記D4.無回転 寿司スコティッシュ The Way of Star Road
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メルティドーナツの店内は何事もなく、午後の穏やかな時間が流れている。
どこにでもある楽しげな日常風景だ。
それらに溶け込んでいることが不思議なほどに、岩田 光流は異質この上ない存在である。
光流に比べれば、それこそ天才子役として名を馳せた翼でさえ常人の区分だ。
闇の狩人だなんて、バカげてる。
「音々さんを、食べる――?」
マネージャーの長島が驚愕の表情をみせ、震える。
二度も事件を通じて縁のある翼だって衝撃を受けたのだ。光流の言動に驚くのも無理はない。
「えっちなのはダメです! 翼はまだ小学五年生だって言ってるじゃないですかぁ!」
場に稲妻が走る。
光流が、高木音々を食べる――。
レズビアンの社長、そしてエレベーターでの痴態、吸血鬼と恋愛関係にあるという話。
光流の言っている“食べる”の解釈としてはむしろ正しくすらあった。
ついつい翼は想像してしまう。
あのエレベーターでの光景を、吸血鬼ではなく光流が迫っているさまを。
光流のギラついていた餓狼の表情が途端、気恥ずかしさにまみれて乙女の片鱗をみせる。
「うちの社長を食べないでください狩人さん!」
「食べないよ!? 僕の嫌いな四文字熟語は淫乱ピンクなんだぞ!」
「……大人はバカばっかりです」
おかげで殺伐とした空気に陥らずに済んだのはしかし長島のファインプレーといえる。
光流はすっかり毒気を抜かれて、気を取り直すようにまだドーナツをもしゃる。
「いいかい? 社長さんが悪いことをしてりゃおしおきする、良い子にしてたら無罪放免! 刑事ドラマくらい見たことあるだろ? そういう覚悟しとけってことだよ翼ちゃん」
「わ、わかりました。あの音々さんが、そんな悪いこと、しないはずですから……」
翼は自分に言い聞かせる。
不安にはなるが、音々に限って、許されない悪事を働いているなんてことはないはずだ。
「やだなー、あーやだなー! めんどいなー! 僕の嫌いな四文字熟語は隠忍自重なんだけどもさ、どーしてくれんの調査しないとダメなやつじゃん」
うだうだ駄々をこねる光流。
お金がほしい、というアピールじゃないのが翼としては困るところだが助かりもする。
翼は意識をすぐに切り替えて、情緒をコントロールする。
五秒十秒あれば泣けるように翼は自ら訓練してきたのだ。じわっと目頭を熱くさせる。
「光流おねえちゃん、おねがい」
――カチッと胸の奥でスイッチが入った。
悲壮な、哀しい気持ちがどこからともなく溢れ出してくる。
五、四、三、二、一。
「翼を、たすけて」
ちゃんと涙が溢れてくれた。大丈夫、気持ちにウソはついていない。
自分の奥底にある本当の気持ちを、色んな感情を、ケースからトングで色とりどりのドーナツからひとつを選ぶように引き出せるだけだ。
問題は、本当の気持ちを導き出すために、またすぐに平常心を取り戻せないことくらいか。
号泣はしない。周囲の迷惑になる。一筋二筋、つーと大粒の涙を流すだけにしないと――。
「わわわ! な、泣くなよ僕そういうの弱いんだぞ! ちゃんとやるよ~!」
「ごめんね、光流おねえちゃん……っ」
顔を上げて、すぐにでも「ホント?」と言質を取りたいが、翼はそれができないでいた。
もし音々が死んでしまったら、と想像することで泣いた感情の深さに自ら溺れてしまった。
(下手くそな私……)
光流と長島にあやされて、ようやく翼は感情の水面に近づいて、心の呼吸ができた。
深呼吸して、翼は水平な心境を保つことを心がけながら話をすすめることにする。
「……吸血鬼のこと、音々さんにちゃんと聞きたいです」
スマホをテーブルに置く。いつでも高木音々本人に電話をかけられるという翼の意思表示。
「これから直接お話するチャンスを作ります。ふたりとも、いっしょに立ち会ってください」
心細い、という気持ちを増幅して翼の所作に反映させる。
画面上の通話ボタンに伸ばして保持した指先が、ほんの少しだけ震える。
さらに翼が呼吸をうまく乱れさせれば、光流と長島はすぐに翼に同意してくれた。
呼び出し音がやけに長くてもどかしい一時。
繋がった。翼はまず手短に挨拶と通常報告を済ませて、それから今後のことをゆっくり相談したいので時間と場がほしいとお願いした。
『ちょうどいい機会ね、翼、私もあなたに伝えておきたい要件があるのよ。時間と場所は――』
うーんと音々の悩む息遣いが電波越しに届く。
『今日の夜七時、社屋そばの個室で食べれるお寿司屋さんにしましょうか。マネージャーの長島に詳しいとこ伝えておくわね』
そんな感じで通話が終わろうといる間際、ちらと他人の声が入り込んだ。
『のう音々よ、誰からなのじゃー?』
通話が終わる。スピーカーをオンにしていたので光流と長島も聞いたはずだ。
――吸血鬼が、すぐそばにいる。
「なぁこいつバカだろ! 隠れる気あんの?! 僕かえって薄気味悪いんだけど……」
「かわいい声だったわね、噂通りにこどもっぽいかも」
「個室のあるお寿司屋さん……前にも行ったことある『寿司九重』かな」
そして送られてきた詳細情報、やはり七時に寿司九重で予約してある。
情報をスクロールして目にするごとに光流の表情が険しくなった。
「ま、まわらない寿司じゃんコレ! しかも高い! コース料理だし! 僕ここやだ!」
「いつも私の支払いは社長がしてくれます、小学生なので」
「ま! たまには行ってやってもいいかな、まわらないお寿司!」
――翼が小学生だから支払ってくれるだけなのに。
もし一万円の請求書を突きつけられたらどうするつもりなのだろう、光流は。
不思議だ。
ホントは不安でしょうがない会食が、光流といっしょならなんとかなる気がする。
そう翼が安堵した時、不意に『音々』という単語を耳が拾った。
二人組の女子中学生が、日常会話の中に織り交ぜる『音々』そして『かわいい』『ネコ』『動画』といった断片的な単語からまさかと思い、翼は検索をかける。
ヒットした。
『ねねすけの猫でも夜ふかし』と題された動画チャンネルに、平均20万再生の動画が約20本ある。
一見何の変哲もない猫の動画にみえるが、翼の洞察力はすぐに異常を察する。
「こ、この動画を見てください……!」
「はー? 猫動画? 僕ネコよりタヌキ派なんだけ――うわ何これぐうかわじゃん!」
「光流さんのすぐに手のひら返すとこ自分に素直で良いと思いますけど、そうではなくて」
映像一時停止。翼は一点を指し示す。
特大の、寿司クッション。マグロ、たまご、いくら軍艦、あなごの四種類が並んでいる。
そこに愛くるしい青毛におなかの白いツートンのスコティッシュフィールドがごろつくと――。
「かわいいの宝石箱かよ!」
「これ、私が以前に音々さんに買ってあげたプレゼントと同じ寿司です」
「はぁ? じゃあなに、社長さん猫動画はじめたの? でもこれさぁ」
偶然の一致ではない。
やがて飼い主として映っている人物を見つけて、翼は確信を得る。
「――この子です、吸血鬼は」
「はあ゛ぁぁーーーーー!?」
ソファーに寝そべり、たまご寿司クッションに背を預けては愛猫ねねすけの肉球を弄ぶ。
銀髪にパジャマ着でくつろぐ、可憐なる飼い主の美少女――。
その名は『Kamira』。
謎めいた美少女として愛猫と等しく話題の、ネットを小さく騒がせる小悪魔がそこに映っていた。
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