記D3.貪狼伝説
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飛田翼にはコンプレックスがある。
自分自身の実力によって子役としてブレイクしたのではない、という負い目だ。
翼の努力のおかげ。
翼の才能のおかげ。
翼の魅力のおかげ。
それだけでなかったことを年齢を重ねるにつれて翼は理解する。
「求められたこと」をこなす努力と才能と魅力があっても、まずは「求められる」ことがなくてははじまらない。仕事を探してくる能力まではお子様にはあるわけがない。
つまり翼のブレイクは初代専属マネージャー、高木音々のおかげでもあった。
“他の誰かでもできること”が巷には溢れている。
唯一無二、自分だけができることなんてそう多くはない。子役タレントは最たるもので、この椅子取りゲームは当人同士では完結しない。そこには事務所同士の駆け引きがある。
翼は聞き分けのよさ、使い勝手のよさを己の武器だと自負する。
であるからして高木音々という“使いこなせる人”はまさに翼には必要不可欠だ。
社長に就任した今、音々は事務所全体を統括する立場にある。
今なお翼には目をかけてくれる、厚遇してくれているし貢献している。互いに良好な関係にあるが、音々と翼はかつてほどの時間と距離を共有することができていない。
焦燥感。
吸血鬼の少女を目にした時、翼は直感した。
――奪われてしまう。
――私の、第二の母親を奪われてしまう。
エレベーターでの吸血。それは飛田翼のタレント人生の破滅を予期させるには十分すぎた。
そうした翼の切実な悩みを吐露されて開口一番、光流は言い放つ。
「あきらめちゃえば?」
鼻で笑い、手をひらひらさせて翼はからかうように言ってのける。
「僕は人生相談の専門家じゃないもーん、お子様のお悩み相談なんて答えられるほど人間できてるようにみえる? つーかレズの上司が第二のお母さんで寝取られるってなんだよこじらせ過ぎ!」
「こじれているほどドラマは面白いと脚本家の修羅馬ササル先生が言っていました」
「そーだね芸能界は奇人変人オンパレードだね! 良い子だから毒されんなよ!」
そう叫んでいるところで二代目専属マネージャー、長島 糸衣が帰ってくる。
「はい、お好きなのをどうぞ」
長島が慣れた手つきで色とりどりのドーナツ達を供すると途端、光流は上機嫌になる。
フロストシュガー&ナッツクランチをはむっと食み、一言。
「くど甘い! 毒々しくて僕こういうの好き! あ、お茶ちょーだい」
「あ、はいはい」
頼まれて即、長島はバックから緑茶入りの水筒を差し出す。いつでも常備しているのだ。
「かーっ! 渋うまい! おいしい! なーんだ良い人じゃん長島さん」
「いやー照れちゃいます!」
「初対面の人を軽率に好評価できるところが光流おねえさんのいいところです」
「僕の嫌いな四文字熟語は熟慮断行だからねー」
(じゅくりょだんこー……?)
利発で賢いつもりでも翼は小学五年生、わからない言葉は山程ある。
「熟女じゃなくて熟慮な! 深く考えて決めるってこと!」
「そ、それくらい知って……いえ、勉強になりました」
知るは一時の恥、知ったかぶりはしないでおこうと翼は訂正する。
そう大人びた振る舞いを心がける翼の横で、長島はまた子供じみたドーナツ二刀流をはじめる。
「あ、話はこのまま続けていいですよ。ちゃんと遠巻きに聞いてましたから」
「君タフだね! もろにマネージャーとして無能でダメダメだって言われてたのにさ!」
言いづらいことをはっきりと言われて、翼はぎょっとする。
翼もやんわりと不満を交えることはあっても、初対面の相手にダイレクトアタックでは大違いだ。
しかし長島はケロッとして、むしろ意識的に笑ってみせる。
「いえ! 新米ですから! せめて笑顔と元気くらいは人一倍でありたいですし!」
「うっわ、まっぶしくてやだやだ僕いじめっ子みたいじゃん反省しよ」
意気投合するふたり。
長島の気立ての良さは翼だって理解してる。高望みさえしなければ、彼女でもいいのだ。
そう考えると途端に、翼は子供じみたわがままを言って駄々をこねている気がしてきた。
とても恵まれた環境にいた幸運を当然と思い、ちょっとのことで不満を抱く。
――なんて醜い心であることか。
しかしだからといって、すんなりあきらめるのも間違っている気がする。タレントとしての成功だけならば他にも手立てはあっても、そう、高木音々という個人への思い入れは別だ。
音々と翼は五歳から九歳までの間、二人三脚で羽ばたいてきた長年の間柄なのだ。
未練がましいといわれたって、そう簡単に割り切れない。
いつも聞き分けのよい翼にだって、わがままを言いたい時があっていいはずだ。
「吸血鬼ってんじゃなきゃ、僕の出る幕じゃないんだよねコレ」
光流はオールドファッションドーナツのぽっかり空いた穴を間に通して、翼を見つめる。
「闇の隣人ってのはさ、妖怪や怪異、幽霊と呼んだら“先入観”がつきすぎるってことでこう呼ぶだけなんだけどね。吸血鬼はとくにヒドい。ほら、これ見てみ」
光流は穴のない、ツイスト型のひねりドーナツを掲げる。
「光流おねえさんそっくりです」
「誰がひねくれもんだコラァ! そーじゃなくて、わかる? 穴がないんだよ!」
「あの、翼はまだ未成年なのでえっちな話はちょっと……」
「僕も未成年だよギリで!! 僕にどういう先入観あんの君たち!?」
最初に指なめたせいでしょ、と言いたいが翼はキリがないとやめておく。
光流は天然なのかわざとなのか、他人を勘違いさせることが多い。
中学時代は男女ともにモテたと武勇伝を語ることもあったが、どうせ妙な距離感の近さでそうした勘違いを招くのだろう。なれなれしくて、親身で、あざとかわいい。そして時どき、カッコいい。
うっかり翼だって、その“勘違い”をさせられそうに度々なった程度に光流は悪質だ。
「ドーナツには穴がある! というのは先入観の良い例でさ、ホントは穴のないドーナツがあるの皆だって知ってるのに無意識にまず穴のあるドーナツを思い浮かべるもんだろう? 吸血鬼はドーナツと同じ、この種の闇の隣人は千差万別でややこしいんだ」
「吸血鬼とドーナツ同じでいいんですか……」
たとえ話とわかっていても、相当にイメージの混濁がひどい。
秋の味覚マロン吸血鬼、ハロウィン名物かぼちゃ吸血鬼、天使の白さエンゼルホイップ吸血鬼――。
それらのファンシーな空想が、なぜかあの吸血鬼の少女――神良を飾りつけて目に浮かぶ。
『ひめを食べたい? ふふっ、この食いしん坊め』
甘い誘惑という点では、あながち的外れでないのだろうか。
「僕は過去に五回、吸血鬼と対峙してるんだ。そのうち二回はゴミクズの味だったね」
光流はあむっと乱雑にドーナツに食いつき、千切る。
一瞬、ぞっと寒気がした。
怪物と戦う時の光流の恐ろしさを、そう、その口で“食い千切る”様を思い出したからだ。
「日本は火葬が基本だろう? 吸血鬼の誕生パターンのひとつは死者の蘇り、土葬死体が化けて出るわけだね。“恨みを抱いた死者は死ねない”とか、怨念で動く幽霊みたいな感じさ。――この現代、日本で“恨みを抱く土葬死体”なんて生前なにがあったんだっての。善人か悪人か知んないけど食べない方がいいよ絶対」
「うわ、怪談みたいですねソレ……動く死体なんて怖いですよ」
長島が今更にびっくりしている。が、ズレてる。怖いのは蘇った死体の吸血鬼を“食べた”と何食わぬ顔して話している光流の方だ。
「そんでもう二回はね、吸血鬼といってもレアケース、おばけスイカだったんだ。アレは美味しい」
「へぇ、スイカも吸血鬼になっちゃうのね」
聞き上手の長島を相手に、光流は得意げに語る。
スイカ――。ふと水着撮影でのスイカ割りやスイカのビーチボールを翼は思い出した。
「けっこう由緒正しい東欧の伝承だね。ずっと収穫せずに放置したスイカ、メロンやカボチャも化けるんだ。唸り声をあげて転げ回り、血のような模様がある。そして人の血を吸うんだ。ま、わりかし雑魚だけどね」
スイカの吸血鬼。
――常夏の白い砂浜で、あの吸血鬼の少女、神良がスイカの水着姿でパラソルの下の日陰にいる。
白砂よりも白い肌に、黒と緑のストライプと赤い果肉に黒い種を双方模したワンピース水着になだらかな起伏の乏しい、それでいて育ちかけの瑞々しい肢体を夏の日差しに煌めかせている。
水かけっこをしてはしゃぐ相手は音々だ。明緑のビキニ水着は、あのたわわな胸をあたかもメロンのように演出する。昔、翼をナイトプールに連れて行ってもらった時のように、きっと少し油断のあるボディーを恥じらうことだろう。
『ん、やだ、あんまり見ないで……神良様……』
『はっはっはっ。スイカとメロン、仲良くしようではないか』
そしてイチャコラする二人――。我が妄想ながら無性にイラッとくる翼であった。
(灰に還れバカップル)
夏風になった翼がパラソルをふっとばして、吸血鬼を白日に晒す。
『あっつあぁぁぁぁぁぁぁーーー?!』
翼の空想の中とはいえ、吸血鬼に常夏の太陽はクリティカルヒットである。
翼はすっきりする。
芸能活動で培った想像力の豊かさにはこういう使いみちもあるのだ。
「なんだかハロウィンみたいねー」
「ハロウィンかぁ。闇の狩人としては毎年うんざりするイベントだなぁ……」
「ハロウィンに何かあるんですか?」
「祭囃子に魔はつきもの、ってだけさ。何事もない平和なお祭りにするのが僕らの役目だね」
光流はひとつ食べきり、指先をねぶって。
「三番目のケースはいわゆる貴種、ノーヴルヴァンパイア。お貴族様だね。一番みんなが思い描くイメージ通りのやつ。闇の隣人としても当然、上澄みだね。そりゃもう強いの何の、最強の僕だって手こずったよ」
「貴種……エレベーターの少女もそれでしょうか」
「どうだろう? 僕が対峙したのは外国生まれの老紳士だったよ。どうご立派に自己演出しても計画的に人を襲い、食い殺すような化け物だ。もし貴種の人食い吸血鬼だった場合、君は覚悟をしなくちゃあいけないけど、そこはもう僕に相談した時点で手遅れだと思って恨むなよな」
「覚悟……ですか」
翼は剣呑な、脅かすような光流の言い方に首を傾げる。
「だってそうだろう? 貴種ってのは人を仕えさせる。人食いの手伝いをさせる。配下の人間は化け物の仲間入りしてるか、人間のまま道を踏み外してるか、どのみち最悪のケースは想定しろよ」
光流は緑茶をおかわりして、ごくごくと喉を鳴らした。ぷは、と息継ぎし。
「社長さん、僕に食べられちゃうかもってね」
たらふくドーナツを食べたはずの光流は、そう空腹そうに自らの指をまたねぶった。
貪狼。
光流の二つ名を、翼は今更に思い出しては心を凍てつかせる。
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