記B7.バスタイムパラダイス2(ちゅー)
○
「ぎゃわわわわわわわ……!」
シャンプーの泡を流すため神良にお湯をちょろちょろゆっくり風呂桶から注ぐ。
一気にばしゃっと浴びせた時とは、またちがう弱り具合だ。
勝利は食後の流れで入浴を誘われて、またもや神良といっしょにバスタイムを過ごすことに。
神良は風呂こそ好きでも流水嫌いなので、勝利に手伝ってほしいのだそうで。
「はうわわわわわ……!」
(ちっちゃな子供みたいでほっこりしちゃう……シャンプーハット似合いそう……)
割烹着スタイル神良とはまた違った幼気な魅力のあるバスタイム神良。
大人と子供を行ったり来たりする不思議な雰囲気、落差がなんとも可愛げに繋がっている。
ほっそりとしつつ適度にむにっとした神良のおなかを、泡まみれの手でこしこしさする。
(うう……、さわってるとフワフワしてくる……)
吸血という経験、仲良くなりたいという気持ちのせいか、勝利の心はほわほわ泡立っていた。
前回と違い、神良とより親密になりたいという心理がブレーキをゆるめている。美少女吸血鬼の生肌にじっくり触れられる誘惑、得られる浮遊感はとてつもない。
(落ち着こうわたし……! 相手は“おんなのこ”なんだから!)
勝利を襲う高揚感はあくまで吸血鬼ならでは、神良だからこそのものだと信じたい。
創作物や他人事としての「女同士」には理解があっても、勝利の自己認識はあくまで“普通”だ。
その“普通”の範囲内ではつまり、神良にならば誰だってドキドキしても仕方ない、不可抗力だという言い訳が立つ。例外中の例外、勝利の守備範囲外にある特例なのだ。
(いや、それ結局やっぱダメじゃない!?)
「そそそ、それにしても広いお風呂、だよね!」
「ん? それはまぁ、そなたのボロアパートと比べればなぁ」
話題転換。
ここは豪邸だけあって、浴室も豪奢だ。床もバスタブも、大理石っぽい。三人くらいはゆったり浸かっていられる浴槽の広さ。大きな窓からは夜空の星々を眺めることもできる。
家庭のお風呂というより旅館の家族湯みたいだ。
「さて勝利よ、今度はそなたの番じゃ」
「……ぴゃう?」
「ひめが洗ってやる。かしこまってもてなしを享受するがよい」
「いやいや! この間は何もしなかったのになんで急に!」
「前回はそなたの不始末を償わせたにすぎぬのでな。今回はもてなしじゃ。拒否権はない」
「お、おてやわらかに……」
攻守逆転。
風呂椅子に座らされた勝利。神良に、吸血鬼に背後をとられると不安と期待に胸が高鳴る。
(へ、変なことされないよね――!?)
そう身構えていた勝利の背中を襲ったのはたっぷりのお湯だ。
「ぴゃ!?」
「何じゃ大げさに驚きおって。カラダを洗うにはまずかけ湯と決まっておろうに」
「だよね……」
(言えない。神良に触られる想像ばっかりしててかけ湯を忘れてたとか絶対に……)
いざ実際に背中を洗われるとき、神良は手ぬぐいを丹念に使った。
「て、手ぬぐい、素手じゃないんだ……」
「そなたは素手派か。ひめは布派じゃ。どちらがよいかは昔から議論が尽きぬと聞く」
「あはは……。わたしもタオル使えばよかったかな」
今にして振り返ってみると、まず神良に触りたさありきで勝利は素手洗いを選んでしまっていた気さえしてくる。魔性すぎて怖い。
「あ……なんかほっこりする……」
手ぬぐい洗いのちから加減は強すぎず、背中がじんわり心地よい。とてもくつろげる感じだ。
そう勝利が油断していると不意にしゅるりと脇の下を狙われる。しかも念入りに。
「ぴゃう!? そ、そんなところ……」
「吸血鬼のひめとちがってそなたは人間、脇や胸、指の間などは汚れが溜まりやすいからのう」
「え、ちょ、ま、きゃひん!?」
勝利はあられもなく、宣言通りのところを手ぬぐいとはいえ神良に一から十まで洗われてしまう。
脇や胸はまだいい。神良によって足の指の谷間まで残さず磨かれてしまったことの方が強烈だ。学生時代に豊かな胸をイタズラに揉まれるなんて経験はあっても、脚先まで洗われるのは家族にもされた覚えがない。
(ゾクゾクする……! 高貴な吸血鬼の神良が、よりによってわたしなんかの足を!)
これはもう、かえって反則めいている。大事にされている、という感じに酔いしれてしまう。
神良はいくらでも勝利の好きなところに触れる機会があるというのに、あえてそうはしないのだ。
「そなたは美しい。が、まだ己を磨けよう。長らくその必要を感じぬ暮らしぶりが続いていたようじゃから無理からぬことであるが――」
勝利の膝裏をこしこし手ぬぐいで洗いつつ、神良は上目遣いでねっとりと言葉する。
「ひめと暮らさば、そなたも変わりたくなろうぞ」
蠱惑のささやき。
同棲のお誘い。一歩前進することは覚悟していても、三歩進めてくるとは思わなかった。
「どどど、同棲……!? いっしょに暮らそうってこと?!」
「そなたの生活環境はひどい。ボロい家に薄い壁、あれではそなたの好きな音楽にも苦労しよう。食生活も不健康、衣食住いずれも貧乏と無精にかまけて劣悪じゃ。ついでに炎上騒動で住所も割れておるとなれば、ここでひめと暮らした方が百倍よい」
「あ、そういう……」
三歩進んで、二歩下がる。
お互いの距離感が掴めていないのは勝利の方であって、神良はけっこう慎重なのかも。
すっかり舞い上がってしまっている自分に勝利はうんと恥ずかしくなる。
「そなたはひめに血を捧げる。ひめはそなたに多くを与える。我が眷属としての契約じゃ」
「け、眷属」
バスタイムの無防備な泡まみれな勝利を、神良はたっぷりともてなした上で切り崩してきた。
おいしいごはんにあったかおふろ。
おふとんが恋しくなる手前で、この家で暮らさないかと提案してくる。
これが悪魔の誘い文句だといわずして何だというのか。
「そなたが眷属として履行せねばならぬ義務は二つ。ひめに血を捧げること。ひめに忠義を尽くすこと。しかしそなたのすべてを求めはせぬ。吸血はそなたに負担がないように計らい、ひめに仕えるというのももっぱら生活の手伝いじゃ。飽きたら自由にそなた側から契約の解除もできる。多少ひめのわがままに振り回される覚悟はしてもらうが、十分な利点もある」
「……り、利点」
今はもう、猜疑心のやや強い勝利であっても神良にならば騙されてもいいという心境であった。
ずるい。とにかくずるい。
神良はきっと勝利の一挙一動を元にして、まるっとお見通しなのだ。
「そなたの望みを叶えよう。魔法の類いではなくて、ひめにできる些細なことに限るが善処する。このように衣食住くらいは保証する、悩みごとがあれば相談にも乗ろう。存分に愛でられる喜びを噛み締めて、高貴なる者の授ける薫陶を知ることができる」
小難しい言い回しより、じっと見つめてくる神良の眼差しにぐらっと意識が揺さぶられる。
妖しい輝きに魅了される――。
精神の均衡を無理やり傾けられている。そう直感が訴えても、逆らう気がまるで起きない。
魅了の魔性がなくたって、もう、はなっから断る理由が勝利にはなかったというのに。
「不安なの……?」
「なっ」
ぽろりと勝利がこぼした一言に、神良はいたく驚いた表情をみせる。
きっと魅了のせいだろう。気づけば、勝利はぎゅっと神良のことを抱き寄せていた。
尊大で絶大な吸血鬼の、とても小さな肩に手をまわして。
「神良ちゃん、ホントは寂しがり屋さんだよね。わたしが断らない理由をこれだけ用意しても、まだ不安だったんだもん。だいじょうぶ、だいじょうぶだよ」
「なにを、わかったような口を利きよってからに……」
そうはいっても、神良は抱擁を拒まない。
こうも小生意気なことを言ってしまって今更だけど、寂しがっていたのは勝利もだ。
「さぁ神良姫様、わたしを、どうかあなたの眷属になさってください」
ちょっと芝居がかり、勝利はムードに酔って宣誓する。
神良がまたカリスマモードを取り戻そうという直前、瞳を潤ませ嬉しげだったのを見逃さない。
「後悔はせぬ。とくと寵愛の悦びに甘えるのじゃ」
甘美な痛み。
左ふとももに噛みついた神良は吸血に伴い、眷属の刻印を遺す。
かけ湯を浴びてほんのり火照っていた勝利の肢体が、沸き立つように熱くなる。血が巡り、そして奪われることで冷めてもいく。
二度目の吸血はより濃密だった。より深く、神良という素晴らしい何かとひとつになれた歓喜を噛みしめるということもある。
ごく単純に、あの時よりもっと神良のことが大好きでならないというだけでもある。
吸血という快楽行為も病みつきになってしまいそうだけれど、心から誰かに愛されるという快感はそれを凌駕する気がする。
「あ、神良さまっ……! んっ、もっと、痛くしてもいいから、強く……!」
「神良ちゃんとは、今は呼ばぬのか?」
「はぁはぁ……。だって、だって! 今は“神良さま”って感じだから不可抗力だもんっ」
大理石の豪奢な浴室に、艶声がよく響く。
――鼠の眷属刻印。
左腿に神良によって刻まれた熱情と寵愛のしるしを、なるだけ大切にしたいと勝利は心に誓った。
毎話お読みくださり誠にありがとうございます。
ふたりめのヒロイン、山口 勝利編は一段落となります。
次回からはご無沙汰のあの子が……?
そしてここまでの各話サブタイトル、あなたはいくつわかったかな?
もし面白かったと感ずるならば、そなたの血を捧げるのじゃ!
こほん……、もとい、感想、評価、ブックマーク等お待ちしております。




