第18話 『幕間 其の弐』
ここ一日二日は、まるで、あの山の古寺で過ごした日々のようだった——。
床についたジュウベエは、本日の出来事と共に、山中の古寺の毎日を思い返す。
毎日の暮らしの仔細なところまで、修練の一環と見なし、食事の折りも正座にて背筋を伸ばし、優雅に戴く。
いつ如何なる時であっても、周囲に神経を張り巡らせ、気を抜かずに過ごすということを旨とするジュウベエ。
事実、道場で初めて剣を握った日より、免許皆伝を受けたその日を含め、それは今でも変わらない。
周りの者に、己の弱みを見せまいと、日々の暮らしは出来得る限りは、己ひとりで過ごしてきた。
決して同門の門下生たちとは、互いに心を開いていない訳ではないが、その強さ故に距離を感じてしまう性分であった。
しかし、師に命ぜられ、山寺で奇妙な坊主と過ごした毎日を経て、それらに対しての受け止め方が少し変わったのだ。
坊主と寝食を共に過ごし始めた当初は、昔の自分が見たならば、なんと自堕落な、と今の自分を責めたのだろうか。
何か奇妙な違和感を感じていたものだったが、山を降りる頃には、これが自分にとっての自然体なのだと思えるようになった。
これまで行っていたのが、技を磨く鍛錬だとすれば、今は心と身体を磨く修練の最中であるとでも言えようか。
それにしても、妙な連中と旅をすることになったものだ——。
ミトという、あの娘の冒険心は本物だ。更なる広い世界を求めて旅に出たのは、自分と何ら変わるところはない。
修行の旅というのならば、僭越ながら自分の知る剣術の手解きをしても良いとさえ思える。
だが、今日のように危険を伴う、戦場に連れてゆくのは、正直に言って戸惑いを隠せない。
確かに、妖の恐怖を乗り越え、自身を取り戻したのは、彼女の成長と呼べるものであるのだが。
野生の獣のような身のこなし。最初に見せた警戒心。次いで見せる裏表のない瞳。
あの娘が我々のような者に寄せてくれる、信頼や信用を決して裏切りたくはない。
いつの間にか、昨日今日知り合ったばかりのハンゾウのことも、己と共に『我々』と考えていることに可笑しくなる。
ハンゾウと名乗る、あの男は胡散臭いこと甚だしい。しかしながら、あの身のこなし、妖討伐の手管は徒者ではない。
剣術はおろか、刀にも疎いようだが、何か別の武術を修めていることは間違いない。しかもかなりの使い手に見える。
下級の冒険者と自らを称しているが、昨日今日の振る舞いは、どう見ても公儀の役人のそれだ。お上直属の隠密の一員と告げられても不思議ははない。
ジュウベエは、僅かばかりだが見知っている、必要とあらば人が相手であっても、手にかけることを迷わない彼らのことを思い起こす。
しかし、ハンゾウの目は、彼らとは違っていた。そう簡単に人を殺めるなど到底できそうもない目をしている。
わたしには迷わず刀を抜いて斬れ、と言っておきながら、自分は命を狙う男を、生かしたまま捕縛してきたのだ。
ハンゾウの放つ気配は、あの時の坊主とも似ていた。
ジュウベエは再び、あの坊主のことを思い出す。
山中に籠もり、気がつけば、季節が一巡りしていたある日。
これでもう暫くは、妖もやってこんじゃろう——。
妖退治はすっかり、わたしに任せ、土を捻っていた坊主が山の向こうを眺めてそう言った。
ワシは、もともとは鍛冶師じゃよ——。
山を降りる道行きで、その坊主は驚くべきことを、わたしに告げた。
この修行のため、師匠から賜った、その刀を打ったのは自分だと言ったのだ。
木刀にしては立派過ぎる、しかしやはり一本の木刀にしか見えないその刀。
刀身のみならず、柄から鞘から全部拵えるのがワシのやり方じゃ。これはその中でも会心の出来じゃ——。
得意気に語る坊主に、刀であるならばと抜いて見せようとしたものの、わたしにはその場では抜くことはできなかった。
まあ、そのうちお主にも抜けるじゃろう。それより次に来た時には、お主のために久しぶりに腕を振るってやっても良いぞ——。
刀が抜けなかったわたしを、あの坊主は、それを然程気にする風でもなく、気楽な様子で山の麓まで見送ってくれたのだ。
ジュウベエがその刀の抜き身を目にしたのは、道場に戻って来てからであった。
修行達成の証として持ち帰った妖石の詰まった大きな革袋、そして預かった刀が道場上座に座する師匠の前に置かれる。
一礼して、場を辞そうとするわたしを、そこに座るよう促すと、師匠は革袋を一瞥すると、その刀を取って腰に差した。
すらりと抜き放たれた、初めて目にする刀身は、しっとりと朝露に濡れたかのような質感を湛え、美しく煌めいている。
師匠は、その無骨な身体と面構えからは想像もつかない、握る刀に負けず劣らず美しい、まるで一差しの舞のような演武を見せた。
演武の最後に、革袋に向けて、大上段から刀を振り下ろす。刀は確かに袋を真っ二つにしたかに見えたのだが、袋には傷ひとつなかった。
師匠が、刀を一振りして鞘に戻すと、まるで妖石が輝いているかのように、袋の内側から煌煌とした光りを放ち始める。
自分の家名のように、春先の青々とした柳の葉のような鮮やかな緑色の光は暫くの間、師匠とわたしを照らし続けた。
袋を開けてみろ——。
言われるがままに、袋の口を開け中を覗くと、あのどす黒かった妖石は、一つ残らず透明な輝きを放っている。
そのうち、お前にもできるようになるだろう——。
そう言うと師匠は、再度わたしに刀を差し出し、にやりと笑った。
刀を受け取ったわたしは、師匠にその場で免許皆伝を告げられたのだが、どうにも腑に落ちないものが残る。
数日間考えた後、師匠に免許皆伝を受けるのは保留とし、修行の旅に出る旨を伝えた。
わたしの師匠であり、また父親でもある彼は、朝早くから門下生をを集め、盛大に見送ってくれる。
こういうところが苦手なのだ——。
わたしの呟きは、終ぞ師匠には届くことはなかった。
ジュウベエはふと起き上がり、枕元の刀を取ると、片膝立ちで刀を抜こうと試みる。
しかし刀は、人智を越える力を以て封印されているかのように、抜けることはなかったのであった。




