記E1.逆算裁判
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吸血鬼、神良。
齢二百年を越えて、数十年の休眠を挟みながら長きに渡って生き続けている少女。
神良は己の力を分け与えた【猫】【鼠】【狼】【鳥】の四眷属の契約を人間と結ぶ。
【猫】は音々が、【鼠】は勝利が継承した。
吸血鬼として血を求めはするが、人に危害を加えることのない善良な闇の隣人であること。
翼、長島、光流の三者に対しての説明は理路整然とはしていた。
「――そりゃまぁ、人間と共存できる怪物だっているだろうけどもさ」
と、光流は半信半疑ながらも納得する素振りをみせる。
闇の狩人である、という素性はまだ伏せるつもりで光流は一般論でごまかしたのだろうか。
翼も長島も、音々や勝利の説明から「善良な吸血鬼」を信じることにする。
やましいこと。
つまり、人を殺めるような蛮行に手を貸しているという証拠や証言の矛盾は何一つない。
ただただ吸血鬼であるから不審だ、と疑うことはできるが、少なくとも長年の付き合いがある音々に対して、私生活にふしだらな点はあっても重罪は犯さないという確信が翼にはある。
(……軽犯罪はやってそうですが)
小学五年生の翼にだって、公文書の細工くらいはしないと人間の社会システムに定義されない吸血鬼を表に出せないことはわかる。そこはもう見逃してもいい範囲のことだろう。法廷ドラマや刑事ドラマに出演した翼の経験からしても、吸血鬼は法律の適応外だというのはわかる。
問題は――。
「……吸血鬼がアイドルを目指している、というのはどういう冗談ですか」
個室のすみっこにお互い正座して、向き合った音々と翼。
長島と勝利は机に運ばれてきたデザートを摘みながら見守り、光流は食べ残しをつまんでいる。
「音楽の力で人間どもを支配してエナジーを奪ってやる! ――なーんて悪だくみ、あるよね~」
鯛のおかしら煮に箸を伸ばして、目玉をほじくりながら光流は冗談めかす。
魚の目や舌まで食べるのは翼の周囲には音々と光流くらい。食い意地が張っているのか、食べ残しが少なくて地球にやさしいのか。
同じ魚の目玉を食す者同士、音々と光流は鋭い視線を交えた。
「神良は、真剣にアイドルを目指しています」
「は~? だって吸血鬼だろう? 吸血に役立ちもしないことをして何になるってんだよ」
「あなたにだって食事以外の“大好き”がある、そうでしょう? 第一、眷属として私や勝利ちゃんは定期的に血を捧げているんだから神良は日々の食事に困っているわけではないのよ」
光流の挑発的な物言いに、音々は冷静に返す。
いや、翼の考えるに、音々は冷静であろうとしつつも強い情緒を秘めているようにみえる。
(……なんだか懐かしいです。私も、こうしてかばってもらった記憶があります)
翼は少し、さびしげに笑った。
「法廷では証拠こそが全て、と私の出演したドラマでもよく言っています。論より証拠です。アイドルとして神良が真剣だっていう証拠があれば、嘘か真かはっきりする。そうですよね」
この一言で、寿司九重の個室はあたかも法廷の様相だ。
さながら裁判長は翼、検事は光流、弁護士は音々、被告人は神良といったところか。
空想たくましくも翼は想像上の開廷を、ありもしない木槌を叩いてカンカンと告げる。
「そんじゃー僕は悪を許さぬ正義の検事ってわけだね! オラオラ! 弁護側はとっとと証拠を見せてみやがれよ! そーんなものがあるんだったらだけどね!」
「まるでチンピラですが型破り系の検事主人公ならセーフですね」
「翼ちゃん肯定的すぎるスルー!」
翼はすっかり忘れていたが、今ツッコミを入れた長島は傍聴人でいいだろう。
「証拠……。さっき話した通り、十月末に神良はハロウィンライブに参加予定よ。ファーストシングルの配信も決定済み。デビューの準備は着々と進んでいるわ」
証拠品、ライブの出演資料が翼へと提出される。
「証拠品を受理します」
「ずるいずるいずるい! いきなりドームの大観客を前にお披露目なんて信じられるかよ! 事務所のコネにも程があるだろ! デパートの屋上でちびっこにバカにされるところから泥臭くはじめろよ! 天下の翼サマの次に無名の新人なんて観客ブーイングもんだぞ!」
「弁護人の音々さん、反論は?」
「べ、弁護人……。ねえ翼、その法廷ごっこ、私もやらなきゃダメなの……?」
「音々さんはスーツのおかげで似合っているので翼はもっと見たいです」
そう翼がお願いすると渋々と音々も承諾した。チョロい。
翼は演技が好き。ごっこ遊びも好き。昔はこうやって演技練習を兼ねて音々に色んな役を演じてもらっていたのだ。音々は演技と割り切れず、恥ずかしがる様がなんだか可愛いのである。
呪ってパルシィア(女児向けアニメ)のごっこ遊びに比べれば、法廷ごっこはマシなはずだ。
「こほん、では、弁護側は証人として神良の担当プロデューサー、山口勝利を召喚します」
「……え!?」
傍聴人のつもりで心の準備がなかったらしき勝利が、あからさまに動揺する。
右みて左みて助け舟を探すも味方はなく、翼が少々面白がって「証人、証言をお願いします」と催促してみると「ぴゃい! わきゃりましたぁ!」と上擦った声で悲鳴のように答えた。
「えと、あの、しょ、証言、ショーゲン……」
「自己紹介を」
「や、山口勝利です! 音楽やってま……今日もう言ったよね!?」
「弁護側は、証人に神良の担当プロデューサーとして、どんな芸能活動を行っているかについて証言をおねがいします。……できるわね、勝利ちゃん」
音々はごっこ遊びに付き合ってくれつつも、信頼するような眼差しを勝利へと向ける。
すると勝利も少しは落ち着いて、深呼吸して、ぐにっと両頬を引っ張って気合を入れる。もちもちのほっぺを伸ばす独特な仕草は、パシンと頬を強く叩くのは痛いからだろうか。
「は、はい! 神良ちゃんのプロデュース方針はですね、その、逆算なんです。逆算!」
「逆算……?」
勝利はスマートフォンを操作しつつ並行して提示済みの証拠品、ライブの出演資料を指し示す。
「このハロウィンライブの出演時刻、七時四十五分はですね! 完全に日が沈んで日光に当たらずに済み、それでいて未成年の出演がしやすい時間帯で……そういった“逆算”が大事なんです」
「はー? 幼くみえても二百歳越えてるババアなんだろ? そんなん関係あんの?」
「そ、それは、表向きは見た目とおんなじ年齢という扱いにするからで……」
翼は夕暮れの街を想像してみる。
日没と薄明。オレンジ色に滲んだ街並みが、太陽が地平線に隠れてしまい、徐々に薄暗くなる。この時間はおよそ三、四十分間くらいだったはず。完全に暗くなってしまうのは一時間半くらい。
秋頃は七時にはもう薄明を過ぎて暗いはずだ。
法律によって縛られた八時という刻限、太陽から解き放たれる七時という時刻――。
たった一時間しかない。
「いけない! 八時の鐘が鳴っちゃったわ! 私、帰らなきゃ! ……てか? シンデレラかよ」
「そうです、バカげています。七時から八時の一時間だけのアイドルだなんて……」
シンデレラという表現は翼も否応がなく連想させられた。
バカげている。
想像以上に、神良という吸血鬼のやろうとしていることはバカげている。
ローティーンアイドルの頂点に立つ翼にはわかる。不可能だ。
「無理です、不可能です! 私は出演や撮影のためには許可をもらって、小学校をお休みすることだって時にはあったことを、頭を下げてきた音々さんは一番理解しているはずじゃないですか!」
翼はつい語気を荒げてしまう。
「……私だって、当初はそう考えたわ。吸血鬼にアイドルなんて不可能だって」
「じゃあ、何で!」
どこから湧いてくるのか説明できない怒りが沸々と湧いてきていた。
自分のこれまでの人生を、アイドルという聖域を、軽はずみな気持ちで踏み荒らされた気分だ。
「お、落ち着いて翼ちゃん! ほら、裁判長さんなんでしょ!」
「ごめんなさい、長島さん……」
「逆算する、ということはつまりプロデューサーの山口さんはその神良という吸血鬼の女の子にもできる芸能活動のやり方を考えてあげている、ということなんですよね?」
ここまで発言を控えていた長島が間に立って、おだやかに話してくれている。
(……やっぱり大人なんだ、長島さん)
人柄と元気だけが取り柄だと普段つい翼は軽んじてしまうが、反省しよう。
「そ、そういうことです、はい」
翼の剣幕にビビって、いつの間にか音々の後ろに隠れていた勝利がひょっこり顔を出した。
「あ、今更ですけど、わたしのことをもうちょっと説明してもいいですか……?」
長島はちらと翼の表情を確かめてきて、代わりに「おねがいします」と答えてくれた。
「わたしは、その、十代の頃から主にネットのセカイで音楽活動をしてきました。あ、まだ二十一歳なんですけど……。活動歴とかは、ネット記事で見てもらった方がわかりやすいので……」
勝利の示した検索ワードを各自スマホに入力するとすぐに紹介記事が見つかった。
『ハムスターP』
動画サイトでの百万回再生曲を複数持つ、ミュージックロイド動画投稿者。
ミュジロPの音楽シーンへの進出は目覚ましく、著名な若手音楽家の輩出元として認識されている。ネット動画は企業の力がなくても自力で音楽を世に広める機会が得られるので、若い才能が切磋琢磨する激戦区でもある。
それには見劣るが、顔出しのシンガーソングライター『星乃金熊』《ほしのきんくま》としての活動歴もあり、インディーズ活動を細々としていることも記載されている。
メジャーでの活動こそないが、単なるアマチュアとは呼べない実力があることは明らかだ。
「え、あの盗作事件の……!?」
翼よりずっと早く読み進めていた長島が、大きな声を上げた。
あわてて翼もスクロールすると盗作騒動について、中立的な立場から解説する記述がある。
翼も何度か共演したことがある、大手芸能事務所のアイドルによる盗作事件――。
「森川智子……」
深い仲でこそないが、共演経験のある相手のトラブル絡みというのは他人事ではない。
森川智子はこのハロウィンライブにも出演予定だと資料にも記載があった。内心複雑だろう。
謎の少女――という認識だった山口勝利が今ようやく、翼の中で何者なのか定着しつつある。
「……無茶です」
翼は冷淡に言い放つ。
「私のことは一流の音楽関係者がいつも支えてくれます。音楽プロデューサーも、作詞家さんも作曲家さんもベテラン揃いです。経験豊富な大人たちに支えられて、やっと、ドラマ主題歌やCMソングという形でしっかり企画してもらって知名度を上げることで、ようやくHALF MOONのハロウィンライブという大舞台に立つことができるんです。あなたに、弱点だらけの吸血鬼をプロデュースするだけの実力があるんですか」
こう辛辣に言ってしまえば、きっと勝利は涙ぐみ、言葉を失ったり、言い訳を探すだろう。
翼はそう考えていた。
実現性のない夢物語のために、吸血鬼のおままごとのために、音々を振り回さないでほしい。
「翼ちゃんの言ってること、きっと正しいんだよね」
勝利は少し、涙ぐんでいた。翼の予想通りだ。
けれど翼のことを、ちゃんとまっすぐに見据えて話すことができていた。
「弱点だらけの吸血鬼をトップアイドルにする、わたしもそれはできる気がしないなぁー、て」
闇雲に反発せず、理解は示す。それでいて逃げ出さない。
この時はじめて、勝利のことを翼は彼女もまた一端の大人なのだと認識することになった。
きっと翼や光流のことが怖くてしょうがない気持ちを、ぐっと耐えている。
勇気を振り絞って、熱き情熱を心に抱いている――。
勝利の薄っすらとたたえた涙はずいぶん温かそうにみえた。ひとしきり輝いて、ぽろぽろとこぼれ落ちることのないまま涙は袖で拭い去られてしまった。
「けどね、弱点なんて霞んでみえちゃうくらいに素敵なんだもん、神良ちゃん」
心の法廷に判決を告げる木槌が鳴り響いた。
音々が、勝利が、ふたりして証言する。神良という吸血鬼はアイドルになれる、と。
一事が万事、実際に何をやっているか等とこの場でたずねることを、翼はもう必要としなかった。
閉廷の木槌が鳴る。裁判ごっこはもうおしまい。
ふたりは本気だ――。
真剣なんだ。こうまで夢中にさせる魅力があるんだ。
そう、悔しいほどに翼には理解できてしまった。人の心を察することが得意なのも悩みものだ。
(――私が、負けている? あの吸血鬼の少女に?)
今の自分に、ここまでの情熱はない。
飛田翼がゆるやかに欠けていく下弦の月ならば、さしづめ神良はこれから満ちていく上限の月か。
「……私、会いたいです」
不思議な気分だ。
ここに来た理由である将来への不安感も、過去の自分を否定されたような屈辱感も、もう無い。
自己分析の得意な翼でさえも説明できない、止めがたい好奇心があった。
神良とは、何なのか。
彼女にこそ翼の求める何かが隠されている――。そう血潮が訴えてくる。
ワクワクとドキドキとゾクゾク。シンプルな表現にしか見当たらないほど胸が高鳴っていた。
逆転の境地。
神良という吸血鬼を拒絶しようとしていた翼が、今はもう、彼女を求めてやまなかった。
「会って、私の血を捧げてみたいです」
突拍子もない翼の一言に、一同が驚く。ふしだらな大人たちが今更に後悔しても、もう遅い。
翼はもう、いつまでも子役のままでは居られないのだ。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!
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