記C3.探偵カミラ コーヒーホームズ
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お風呂上がりの一杯にコーヒー牛乳をくぴくぴと。
火照ったカラダにすーっと冷たく甘苦い香ばしさが染み渡っていく。
「くぅー……!」
パジャマに着替えた音々は冷蔵庫の扉を開けたまま、紙パック入りの甘めのコーヒーと牛乳を2対1でブレンドしてもう一杯おかわりする。グラスに満ちた氷の山が、淡褐色の液体に触れてからんと溶け崩れる。
ガラス細工のマドラーで氷とコーヒー牛乳をかき混ぜ、これをまた音々はごくごくと飲み干す。
「はぁー……キンキンするわー」
そんな開放感に酔いしれる音々のことを、同じくパジャマの神良と勝利があ然とながめる。
「そこ、おかわりするんだ……」
「ゆえに音々は太るのじゃ」
氷入りのグラスより冷たい言葉の矢が音々を襲った。
「しかし音々は吸血によって血を失っておる。水分と糖分を補っておいて損はない。ひめは健康に差し支えぬ範囲ならば、太い方が好みじゃしのう」
「うう、お気遣い痛み入ります……」
暗に音々は太いといわれている。今しがた三人ともバスルームでお互いの裸体を見て触ったばかりなのだから言い逃れようがない。それに神良の好みだといわれると気休めにはなる。
しかし勝利にも太いと認識されているのは不本意だ。音々よりは一回りこそ小さいが、あちらも“神良好み”のクセに。
神良曰く、どうも“細い”と吸血するときに体調を崩さないか不安になるらしい。
「に、にらまれてる……!」
「これこれ音々よ、いかにそなたが【猫の眷属刻印】の継承者とはいえ【鼠の眷属刻印】の継承者である勝利に左様な振る舞い、ベタすぎぬか」
「……そう、それだわ! いつのまにこの子を眷属にしたの! ちゃんと同意は?」
冷蔵庫前でぐっと迫る音々。
「シャワーで殺される直前にじゃ。こっちは同意の上でじゃぞ、なあ勝利」
そう問われて、勝利は引っ込み思案らしく言葉ではなくぶんぶんと首を縦に振って返事した。
「え、えとね」
もじもじとうつむき、気恥ずかしげに両手の指先をツンツンくっつけながら勝利は言葉する。
「吸血や眷属は、その、神良ちゃんの助けになりたい、仲良くなりたい、て、思って……」
それは梅雨の庭先に咲いた紫陽花のような微笑みだった。
――負けた気がする。
決定的に、音々の失ってしまった大事なものの差で。乱雑にいえば、ヒロイン力の差で。
「まさかその、山口……さん、あなた神良様のことを」
「大切な、お友達だと想ってます。だ、ダメでしょうか……」
ちらと神良を見やる。にまにま楽しげに笑うだけ、この問いは音々に答えさせたいようだ。
大切なお友達。
――主従関係はその延長線上だとして、それはつまり、そう。
「あなた、“こっち側”じゃないの!?」
「は、はい。まだ“そっち側”じゃないと思います、はい……」
「つまりつまり――私、あんなものをノンケの子に見られていたってこと!?」
沸騰する音々。
神良は意地悪にもくふふと口元を抑えて爆笑しそうになるのをこらえている。
吸血の一部始終を、一般性癖な少女に見られてしまった。これは同類に見られるのとは大違いだ。
「にゃなな! なんてことするんですか神良様!? フツーの子に! 性癖が歪みますよ確実に!」
「新境地の開拓、よいではないか」
「よくありません! 気軽に人を堕落させようとしないでください性癖の悪魔ですか貴方は!」
「恋しき者を愛することのなにが堕落や退廃じゃ! 聖書なぞ異郷の戯言にすぎぬ!」
「あ、あの、わたしはケンカは……」
「苦労するんです、何かと! 私がどれだけ恋愛で苦悩したことか!」
「そなたの女色は天然ではないか! レズ風俗の名刺こっそり財布に忍ばせておるクセに!」
「なっ――!!」
音々は絶句した。
ご同輩の神良だけならまだいい、純粋無垢そうな勝利の驚きに満ちた眼差しがつらい。
『オトナだぞ。花街通い、ごほうびに』
音々、心の詩。
神良はねっとりと這い寄るように近づき、30cmの身長差で真下から見上げてくる。
「ひめは構わぬぞ? 芸事と色恋沙汰は古今東西、縁が深いものじゃ。浮名を流すは役者の誉れと江戸時代には言ったものでな、そなたが清廉潔白である必要はないと心得る。ひめもかような幼き見目でなくば試してみたいくらいじゃ。――しかしまぁ、要するに音々よ、そなたは勝利にばかり恥ずかしいところを知られて不公平だと想っているのであろう?」
「え、ええ、まぁそれは……」
「ん、ん?」
観客席にいるものだと錯覚していた勝利に飛び火する。音々も都合がいいので話を合わせる。
不穏な空気に恐怖する余り、ふるふるとバイブレーションする勝利。
冷蔵庫の下には勝利の買い物トートがある。それを神良が物色すると勝利が更に青ざめた。
「ほう、吸血鬼ものが二冊かや」
BLとGLが一冊ずつ。表紙を見るに、よく知らない音々にもエロ小説だとわかる。
哀れ、勝利。でもちょっと音々は気分がよい。
「あ、わ、わ」
「ひめのことを意識して参考書代わりに買ったとみえるが、オナゴ同士はさておきオノコ同士まで買うのはそなたこっちが本命じゃろうて? 片や第一巻、片や第六巻ではなぁ」
「オワタ、終わった――」
へたりこむ勝利。勝利の霊魂がふよふよと口から抜け出るのが音々にも幻視できた。
死屍累々である。
しかし虐殺者の神良は何食わぬ顔して話をつづける。
「さて音々よ。そなた、これをみて勝利のことをどう思う? 言ってみよ」
「神良様サイテーです」
「うむ、よろしい。即ち、他人の好みをとやかくいうのは無粋なわけじゃ。そして存外、お互いの趣味を知ったところでそなたら相手を嫌いになりはしておらぬじゃろう?」
問われて、音々は勝利と互いに顔を見合わせた。
「ええ、まぁ。今時たかがBL本で大騒ぎするものじゃないわね」
「わ、わたしも、神良様にとろとろにされる音々さんのこと、素敵だと……思いました」
素敵。
その表現はどうなのかと叫びたいが、勝利の赤面ぶりにつられて音々も顔を真赤にして黙る。
山口勝利という少女はきっと恋愛観の境界線上に立っている。
そして神良のことを拒んだのは性別の問題ではなくて、おそらく、純潔の問題なのだろう。
「そっか、私、あなたの先輩なのね」
「せ、先輩……ですか」
「そう、眷属の先輩、恋愛の先輩、人生の先輩。じゃあ、吸血されてるところ見られちゃったのは“お手本”ってことで納得しないとね」
そっと音々は手を差し伸べて、勝利に握手を求める。
勝利はおずおずとして神良を見やるが、黙って見守るのみなので観念したのか、片手を差し出す。
音々は両手で、ぎゅっと勝利の手を包んであげた。
「よろしくね、勝利ちゃん」
「こちらこそ、よろしくおねがいします……音々先輩」
ぎこちなく笑ってくれる勝利にほほえみ返しながら、音々は、心あったかくも痛感する。
これは手強い後輩だ、と。
「仲良きことは美しき哉! これで一件落着じゃ。かんらかんら!」
神良はご満悦な様子で大仰に笑っている。解せぬ。
あれだけ音々と勝利の秘密を暴いておいて、ひとり無傷とはお奉行様も黙っちゃいない。
「ねえ勝利ちゃん聞いてくれる? わたしのおばあちゃん、先代の猫の眷属だったの」
「ね、猫さん」
「今から六十年前くらいかしら。神良様ね、おばあちゃんが嫁入りした後もちょくちょくこっそり顔だして、人妻に血を求めては断られたらしくて」
「ええ……」
「ぬが! 小春のやつ、そんなことを孫子に言っておったのか!?」
「母乳は血と成分が近いと言いくるめて、神良様、血の代わりにおっぱいを吸ってたんですって」
「ええええ……」
「やめ、や、やめるのじゃ。それ以上は……!」
「しかも時々、赤ちゃんみたいに甘えて、ね」
六十年越しの凶弾。
「小春あやつめぇぇぇーーーーー!?」
してやったり顔の音々。
あきらかにドン引きしている勝利。
精神的死亡により絶命せぬまま灰になり魂が昇天する神良。
吸血鬼の弱点がまたひとつ、この世に増えた。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
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