記D7.LO Shazzai -エロシャザイ
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音々の懐中に甘えていられる居心地のよさに、翼は迷う。
迷って、それでも意を決する。
抱き締めてもらえる安心感を得てもなお、それを失うことへの不安が勝っていたからだ。
「音々さん、新人というのは――あの吸血鬼ですか」
「翼……!? な、なんで知って……!」
顔をあげて話す勇気まではなくて、翼は目を閉じたまま、音々の胸元に顔を埋めている。
穏やかだった心音が今より高くなったことはわかる。
高木音々の動揺が翼の耳に伝わってくる。
「神良、吸血鬼、エレベーター」
「あ、え、そんな、あの時……!?」
翼にわかるのは鼓動だけではない。元々仕事上がりと飲酒で少しだけ汗ばんでいた音々の臭いが、ぐっと濃くなるのがわかる。
翼にも想像できる。あのエレベーターでの秘め事を、五歳の頃から自らを慕ってくれていた翼に目撃されていたのだ。翼の知る音々ならばきっと大いにうろたえる。予想通りだ。
「下手な言い訳はやめてくださいね、音々さん。あなたの翼は賢い子ですよ」
翼は演技者として、子役として六年間も生きてきたのだ。
他人の心中を察すること、誰かの心境を想像することに翼は長けている。
生きた人生の長さは負けていても、演じた人生の多さは勝っている。
「翼、今日は神良のことを紹介するつもりだったのよ。けど、吸血鬼だってことは秘密で……」
「なぜ秘密なんですか? 私にも? そこの見知らぬ人は知っているのに?」
「あ、うあ……」
閉ざした瞼。翼の闇の外では、光流、長島、勝利の三者が固唾を呑んで見守っていることだろう。
いや、光流だけはどんな表情と行動を選ぶか、翼にも想像しかねるが。
「あの吸血と、何をしているんですか? それはやましいことですか」
「や、やましいだなんて、あうう……」
「音々さんの亡くなったお母さんに言えないようなことを、あの吸血鬼と、してるんですか」
最悪のケース。
音々は脅迫、あるいは洗脳されて吸血鬼の罪深い行いの片棒を担がされている。
良心の呵責に苦しんでいるのか、音々は意味ある言葉をすぐには返してこなかった。
「……犯してしまったんですか? 罪を」
「ち、ちがうの! 私が犯したわけじゃないのよ翼! はじめは神良が、強引に……」
「音々さんは優しい人だってこと、私は、翼はよく知ってますから。ホントは嫌だったんですよね」
「あ、それは、その……」
音々は言葉に迷っている。けれどもう一押しという感触だ。
「今ならまだ、罪を償えます。いけないことをしてしまった時は、あなたがそうして私を導いてくれたように、翼も、音々さんのことを叱ってあげられます。……成長したんです、私」
「翼、ごめんなさい……! 私、とんでもないあやまちを犯してしまったの……」
涙ぐむような、上擦った声。
音々はずっと年上なのだけど、今はなんだか、翼の方がお姉さんのように諭してあげる側だ。
問題は、どんな罪を告白してくれるのか。
「私といっしょに、やり直そうよ。音々さん」
――悔い改めたいという音々を、翼の小さな心と体で、どう受け止めてあげられるのか。
人一倍の勇気と経験で、幼いながらに翼は懺悔を待った。
なにかと翼は“天使”と評されてきたが、今は、純粋さや愛らしさを意味する天使ではない。
正義と純潔、断罪と許し。そうした意味を有する天使でありたいと翼は願う。
おだやかに、音々の懐中にて、その言葉を待った。
「私、高木音々は……え、え」
翼は無言で、勇気づけるように音々の胴にまわした腕の力を、ぎゅっと強める。
がんばれ、と励ますために。
「えっちなことをしてしまいました――! やらしいことを犯してしまいました、いっぱいっ!」
「――え!?」
「エレベーターでは神良に求められて、我慢できなくて、つい夢中になってしまって! あの誘惑に逆らえなかったのよ! 初めての時は社長室で無理やりだったけど、もう、すごく素敵で!
他にもいっぱい罪を犯してしまったわ。勝利ちゃんに見られながらお風呂場で吸血されたり、その夜こっそり勝利ちゃんが寝てるそばでシちゃったり。翼に電話をもらった時も、その、直後で……。
軽蔑しちゃうわよね、神良って翼と同い年くらいに視えるものね。でも誤解しないで、神良は二百年以上生きてる吸血鬼だから私ロリコンじゃないのよ!
信じておねがい翼! ああ、でも今更だけど女の人が大好きなのは本当で……! 特別なの、神良が特別なだけなのよ!」
「……えっちなレズでロリコンさんだったんですね、音々さん」
「誤解よ、翼!!」
そんなことをいわれても、突如の告白すぎて全然まるで翼には理解が追いつかない。
なんたって小学五年生である。
何を言っているんだろう、このまったくもってダメダメな大人のおねえさんは――。
吸血か。いっぱい吸血されたということか。いや違う。
やましいこと。否、やらしいことを、罪深いことをいっぱい犯してしまったと告白されたのだ。
(――待って、どこから? え、この話、最初から?)
翼が、人の生き血を啜る吸血鬼の眷属としての犯罪について告白を求めているときに。
音々の視点では、ロリ吸血鬼との犯罪めいた恋愛とエロいことについて告白を求められていた。
慈母や天使になったつもりで抱き締めていた翼は、音々には淫婦や悪魔も同然だったのか。
(ん、んん――?!)
さらに遡ると、直前、翼は『親離れしたくない』と音々に哀願したわけで。
順序立てると、翼は『音々と親密でありたい』と願った直後に『吸血鬼とのえっちな恋愛関係の告白』を迫り、そして『いっしょにやり直そう』と言ってしまったわけで。
誤解が、複雑すぎる。
「ごめんなさい、翼。あなたはまだ未成年――」
ゆっくりと音々の懐中から剥がされる、翼。
混乱の真っ只中、情報過多によってフリーズする翼に対して、涙ぐみながら音々は言ってのける。
とっても真剣そうに。
「私、あなたの気持ちには応えられないわ……!」
失恋。
してもいない翼の初恋が今、終わった。
「誤解です。……そして不潔です」
「はう!」
天才子役飛田翼の演技力を極限まで発揮した侮蔑の一言が、恩師音々のハートを貫く。
何もかも吐き出してすっきりした直後だったせいか。
吸血鬼でもないクセに灰になって真っ白に燃え尽きた音々の死に顔は、安らかであった。
こんな駄文で大丈夫か?
大丈夫だ、問題ない




