪は初めてではないのだから翼としてはそろそろ慣れてほしいところだ。
「貴方たち、ちゃんとついてきてちょうだいね。迷子になられると探すのが面倒だわ」
音々の指示で、玄関までのちょっとの距離、カルガモの親子のように一列になって五名が歩く。
(下校中の小学一年生ですか……)
光流や長島の挙動不審はわかる。同居中だという勝利までお庭の暗がりにビビってどうする。
ここが吸血鬼の居城と化していると考えれば、遊園地のおばけ屋敷程度には怖くはある。
といっても、やはり翼には通い慣れた高木邸だ。お泊りだって何度もしてる。もし翼がドキドキと緊張しているとしたら、それはやはり、これから待ち受けるオーディションに備えてだ。
神良とは、実際に会ってみたらどんな人物なのか。
はたして翼のことを認め、気に入ってくれるのか。
――そして光流が、吸血鬼である神良にいかなる沙汰を下すのか。
翼の、血を捧げてみたい。眷属にも興味がある、というのは純粋な興味や好奇心だけではない。
そうやって情報を引き出せば、そして無害であると証明できれば、光流は闇の狩人として神良を討伐せずに済むかもしれない。
光流は――、最強だ。
あくまで翼の知る範囲であれど、光流は信じがたいほどに強くて凶暴だ。そして決断が早い。
(あの吸血鬼を退治されたら、きっと音々さん、悲しむ……。以前より、もっと深く)
音々の人生には哀しい離別が多いことを翼は知っている。
両親は離婚、そして死別。前の彼女とだって、ちゃんとお互いの将来設計を考えていたけれど、すれ違いから別れてしまった。そして仕事をこなす間、音々はそういう私事を表に出さず、内に秘めるタイプだとも翼は理解している。
悪い吸血鬼に騙されたぶらかされているのだとしたら光流という劇薬の力を借りても排除すべきと考えていたが、逆に良き吸血鬼だとあきらかならば今度は光流こそが最大の脅威だ。
つまり、翼は神良に気に入られて吸血という経験を得たいという利己的な目的とは別に、その一部始終を通して神良のことを光流に審査させて事なきを得るという利他的な使命を背負っている。
――重責だ。
「……失礼します」
玄関を潜り、靴を脱ぐ。各室を繋いでいる幅広で長い廊下は、いつも通りにみえて、そうでない。
ここに吸血鬼が潜んでいると知っていれば、見知った空間がたちまちホラーのワンシーンだ。
神良には事前に電話で連絡済みなのだから、映画みたいにいきなりチェーンソーを両手に爆音鳴らして暴漢が襲ってきたりはしないはずだ。
しない、はず。
「さーて死体はどこだー? アイアンメイデンに拷問部屋があるんだろー?」
「ひっ! な、ないよねそんなもの!?」
悪ふざけで怖がらせる光流と、住人で吸血鬼の眷属のクセに怖がる勝利。
「豪邸ならあるに決まってんだろ! めんどうなパズル解かないと開かない扉! 書斎の本棚に隠し扉! 机ん中にピストルと銃弾! いかにも動きそうな鉄甲冑! 壁一面の血文字!」
「ぴぃやぁぁ! ないない、ありませんからぁ!」
(……光流お姉さんの場合、実体験が混じってそうなのがイヤすぎます)
「わ、私もなんか帰りたくなってきちゃった……」
(……そういえば長島さん、ホラーは苦手だっけ)
基本的に物怖じしない元気印の長島もまたホラーが苦手なタイプだ。役作りや仕事のためにホラー映画を観よう、なんて時は決まって翼に涙目になって抱きついてくる。
勝利や長島の怖がりっぷりが伝搬してか、翼まで少し、怖くなってきた。
「みんな安心して、何も怖いことなんて起きないから」
音々の気遣いもやや逆効果だ。
黒猫電話を使おうとネコミミモードを晒した時、コスプレじみた愛くるしさでごまかされたが冷静に考えれば、まさに化け猫じみてたわけで。
あの時、一瞬ぞくっとするほど音々が妖しく恐ろしげに翼には見えてしまったのだ。
闇夜に輝く、爛々とした猫の眼――。
(……あ)
ブルッと翼の全身に走る寒い感覚、これは。
(どうしよう、こんな時におしっこに行きたくなるなんて……)
寿司九重で飲み食いした後、秋の夜の寒さに晒されたせいだろうか。
翼は迷う。この流れでお手洗いに行きたいと申告すると光流にイジられる。それはイヤだ。
翼はこっそりと一同を離れて、明かりをつけず階段を登り、二階のトイレを目指した。
“見える子”な翼は一種の霊視によって幽霊の類を見つけられる。つまり、実在しない幽霊に怯える必要はなく、実在しても早期発見と対処ができる。それに“経験値”が違う。馴染みの家のトイレに向かう程度は何のことはないはずだ。
階段を一歩、一歩と昇るたびに一階から届く電光が薄くなっていく。
二階の廊下はもう、最小限の常夜灯が光っているだけだ。
(大丈夫、何もいな……、居る)
黒髪の、長い、白いワンピースの。
女。小さな。禍々しい。
「あ」
翼はじっくりと観察したくなる一瞬の誘惑を跳ね除けて、一心不乱にトイレへ駆け込んだ。
自動的に電光が灯り、その明るさに翼は安堵する。
――尿意を優先したのは正解だった。小学五年生にもなって国民的キッズアイドルがおもらしだなんて恐怖より羞恥心で死んでしまいそうだ。
(はぁ……、危ないところでした。ベタな展開は回避するに限ります)
翼の天才的判断力と冷静さは気づいていた。
他ならぬ、今の幽霊の正体が神良であることを。事前に電話して、翼たちがやってくることを神良は知っているはずだ。その上で出迎えず、音々もそこを不審がらない。
一瞬の目撃だが、翼は仮装だとすぐに見抜いた。なにせ神良の纏っている、闇のオーラというべきものがそっくりそのままエレベーターで目撃したものと同じなのだ。背丈も記憶通りだし、長い黒髪はウィッグ、白いワンピースも調達が難しくない。
コンコンコン。ドアをノックされる。
『開ぁけて……。開ぁけてぇ……』
翼はぞっとした。正体が分かっていても、その“声”が巧妙に恐ろしげだったからだ。
ひゅーひゅーと隙間風が吹き込むような掠れた病的な息遣いは、まさに迫真だった。
もう出し切っているからよかったものを、我慢していた時に聴かされていたら翼といえど不覚を取ってしまったかもしれない。それほどの演技力だ。
『ウォンッ! ウグルルルルッ!』
扉をひっかく爪音と獰猛そうな犬の唸り声が不意に迫ってきた。
本能的にぞくりと寒気立つ翼。
「だ、騙されませんよ! 動物の真似が得意だってもう知ってるんですから!」
そう叫ぶと、ぱたりと爪音と唸り声は止んだ。
ようやく観念したのか静かになったところで翼は水を流し、トイレから出ようと立ち上がるが。
着信音。
翼のスマートフォンが鳴っている。
(神良……? でも、神良はスマホを使えないはず、じゃあ音々さん……?)
翼が戸惑っている間に、ひとりでに通話がはじまった。
『あなた、だあれ?』
幼い。
声の主は、不気味なほどに幼い声をしていた。
翼が沈黙を守っていると幼い声は抑揚のない、感情の起伏に乏しい口調でさらに話した。
『アクシア。わたし。アクシア。さがしているの』
(何、何なの、これ――?)
恐怖させようという意図がない、という恐怖を翼は感じていた。
『かみら、どこ?』
沈黙。翼はただただ沈黙を選んだ。やがてスマートフォンもまた沈黙する。
トイレの個室から出られぬまま、呆然とする翼。
「ぬ、ひめの負けじゃ。今の演技、なかなか巧いではないか」
降参する神良の声を信じて、ドアを開いて外に出る。
噂の吸血鬼、神良は翼の予想通りに黒髪に白衣の幽霊の仮装をして待っていた。
トイレの明かりに照らされてはっきり見えてしまうと何のことはなくて、その仮装はいっそ、神良の背丈もあって可愛らしい座敷わらしかのようだ。
「演技者のそなたに挨拶するには演技が一番と挑んでみたが、こっちが肝を冷やしたのじゃ」
「アクシア……、今の、私じゃないです……」
ガタンッ!
不意に階段の方から大きな物音がして、ドタドタと誰かが駆け上げってくる。
「いやぁぁぁぁぁっ! おばけーっ!」
勝利だ。
目をぐるぐるまわして、両手まで使って階段を必死に這い登ってくる。
『アクシア。わたし。アクシア――』
階段から聴こえてくる、小さな幼声。今度は勝利の携帯電話に届いたということか。
階段を昇る。おそらく、姿を消した翼を追って二階へ行こうとした途中、着信が届いたのだ。
「つ、翼ちゃんだいじょ――ぴぃぎゃあぁぁぁぁっ!?」
絶叫する。
薄暗い二階の廊下、翼の隣にいる黒髪の幽霊を目にしてしまった勝利が絶叫する。
(……大人なのにしちゃうんだ、おもらし)
「あわわ! 勝利よ、ひめじゃ! すまぬそなたを驚かせるつもりはなくてじゃな!」
「う、うえーん、神良ちゃんのおたんこなすぅ……!」
湯気立つ床に情けなくへたりこみ、ひくひくと泣き出してしまいそうになる勝利を見ていて翼は。
「……かわいい」
翼は、何かに目覚めそうになった。
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