記D6. ママー2 ヒカルの逆襲
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和やかな会食の一時。
翼は、ゆったりとした心地で音々へと活動報告する。
翼当人としては陰りをおぼえるといっても人気タレントには他ならない。出演した映画やドラマの苦労話だとか、メルドのCMタイアップ楽曲「マロンドロン」の配信成績が順調だとか。
そうした翼の『褒めてほしい』という意図を汲んでか、音々も望み通りの言葉をくれる。
「長島に翼の担当を引き継いだ時はちょっぴり不安だったけど、うまくやっていけているようね」
「……それは、まだ音々さんが私のことをちゃんと見守ってくれているおかげです」
翼はぐっと耐えて、そう冷静に返した。
音々には悪気がない。社長という立場でこそできる手助けをしてくれていることは本当だ。
「翼、来月末のハロウィンライブの出演について伝えておきたいことがあるの」
「ハロウィン、ライブ……長島さん」
「あ、はいはい、ちょっち待ってね翼ちゃん」
すかさず長島が紙の資料を広げてくれる。毎年、10月末の休日に開催される一大音楽イベント『HALF MOONハロウィンライブ』のことだ。
大手音楽会社のひとつ、HALF MOONの主催する企画でドームを貸し切って行われる。
出演者はHALF MOON社の所属アーティストを中心とするが、外部からの出演もある。
高木プロとは懇意の仲で、メルティドーナツのCMソング「マロンドロン」をはじめとした翼の楽曲は大半がここのレーベルから発売されている。
よって当然のように出演オファーがあり、翼も承諾している。単独ライブではないので出演時間は少ない予定だが、本職の音楽アーティストが多数集まる中での出演は貴重だ。
動員観客数は五万人の見込み。注目度は高い。
「ふわぁ……!」
出演する側の翼が冷静な一方、言葉少なに会話参加を避けがちな山口勝利が感嘆の声をもらす。
「バルーンフェイク、佐賀伊万里、クオラ、俵山登、グリフォンドローン……! す、すごい!」
「え、誰そいつら」
感動する勝利に対して、音楽には疎そうな光流が横槍を入れる。
ここで「知らないんですか!」と夢中になって説明するという翼の予想に反して、勝利は「あ、え、その……」と口をもごもごさせて黙りこくってしまった。
なんだかかわいそうなので翼は「長島さん、おねがいします」と助け舟を呼んでやる。
長島はテキパキと身振り手振り、時にはスマホで画像検索したり動画再生したりして「あんまり興味がない人でも聞いたことがある有名人」であることを説明する。
するとさしもの光流も「あ、これ知ってる!」「マジで!?」と出演者への認識を改めた。
「あ、僕わかった! もしかして勝利って出演者?」
「え、え! わ、わたしはそんな!」
「だよねー、なんか翼ちゃんみたいな大物オーラ無いし!」
「はう! で、ですよね……」
勝利、目に見えてしょげる。オーラがないのは翼からみても客観的事実だから否定しづらい。
なんだか見るからに自信なさげ、どうにも場違いなようにみえる。
だからこそ気になる。音々がここに連れてきた以上、彼女には大きな意味があるはずだからだ。
「翼、あなたのライブ出演は二番手だから七時台、その次の三番手にうちの“新人”を出演させることになっているのよ。ステージ上での絡みも伴うから早めに伝えておきたくて」
「新人……七時台、ということは未成年ですか?」
「そうなる、かしら」
芸能活動にあたって、日本の法律では未成年のには出演時間に制約がある。
細かいところを割愛すると、他人が代替できない人気アーティスト等は「労働者」ではなく「表現者」という枠組みになることで未成年の労働時間帯制限が緩和される。
しかしこの線引が曖昧なため、業界では自主規制として、未成年の夜遅くの出演は控えられる。
とくに中学生以下は夜八時が境界線とみなされる。大晦日の国民的歌番組において、かつて翼も七時台に出演してヒットソングを歌い、あとは観客席での参加となったことがある。観客席にいてコメントを求められる分には労働のうちにあたらないのである。
翼や新人のハロウィンライブの出番が七時台なのは、そういう法律上の懸念からだ。
「……未成年」
ちらりと勝利のことを見やる。
童顔でやや小柄だから判別しづらいが、あきらかに胸が大きい。
これで中学生以下だということは無い。絶対に無い。ああなりたいと願う訳ではないが、小学五年生の翼はまだブラジャーを着けていない。ものの本には三割くらいの女子がファーストブラが十歳だというが、翼は誕生日を迎えてもまだ踏ん切りがつかないでいる。
ブラの必要性を疑問視するくらいにぺったんこの翼と比べてほんの二、三歳だけ年上という程度で、ああも山盛りに育ってたまるものか。親子ほど年の差がある音々とは違うのだ。
「え、え、なんでわたしのじっと見てくるの……?!」
「山口さんは未成年、ではないですよね」
「お、おとなだよー? なぁんだ、そういうことか……」
勝利はホッと一安心したように一息つく。
「あの、なにか失礼な誤解や妄想していませんでしたか?」
「え、いやいやいや! 全然してないよ! ホントだよ!」
説得力がまるでない。
翼は胸が育たないことを気にして羨ましがってるだとか、根も葉もない誤解の気配がする。
「ねーねーこれ見て! 僕の秘蔵コレクションなんだけどさ!」
光流がスマホの画面を一同に見せつけてきた。数年前の翼、そして音々の写真だ。
音々の豊かな胸元に顔を埋めて泣きついてる、六歳の翼だ。
(ちょっと待ってなんですかこれは――!?)
しかも次々とスライドして一連の場面を見せつけられる。それはもう見事なまでに、泣きつくだけに飽き足らず、音々のおっぱいを揉みにいってみえる。
他人事なら六歳の幼女がやることだから幼稚園の年長さんだと考えるとそこまで不自然でもないのだけど、その相手が母親ではなくて、かつこれが自分自身だといわれると猛烈に恥ずかしい。
「あら懐かしい。この頃の翼はよく甘えてきてくれてたのよね」
「うわ、かっわいい……! 『しばいぬ日記』の撮影現場ですか社長?」
「ええ、小学校に入ってからぴたりと止んだけど、幼稚園までは半分お母さん代わりだったから」
「はぁ、翼ちゃんはやっぱり私達の天使ですねぇ」
和気藹々と歴代マネージャー同士で懐かしさに盛り上がる一方、初対面の勝利は完全に言葉を失っていた。いわゆる共感性羞恥というやつで、翼の今すぐ逃げ出したい気持ちが感染ったらしい。
「……こういう写真とか見せられるの、困っちゃうよね。わかる……」
「今だけは気安い同情も慎んでありがたく頂戴したいです……」
憎むべきは光流だ。
初めて出逢ったのは六歳の時だから、これは事件で“死ぬほど怖い目”に会った直後だろうか。
どさくさにまぎれて、こんな写真を撮っていただなんて。
「僕ひらめいちゃった! せっかくだから今撮影して見比べてたらどーなるかやってみよーよ!」
(……何言ってるんですかこの害獣)
「ええ、でも翼はもう小学五年生だし……」
(そうです、そうですよ音々さん!)
「逆だよ! やるんだったら小学生の今のうち! 記念写真にさ! きっと思い出になるよ!」
「そ、それもそうね……」
(だからですね! 今のどこに納得する要素があったんですか音々さん……!)
ちらっと羞恥心を共有してくれる唯一無二の味方と化した勝利へと視線でSOSを送る。
しかし露骨に顔を背けて、逃げの一手を打たれる。
あっさり見捨てられてしまった。なんて薄情。沈みゆく船から逃げ出すネズミのようだ。
「こっちにおいで翼、ずいぶんご無沙汰でしょ」
――日本酒と懐かしい匂いがする。
少量とはいえ、音々はひとりだけ飲酒しながら寿司を食べていた。乱れきるほどではないが、ほんのり上機嫌になっているようにみえる。
(……確かに最近、なかなか音々さんに直に触れてもらえる機会、なかったかも)
誘惑に抗うことはできる。しかし翼はあくまで冷静に判断して、損得勘定を踏まえる。打算としても音々と親しくあることは翼の将来に好材料となる。
抱きつく程度、ほんの二年前までは珍しくないことだったわけで、今の翼にもまだ許されることのはずだ。翼はまだこどもに他ならないのだから。
「……ん」
席を立って、音々の隣へ。
これもひとつの演技だというつもりで翼は意識を切り替えて、音々の懐に頭をうずめる。
ふわっと、母親に似た匂いと柔らかさがする。
スーツ生地の匂いに安心してしまうのは、少し、翼の変わったところかもしれない。
長島と光流がレンズを向けてなにやらはしゃいでいるが、今はもう、関係ない。
ゆったりと頭を撫でてもらえると、翼はたまらなく嬉しくなってしまった。
長年、事あるごとにこうやって愛でられてきたのだ。
――やっぱり、この人は第二のお母さんだ。
「親離れなんて、まだしたくないよ、音々さん……」
「翼ったら……」
ずっとこうしていられたらいいのに。
六歳と十一歳の自分の写真を見比べて、将来の自分はどう振り返るのだろうか。
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