第8話 『ドコいっちゃったのかしら』
「はっ!」
二階の窓から飛び降りたミトはキレイな着地を決める。
そのまま冒険者詰所の裏庭を駆け抜け、表通りに回り込むと出入り口に飛び込んだ。
酒保に向かってみたが、ふたりの姿はない。詰所の中をうろうろと探し回るものの、どこを探してもふたりの姿は見当たらなかった。
「ふたりとも、ドコいっちゃったのかしら」
途方に暮れて、出入り口から表の通りを眺める。通りは、いつもの賑わい。行き交う人々の声も姿も絶えない、ありふれた光景。
はっと、何かに気づいて振り返る。詰所がやけに静かなのだ。いつであれば少なくても数人の冒険者たちが屯している筈なのに。
「ああーっ、何よー、聞いてないよー。ふたりして、先にいっちゃたんだ。ずるーい」
どこぞの姫様にしては口の悪いミトは、ここへきて漸くコトの次第を悟った。
ずんずんずんずん、と憤懣やるかたないミトが、大股でふたりを探しながら歩いていると、目に留まったのは昼前に立ち寄った飯屋。
「アタクシと一緒だった二人組を、この辺りで見かけなかったかしら」
内心の腹立ちを隠し、精一杯の愛想と、姫様らしさを込めた笑顔と声を振りまくミトである。
「おお、あんたは、さっきの食いしん坊さんか」
食いしん坊呼ばわりに、がっくりと肩を落とすミトに、親父は人の良さそうな笑顔で応える。
「ああ、あのふたりなら、だいぶ前に店の前通ったよ。あっちの方へ」
通りを指差し、教えてくれた親父の足下の箱に何か異様なモノが入っているのを見つけた。
赤黒い大きな頭だか胴体だかから長い脚が生えているそれを、座り込んだミトは、おそるおそる指先で突っついてみる。
「それはタコだな。近場が不漁なんで、ちょっと離れた浜から干したやつを仕入れてきたんだよ」
森の民とはいえ、都育ちのミトは脚の多い生き物は苦手だった。森で突然足下に現れた百足に飛び上がった記憶が蘇る。
「それは干してあっから、縮んじまってるが、本当はもっとでかいんだ。で、ぬるぬるした八本の脚を……」
手をくねくねと動かして、タコのような仕草をする親父と、足下の干しダコを見比べて恐怖におののく。
ミトは、ぬるぬるしたものも苦手だった。やはり森で蛞蝓の群れを見つけてしまい、腰を抜かした記憶が蘇る。
すっくと立ち上がり、挨拶もそこそこにその場を後にする。食べると美味いんだよ——。背中に掛かる親父の言葉もミトには届かなかった。
○ ● ○ ● ○
ハンゾウは、浜の村に続く道をその手前で大きく逸れ、妖が出るという磯を直接目指す。
海岸線に沿って植られている松林を横切り、林から既に始まっている浜を駆け抜け、波打ち際へと辿り着いた。
暖かい初夏の日差しに照らされ、静かな波が寄せては返すこの風景は、日頃妖が暴れまわっているとは信じられない穏やかさを湛えている。
辺りを伺うと、遠くの岩礁に何人かの冒険者らしき者たちの姿が見えた。浜を走り、彼らの元に駆けつける。
あの町所属の冒険者の混じって、隣の宿場町の冒険者であろう者たちも見える。彼らの羽織に着いている紋章が、あの町のものとは違っていた。
ハンゾウの姿に気がついた、この混成討伐隊の頭と思しき男が、指揮下の者たちに臨戦態勢の維持を命じると、こちらに軽く会釈して近づいてきた。
男は手短に、追っている妖の動向、これまでの被害と現状を説明する。しかし、先行して妖に挑んだ、この町の冒険者の大半は戻ってはいない。
隣町の冒険者、何とか無事に戻ることのできた探索隊や、先発隊の報告を纏めると、ハンゾウの考えていた通り、ただ大きなだけの妖ではないようだ。
「で、あれがヤツのねぐらか」
ハンゾウが指し示した先は、自分たちの立つ岩場から海を隔てた場所で波に打ち付けられる、大きな岩山だった。
「もう少し経つと潮が引きますんで、歩いて渡れるようになると思いますぜ」
答える冒険者に頷き、よく見れば、成る程岩山中央の波打ち際辺りには、小さな洞穴のような穴が半分ほど見えている。
「この辺りは、急に潮の流れが変わるせいか波が荒い。足下もゴツゴツした岩の上だ。潮が引き切ってから突入だ」
ハンゾウの言葉に、皆いっせいに応え、岩山の洞窟を睨みつける。
その時、晴れていた空が一天にわかにかき曇り、生暖かい風が吹き始めた。
こりゃあ、一雨くるかもしれんな——。待機していた冒険者の誰かが呟いた。
○ ● ○ ● ○
ジュウベエは、麓にあった山の名前や行き先などが彫り込まれた塚の前で、ずさっと地を踏み締め立ち止まった。
山頂の方を仰ぎ見れば、その付近は黒い霧のようなものに覆われ、この辺りも不気味な程の静けさに包まれている。
彼は、山頂そしてそこを越えたところにある町に続く一本道の緩やかな斜面を、一歩一歩登り始めた。
おかしい。鳥や獣の気配がしない……。あの修行の時でさえ、山中の道では獣たちが、ジュウベエを狙っていたのだ。
高い木々と、無数の鳥たちが飛び立つ音、茂みの奥からは獣の唸り声が止まない。そんな山中の古寺での修行であった。
○ ● ○ ● ○
ジュウベエは、渡された妖石を、ぽいっと地面の投げ捨てた。
「こんな気味の悪いもの受け取れるか」
坊主は、慌てて地面に転がったそれを拾い上げる。
「なんともったいない。これは然るべき場所に持って行けば、いい金になるのだぞ。瘴気を抜けば良い素材になるしのう」
「この石から瘴気を抜くことができるのか」
「祈祷したり、神聖な地に埋めたり、と人それぞれじゃ。ワシは火に焼べてしまうがのう」
瘴気が抜ける時間は、妖の強さに比例して長くなるらしい。瘴気を抜き切ることのできない妖石は、腕のいい術士によってどこぞに封印してしまうという。
「だから、それはお主が持ってゆけ。この石は勝負の証じゃ。たくさん持って帰らんとあいつにバカにされんとも限らん」
それは、こいつにでも入れておけ——。何かの術の陣が刻まれている革袋を渡される。
「それには、妖石の瘴気を抑える働きがある。長いこと入れておけば瘴気も抜けるぞ」
妖石は、それそのものが瘴気を放っているという。坊主やジュウベエのような者なら何ともないが、常人では触れた途端、気が狂れることもあるらしいのだ。
「妖石の瘴気にやられるような奴は、もともと其奴自身が邪念に塗れてるんじゃがのう」
坊主は、怖いことをさらりと豪快に笑い飛ばす。
結局、その日ジュウベエが倒したヌエは、その一匹だけであった。
次の朝は、道場に通っていた時同様に、早くから起き出し、素振りと演武に励むジュウベエ。
ジュウベエの流派の極意は自然体だ。相手と対峙した際は、両手をだらりと下げ、相手の気を読み、気が熟したら、刀を抜き、そして振るう。
開祖と言われている人物は、木刀を手にふらりと立ち、縦に振り下ろせば海を割り、横に薙ぎ払えば山をも崩すと伝えられていた。
しかし、その境地に至るまでは、どこの道場でもやっているような、構えからの素振り。習得した技を使った演武を限りなく繰り返す。
とうにその境地に辿りついているであろう彼の師匠、そしてそこに辿り着かんとする門下生たちであっても、基礎というべき素振りを怠らない。
故に、その段階まであと僅かと言われているジュウベエもまた、朝に夕に熱心に木刀を振るう。昨日のような訳の判らないものが相手であれば尚更だ。
その日は、そのまま夕刻となり件のヌエどもが現れるまでの間、ジュウベエは木刀を振り続ける。
昨日よりも若干、数を増していたが、襲い来るヌエを片っ端から叩き落とした。だが撃墜したヌエの数は、圧倒的に坊主の方が多かった。
敵は空より現れるのだ。地に立つジュウベエの刀が届かない頭上を舞うヌエには手出しのしようがない。
一方、坊主は手斧、鉈、果ては薪として割る前の丸太などを軽々と投げつけ、ヌエの集団を葬り去る。
日に日に増えるヌエの数。だが、ジュウベエの倒す数は伸び悩んでいた。しかしながら、こんな時ほど基本に立ち返れ——。それが師の教えであった。
くる日もくる日も、朝から晩まで片時も木刀を手放さないジュウベエに、酒の入った樽を抱えた坊主が声を掛ける。
「おぅ、たまにはワシに付き合え」
手を止めたジュウベエは、酒樽を見て訝しげな表情を浮かべた。
「酒なら付き合わんぞ」
再び素振りに戻ろうとするジュウベエに、坊主は言った。
「これはワシらが吞むんじゃない。古い仲間の墓参りにいくんじゃ」
そう告げられたジュウベエは、腰に木刀を納め、額の汗を拭うと、坊主に導かれるまま古寺の裏手へと赴く。
そこには切り拓かれた土地が広がり、そのあちこちに、少し盛られた土の上、まるで墓標のように刀が突き立てられていた。
「これは……、墓か」
よく見ると、刀ばかりではない、弓、槍、そして本来は武器ではない斧、大鎚など様々なものが小山に突き刺さっている。
「まあ、墓の代わりかのう。必ずしも亡骸を葬ることができたやつばかりではないんでのう。愛用の得物だけしか残さんかったやつも多くおるで」
坊主は、抱えた酒樽を地面に置き、木槌で上面を割ると、柄杓で打ち水をするように酒を撒き始めた。
「お主も、黙って見とらんで手伝え」
ジュウベエは、坊主とふたり、黙々と墓標に見立てた刀へと酒を撒いていくのだった。




