記C2.エンヴィーエムブレム 焦炎の軌跡
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反省会。
浴室のマットに体育座りする謎の少女とミニマム神良を、着替えもままならぬ音々が見下ろす。
これから家主としてお説教しようという構図だ。
「ほう、透けたシャツの張りついた音々の乳房はなかなか乙じゃのう」
「ごまかされませんよ!」
「ちぃ! 何じゃ、ひめは今しがた死なされた被害者じゃぞ! すこしは優しくせぬか!」
「どうみても加害者でしょう、悪代官ですか神良様は」
「むぐぐぐ……」
言い返せないちま神良から視線を、謎の少女へと移す。
じっくり見てみると、なるほど神良が選ぶだけはある美人さんだ。おどおどした仕草は小動物っぽくもあり、保護欲をそそられる。守ってあげたいタイプだ。同時に嫌われがちでもある。芸能界では引っ込み思案、自己主張が弱いといった特徴は不利に働きやすい。等と、つい業界目線になる。
――ところで謎の少女が怖がっている対象、どうみても音々ではないか。
「わたしは高木音々、この家の持ち主よ」
「やややや、山口 勝利と申しあげたてまつります! ご、ごめんなさい……」
バスタオル一枚を巻いたまま申し訳なさそうにする謎の少女――勝利。
状況を整理したい。
「確認します。貴方たちふたりは浴室で“何か”をしていた。で、無理やり事に及ぼうとしたサキュバスの神良様を止めようとしてうっかりシャワーを浴びせて死亡させてしまったわけね」
シャワールームで殺人鬼に襲われるホラー映画は見たことがある。
シャワールームで吸血鬼が殺されるホラー映画は見たことがない。
「流水に弱いという吸血鬼の伝承を知っていても、まさかそこまでとは思わないわよね……。私もついうっかり神良さまを死なせちゃったことがあるから同情しちゃうわ」
「つい、うっかり死なせた!?」
ダン! と壁に背を打ちつけるほど勝利は後ずさって「あいたた!」と勝手に痛がる。
「あなた私のこと何だと思っているのよ?」
「ヴぁ」
「ヴぁ?」
「ヴァンパイア・ハンターさん、ですよね?」
音々、ヴァンパイア・ハンターにされる。
神良のことをしなる鞭でひっぱたき、聖水をぶっかけ、十字架を投げつけ、聖書の角で殴打する。
そういう音々には不本意な想像でもされているのだろうか。
「何をバカなことを、私がハンターだなんてなぜ――」
「そなた――ひめを騙していたのか!?」
神良、真に受ける。
「先日電話口で『狩猟』やら『ハンター』やら『一狩り行こう』等と言っていたがよもやよもや!」
「おばあちゃんとゲームで遊ぶ約束してたんです!? 巷で定番のドラゴンを狩るゲームがですね」
「ど、ドラゴンスレイヤーじゃと!? ひめを竜の子、ドラキュラと知ってのことか!」
「あ」
だだっ広いお風呂場の片隅に、被害者の勝利だけでなく加害者のちま神良まですみっこぐらし。
めんどくさいが、これはこれで怯えるふたりが可愛い気がしてきた。
「……で、本題ですけど、おふたりは“何を”していたのかしら」
「本番じゃ」
「してない!? そこまではしてないよ神良ちゃんっ!?」
「――神良“ちゃん”? 今、神良様のことを軽々しくそう呼んだけど、聞き捨てならないわね」
「ぴゃいっ!」
猫の尾を不機嫌そうに揺らして、音々はつい勝利のことを睨みつけてしまう。
神良の吸血ハーレムは許容する。しかし吸血ハーレムの頂点に君臨する神良を、軽々しく“ちゃん”と呼ばれるのは普段彼女を“様”と呼ぶ音々には納得しがたい。しかも年下の勝利がだ。
滲み出る音々の殺気に、「はわわわわ!」と勝利は恐怖する。
それはもうまったくもって、ネコに追い詰められたネズミの如しだ。
「神良様は悠久の時を生きる尊きお方! あなた神良様の何なのよ、説明して!」
「それは、その、わた、わたしは……」
涙ぐみ、うろたえる勝利。
それはそうだ。“事”に及ぼうとした神良の好意と行為を拒絶してしまったのだから説明しがたいのも無理はない。音々が望んでやまない寵愛の一時を、勝利は無下にしたのだ。
せめてはっきりと、神良のことが好きか嫌いか程度は確かめないと音々は気がすまない。
(――こんなに嫉妬深いのね、私。少し、嫌われちゃうかしら)
そう後悔しながら神良の表情を確かめようとすると、彼女はもう、眼前10cmに近づいていた。
かぷっ。
音々は鼻先を、不意に吸血されてしまった。
音々の戸惑っているうちに神良は少量の血を奪い、元の大きさに戻る。
一糸まとわぬ裸身。湯の火照りもなく冷ややかで汗水の流れぬ白肌がそっと折り重なってくる。
ひやりと、神良の美しさと恐ろしさに音々は寒気がした。
神良の瞳は何も物語らず、ただただ澄み渡っていた。
「音々よ、ひめはここじゃ」
ポンポンと背中をやさしくはたかれて、音々はまんまるになった。
なんのことはない。
ただ求めていたものが得られずに、機嫌が悪かっただけなのだと音々は思い知らされる。
いざ神良の抱擁に包まれてしまえば、なんて幼稚だったのかと音々は恥ずかしい限りだ。
そう、慈母のようなぬくもりに安堵した音々の心に――。
「理解せよ。そなたは“煩い”に血が滾る女じゃ」
――悪魔がささやく。
煩い。
恋煩い。
心の苦しみ。悩み。神良は自らあえて音々のことを苦しめて、次なる悦びに導く。
三日間のおあずけも、勝利という恋敵も、音々により深い情動をもたらしてくれる。そう神良は己に都合のいいことを美辞麗句にして納得せよといってくる。
しかし音々は悪魔の誘惑を否定できない。
何事もなく毎日のように血を捧げていた別れ際より、今はずっと神良が恋しくてたまらない。
飢餓と渇望。
『潤いを一番に感じるのは乾いている時よ』
見事そう告げた通りの心境を味わい、音々は今、神良という主人に“躾けられて”しまった。
音々がハンターとして吸血鬼に裁きの鞭を打つだなんて、夢のまた夢だ。
「そうも悔しくば勝利に好きに見せつけるがよい。そなたの艶姿をな」
音々の猫の眷属刻印をぺろりと舐めて、神良は、勝利のことをちらと振り返った。
勝利は我を忘れて恍惚とした眼差しで、これからはじまる音々と神良の行為を心待ちにしている。
左ふとももに歯牙を這わせ、神良は演奏前のバイオリン奏者みたいに厳かにその時を待つ。
「先にふたりへ謝っておく。勝利よ、そなたの心の堅牢さをひめは舐めておったのじゃ。すまぬ」
この土壇場で、この体勢で、よりによって勝利に謝るのだから音々はじれったい。
「わたしの方こそ、ごめんなさい。こんな自分のことでも大事に、ちゃんと考えたくて」
「それはそなたの美徳じゃ。ひめは大好きじゃぞ」
「神良ちゃん……オトナだね」
大好き。大好き。大好き。
それを今、これからな時にわざと言うんだから音々はもう泣きたいし怒りたいし焦れったい。
そして頃合いを見計らい、神良はやんわりと音々を浴室マットに押し倒す。
浴室で、仕事着のワイシャツのまま背中をぐっしょり濡らすハメになるだなんて――。
「音々よ、そなたに謝ることは――」
くすりと悪戯げに笑って、神良は言葉遊びを放棄した。
音々の左足を抱きかかえて、太腿の内側に尊顔を埋める。神良の吸血はより深化する。
線香花火が瞬く。
心の夜闇に、パチパチと小輪の火花が咲き乱れる。
心身がじっくりと、時間をかけて燃え尽きていく。爆ぜていく。失っていく。
遠くの夏祭りの夜空に打ち上がる大輪の花火よりもずっとずっと、線香花火こそ相応しかった。
仕事や日常の嫌なこと、我慢してたことがパチパチと火花散らして昇華されていく。
いたいけな見知らぬ少女が、そのさまを目に焼きつけている――。
「んっ、あ、あんっ。神良様、私こんなの初めてで……ひゃぐっ!」
季節外れの線香花火が萎んでいく。
吸血がもう、終わるのだとわかって切なくなる。
何度か経験して、音々にもすこし理解できたのは、吸血の快感はピークが最後にこないこと。谷を描くように、噛まれた瞬間と流血が一番激しいタイミングに二回の頂がある。
枝分かれする快楽の火花が散りゆき、最後に、火の玉がじゅっと燃え尽きる――。
終わりの余韻、牙を引き抜かれる名残惜しさはそう、まさに線香花火のようで。
最後が一番、恋しくなる。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!
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