第7話 『さてさて、どうしたものかしら』
「なんだと、そんなことは聞いてはおらぬぞ」
ジュウベエの脳裏に、幾つになってもイタズラ小僧のような表情をする師匠の顔が思い浮かぶ。
「謀ったな」
どことなく師匠に似た雰囲気を持っている、目の前の坊主に食って掛かるジュウベエ。
「謀るもなにも、大方お主が、あいつの話を良く聞かぬまま飛び出して来たんじゃろう」
確かに修行に出た朝は、他の門下生たちが集う前に道場に呼び出され、山へ行くのを命ぜられた。
流派の開祖が使っていたと伝えられるそれは、太く長く何の素材を使っているのか黒光りを帯びている。
その木刀を掴んだジュウベエは、では行って参ります。とそのまま、その足でこの山を目指したのであった。
「せっかちじゃのう。あいつにそっくりじゃ」
そう言うと坊主は、またも宙に向かって手斧を放ち、見事に妖を地に落とす。
「おっ、なんじゃ。お主には、この妖どもが見えておらんのか」
気配だけで妖を捉え、技を繰り出すも、一向に攻撃が届かないジュウベエを余所に、坊主は次々に妖を地面に叩き落としている。
「そもそも、此奴らは何の妖だ。ヌエとも少し違うようだが」
「お主には、あれがヌエに見えるんか。だったら、あれはヌエじゃ」
「だが、先だって討伐した奴らとは姿が違うぞ」
「妖どもが、いつでもワシらが考えとる姿形で現れると思うのが間違いじゃ」
むっ、と唸るジュウベエに、妖を地に叩き伏せながら、坊主は話を続けた。
「お主がヌエと思えば、此奴らはヌエじゃ。そうして名を付ければ、形も定まるじゃろう。形が定まれば、お主なら斬れるだろうて」
その言葉に、ジュウベエを包んでいた夜とも昼ともつかない夕の闇が晴れていき、西の空からは奇麗な夕焼けが頬を照らす。
西日の中、目を凝らすと、そこには地面に転がっている妖どもと同じ姿の妖が一匹、ジュウベエを狙っていた。
すっと上段に構えるジュウベエを目がけ、妖が舞い降りる。その鋭い嘴が届く直前に、ジュウベエは、いつも修練でやっている素振りのように木刀を振り下ろす。
ヌエは血を流すことも、臓物をぶちまけることもなく、奇麗に真っ二つになって地面に落ちる。と同時にその身はみるみる真っ黒に染まり、やがて塵のように風に吹かれ崩れていった。
後に残ったのは、どす黒く濁った角張った鉱石を、鎚か何かで乱暴にかち割ったかのようなもの。真っ二つに割れた、それを木刀の先で突いてみるジュウベエ。
「何なのだ、これは」
見れば、寺の境内の中に転がっていた何匹ものヌエは、黒く染まり、次々と塵と化して消えていく。
「これは、ワシらは妖石と呼んどるもんじゃな」
坊主はヌエの転がっていた場所に残っていた妖石を拾い上げながらジュウベエに教える。
ジュウベエは、依頼されて妖の討伐に参加する際は、現れた妖を片っ端から斬りまくっていただけなので、妖のことには詳しくはない。
姿の見えない妖と、相対するのは初めてであった。いや、実際には初めてではない。以前斬った妖は、見えずともその気配の中心を斬れば倒せたのである。
怪異現象に安易に名前をつけるのは危険だとも聞いたこともあるが、あれは名前がついた妖だったからか——。ジュウベエは以前の討伐を思い起こす。
坊主によれば、妖の多くは、目には見えない筈の怨念や邪念が、何らかの原因で固まり、意識と実態を持ったものらしい。
故に、この妖石とやらが妖の本体と言い換えても良さそうだが、実際には、色々な事例があり一筋縄ではいかないという。
「ワシらは、彼奴らをヌエと思って斬れば良いだけの話じゃ」
確かに、妖に名前をつけると、その妖は力を付けてしまうらしいが、そうやって正体を明かすことによって倒せるようにもなるというのだ。
「お主は、この妖石ごとヌエを真っ二つにしたんじゃ。だから斬った途端に塵になって消えてしまったんじゃろう」
坊主は、ジュウベエの足下に落ちている二つに割れた妖石を拾うと、彼に手渡そうとする。
「ほれ、お主の取り分じゃ。今日のところはワシの勝ちだがのう」
妖石の入った革袋を、嬉しげにガチャガチャと振りながら、坊主は言った。
「明日からは、もっと来るぞ。ワシに勝てるよう頑張るんじゃな」
手渡された妖石を見つめ、じっと考え込むジュウベエであった。
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「まったく、嬢ちゃんには困ったもんだな」
ハンゾウの心の内に、ミトの屈託のない笑顔が浮かぶ。
彼女なら、戦場のど真ん中にでも、同じ笑顔で現れそうな気がする。
実際、ハンゾウはミトが部屋を抜け出てしまうだろうということを既に確信していた。
彼女を閉じ込めておこうと思うなら、もっと念入りに、そして計画的にやるべきだったのだ。
だがそれは、前から判っていたことだ。ハンゾウは自分の迂闊さを恨めしく思う。
いきなり現れたのが、こんな強敵だとは思ってはいなかった。もっと初心者向けの妖にしてほしいものだ。
「まあ、今更グチってみても始まらないが」
そして、先ほどまでは考えてもみなかった、新しい問題がハンゾウの頭の隅にちらつき始める。
つまりは、部屋を抜け出したミトが、自分とジュウベエ、はたしてどちらを追いかけてくるのだろうか。ということだ。
ミトが、部屋を抜け出すことは想定の範囲内だったとしても、その先、どちらに向かうのかまでは考えてもみなかった。
森、そこに続く山はミトの故郷のようなものだ。自分とジュウベエ、どちらが山に向かったとしても、彼女は山を目指すに違いないと思っていた。
しかし、ミトの好奇心は最大の誤算だった。あんなに海に食いつくとは。それを敢えて、食欲とは呼ぶまいが。
ハンゾウが、妖と必死に戦っている端で、ミトが磯場で蛸と格闘を繰り広げている光景が、まざまざと頭に浮かぶ。
それでも、目の届く範囲にいてくれるのなら、やりようはある。ハンゾウは妙な安心感を覚えながら、海辺への道を急いだ。
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「さてさて、どうしたものかしらね」
扉の前に立ち、腕組みをして、鍵穴を見つめているミト。
先ほど鍵穴を覗いてみたところ、扉の内側からも、外側からでも同じ鍵を使って開け閉めするようだ。
しかし、部屋の中に鍵は残されていなかった。せめて細長い棒状のものでもあれば、と部屋のあちこちを探ってみるが、何も出てこない。
部屋の中をぐるぐると歩きまわりながら、ミトは考える。考える、考える、考える……。
しかし、何も思い浮かばない。諦めて、膳の乗った長机の前の椅子に座り、目の前の空になった茶碗や皿をぼんやり見つめた。
「あったーっ。コレがあるじゃないっ」
やにわに膳の上の箸を掴み、扉へと向かい、慎重に鍵穴に箸を差し込んだ。音と指先に感じる微妙な触感を頼りに箸を動かす。
先だって、兄様が教えてくれた鍵開けの技は、将来冒険者になるつもりがない者でも、森の民の子どもは探索技術の一環として教えてもらう。
森の中の探索、それは探索そのものが、森の民にとっての生活の中心であるため、名家出身のミトにとっては、姫の嗜みとも言えた。
やがて、カチリという小さな音と共に、鍵開けの技が成功したのを指先の感触が伝える。と同時にパキっという音が、やけに大きくミトの耳に届いた。
「あちゃーっ、折れちゃったよ」
鍵穴の中に、折れた先を残さないよう、静かにそうっと箸を引き抜く。
でも、これで開いたはず、と扉をちょんと押してみるも動かない。弱かったかな——。今度は強めに押すも開かない。
ミトは、少し乱暴に扉を押したり引いたりしてみるが、それはビクともしなかった。彼女は思わず扉に向かって、両の手のひらをバンバンと打ち付ける。
「なんか、昨日もこんなコトやってなかったかしら」
最後に扉をガンっと蹴飛ばすが、びくともしない。冒険者詰所の扉は頑丈なのだ。腹立ち紛れにずかずかと大股で部屋の隅の長椅子に向かった。
長椅子にドンっと腰を下ろし、両手で頬杖をつき、何事かに思いを巡らす。なんだって、ワタシは部屋に閉じ込められてるんだろう。
きっとお酒のせいじゃないかしら。
ハンゾウは切れた酒を取りに行った。なかなか戻って来ない。手にした酒をジュウベエにも勧める。
わたしは、昼から酒は嗜まん。いや、これは出陣の儀式だ、清めの酒よ。うむ、ならば頂こう……。
なーんてやってんじゃないのー、ふたりだけで——。
「なんか、ハラたってきた……」
立ち上がり、何とはなしに窓からの景色を眺める。上へ下へ、右へ左へ視線を流すミトの目に窓枠のあるものが映る。
「なーんだ、窓にも鍵が掛かってたんじゃない」
どうりで開かなかった筈だわ——。さっそく、窓枠の鍵をくりくりと回し始める。
ミトの屋敷にもある、その鍵は古い型式のものだ。先が螺子状になっている金属の棒を鍵穴に差し込んで、そのまま何回か回すと内部で固定される。
鍵はするすると外れ、落としてなくさぬよう細い鎖で繋がれたそれを、窓枠にぶら下げた。
鍵の外れた窓を、スパーンと勢い良く全開に引くミト。流れ込んでくる風が心地よい。うーん、伸びをして、外の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
よしっ、と窓枠に足を掛け、半身を窓の外に乗り出す。そのまま窓枠の上に立つと、えいっ、と何の躊躇もなく階下の地面目がけて飛び降りる。
ミトの背後では、扉の向こう側で役目を終えた護符がはらりと剥がれ落ち、同時に微かな音をたてて扉が開いたのだが、それを彼女は知る由もなかった。




