記E2.753 封鎖された路地裏で
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一直線にまっしぐら。
飛び立ったら止まらない。
「さぁ無駄な抵抗はやめて案内してください。私に秘密をバラされたくなければ、です」
シンプルな脅迫は効果バツグンだった。
いかに平社員の長島どころか社長の音々にも看板級のタレントである翼の“わがまま”を無理やり阻止する手立てがない。なにせ、神良が吸血鬼であることはトップシークレットで、翼の情報発信力はただの小学五年生ではないのだ。
「別にいいじゃん? どのみち会わせる予定だったんだろ?」
保護者の光流も止めようとはせず、なし崩しで神良との初対面は叶うことになった。
――むしろ不思議だ。
なぜ、出演者同士の顔合わせという趣旨なのに今ここに神良がいないのか。
「ここに来る直前、神良ったら“急用ができた”とふらっとどこかへ消えちゃったのよ」
「連絡手段は? スマホ持ってないんですか?」
「自分では使えないらしくて、連絡手段、あるにはあるんだけど……」
寿司九重を後にした一同は人目につかないオフィス街の路地裏にやってくる。
音々は念入りに人の気配がないことを確認すると、翼の目前であらぬ姿に化けてみせた。
「わ、笑わないでちょうだいね」
フォーマルスーツのアラサー美人社長、高木音々。
その頭頂部にぴょこっとネコの耳が、臀部にしゅるんとネコの尻尾が生えてくる。
「うわ、きっつ」
害獣光流のストレートすぎる感想に音々のなけなしの尊厳がまたひとつ砕け散る音が聴こえた。
「わ、わー、かわいいですねー社長」
長島の棒読みお世辞もかえって優しさが残酷である。
「はい、音々さんピース。アリよりのアリです。この素敵な写真はちゃんと保存しておきますね」
そして翼は撮影する。脅迫材料はいくつあっても困らない。
三者三様、誰も笑ってはいないので音々の注文通り。何ら問題ございません。
しかし路地裏でのコスプレにもきちんと意味はあって、これは【猫の眷属刻印】とやらの力を発揮するために必要な状態なのだと音々は言い張る。
「おいでませ、黒猫電話!」
音々がくいくい猫招きするとどこからともなく黒猫が湧いて出てきて、くるりと宙返りする。
それはまさに“黒猫電話”とでもいうべき昭和レトロな外観の電話機に変身した。
受話器が寝そべってる猫の形に、古風なダイヤルが猫の肉球を象っていて、なんとも可愛い――。
「勝利ちゃん、ちょっと電話機を持っててくれる?」
「わ、ちょっと重いっ……」
「大きさも重さも猫そっくりなのが不便なのよね、黒猫電話」
(……ネイティブスマホ世代の翼には何の儀式かもちょっとよくわかりません)
数字盤ダイアルをまわして番号入力する仕組みは、朝ドラに出演した時に目にしたことがあるので翼も頭では理解できる。しかし七、五、三、と連続入力できずいちいち零に戻るまどろっこしさが信じられない。
それに黒猫電話本体と猫型受話器をつなぐ螺旋状のコードを、なぜか音々が無意識に指をひっかけてくるくるいじっているのも理解しがたい。
ついでに、その重たくてめんどくさい電話機を抱えさせられる勝利がなんだか不憫でならない。
「スマホ型、せめてガラケー型にできなかったんですか、その猫の化石は……」
「……もしもし、音々です、神良様よろしいでしょうか? ええ、はい、そうです、ええ」
通話がはじまった。どうも事情説明が長くなりそうだ。
「勝利さん。説明では、眷属は老化しづらくなる、体力が上がる、少ない睡眠時間でも回復する、病気や怪我をしづらく治りやすい……、でしたっけ」
「え、あ、うん。あんまり実感がないんだけど、健康に過ごしやすいのはホントだと思うよ。とくに悪いことはないんだけど、あ、でも今みたいに気苦労は増えるかなぁ……」
「吸血鬼の眷属になったら血が欲しくなる、なんてことはないんですか?」
「いわゆる吸血衝動もない、かなぁ。ほら、ここ見てみて」
黒猫電話を両腕から左腕とおっぱいの二点で支えて、勝利は右腕を自由にしようとする。
あたかも「ここ見て」という発言が、その無駄に豊かな胸元にぎゅむっと黒猫電話が吸い込まれてはぽよんと少しだけ弾んでみえる。この一瞬の奇跡を見せたかったかのように翼は錯覚する。
(なんです、今の……)
背丈がやや低くて、あきらかに童顔な勝利。小学五年生の翼とさして変わらない背丈や幼気な雰囲気にはじめ年齢を計りかねたほどだ。なのに、二十一歳と十一歳の違いを、胸囲格差という形でも見せつけられるとは。翼はなぜかイラッときた。
「ほほぉ《ここ》、ひへふ《みえる》?」
勝利は口に人差し指をつっこんで、ぐいっと引っ張って犬歯を露出させる。
ひょうきんな仕草に翼は「はい?」と疑問符に思考が一時停止する。やがて理解する。勝利は自分の犬歯を示すことで眷属になっても吸血鬼の牙になっていないと示したのだ。
けれど、もう、あんまりにも間が抜けているのである。
翼は「くふっ」と耐えられず、笑ってしまった。音々のネコミミ以上の破壊力だったのだ。
「ずるいです、笑わせる時はもうすこし前フリをしてください」
「ええっ! あうう、一発芸とかじゃないんだけどなぁ……」
天然ボケか、と翼は心中でタグづけする。
「……ところで勝利さん、ちょっとお耳を貸してください」
「え、あ、うん、何かな……?」
勝利の真横へと回り込み、翼は小声でささやく。少し、小悪魔めいた息遣いを意識して。
「貴方も神良としてるんですか、えっちなこと」
「ふえ!?」
びっくりした勝利はあわてて黒猫電話を落っことしそうになるので、翼がすかさず拾って渡す。
長島や光流は通話内容の方に気が向いているようで聞き出すなら今だと翼は判断した。
「黙ってたら翼は勝手に想像するしかないんだけど、それでもいいの? 勝利“お姉ちゃん”」
「しょ、しょれは困ります……」
眉根を八の字に歪めて、もじもじと。勝利はなんとも初心な反応をする。
「じゃ、教えてくれますね」
「あうう……。今時の小学生って……」
観念したのか、勝利はぽしょぽしょとこれまた小声で翼にためらいがちに告白する。
「したことないよ、本当に。三日に一度くらい血を捧げるけど、それは食事だもん。音々さんみたいな愛し合い方は……まだ、してないです、はい」
「……どこまで触られました?」
勝利の瞳があからさまに泳いでみえた。翼にはわかる。してない、というのは“最後まで”という意味であって、当然ながら一度も素肌に触れられた経験がないという意味ではない。
勝利はたじたじになりつつ、従順に答えてくれる。
「お風呂場で、カラダを洗い合ったことは……。あと吸血される時、も、揉まれるくらいは……」
「ここをですか?」
翼の指先を拳銃に見立てて真横から胸と脇の境目をつっつくと、勝利はこくこくとうなずく。
「神良ちゃんからは言葉や仕草でほんのり誘惑されたりはするけど、はじめに“そうじゃない”って断ってからは、けっこう大事にされてる、かなぁ……」
「キスは?」
「し、してません、まだ」
「そうですか。不思議な、うん、ふわっとした関係なんですね」
音々の、ふしだらと言い切れる関係とは大違いだ。
恋愛モノのおはなしに精通する翼には漠然と理解できる気がした。
勝利のキモチは、友情と恋慕の境界線上にあるのだろう。そして神良という吸血鬼は、その不安定なキモチを尊重してくれている。
逆説的に、神良は音々のキモチも尊重していることになる。それが不健全極まりなかろうと。
「あの吸血鬼、私も大事にしてくれるでしょうか」
大事にする。
それはあくまで翼の意志にのみ限ったことだとは、勝利もきっと理解しているだろう。
「翼ちゃんは怖くないの?」
「昔から恐怖より興味が勝ってしまって。……もう止めないんですか、勝利さんは」
「わたしね、親の反対を押し切って音楽やるために都会に上京してきちゃったんだ。そんでけっこう痛い目みたのに後悔も反省もしてないんだもん。翼ちゃんを止める資格なんて無いよ」
さらっと勝利は言ってのける。
――かっこいい。
「……かっこいいです」
しまった、と翼は思ったままをつい口に出して後悔した。素直すぎる自分が気味悪い。
ここまでの優位的なやりとりを台無しにする小学生の下手な読書感想文みたいな率直さ。不覚。
こういう発言を長島や光流に拾われると決まって、こどもっぽくてかわいいと笑われるのだ。
あるいはシャイな勝利のこと、照れ笑いでもするかと思えば――。
「ありがと。でもね」
翼と勝利。ふたりだけのナイショのおはなしは、最後にこの言葉で終わることになる。
「わたしの音楽はもっとかっこいいよ」
そう小声でささやかれて、翼は、さっきとは逆に、耳の先まで真っ赤にさせられてしまった。
翼は大きな思い違いに気付かされる。
冴えない原石、音楽家の卵、臆病な野ねずみ。それらは間違った印象ではないが、そのせいで重大な事実を翼は見落としていたのだ。
山口勝利。
てっきり彼女が一方的にあの吸血鬼を慕っているのだと誤解していた。しかし全然違った。
彼女こそ、吸血鬼をも恋い焦がれさせたプリンセスだったのだ。
冷静に考えてみれば、誘惑されてははぐらかす側なのだから恋情はむしろ神良の方が明確だ。
神良の眷属になるということは即ち、神良に“選ばれる”ということ。
音々や勝利に匹敵する“何か”がなくては眷属にしてもらえないのだと今更に翼は理解した。
(……これからお城の舞踏会に赴くシンデレラは、私だったんですね)
そう覚悟した時、黒猫電話の受話器がガチャンと置かれた。
「翼、案内してあげる。私の主、神良様の元へ」
繊月の夜、路地裏、秋の夜風が冷たく踊る。
音々は、妖しき雌猫は、敬愛する恩師は、まるで見知らぬ誰かのように翼へと手を差し伸べる。
夜の舞踏会がはじまる――。
それは王女様の待つ、吸血鬼の根城でのことであるが。
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