第5話 『で、どっちに行けばいいの?』
「よう、待たせたな」
努めて明るく振る舞うハンゾウ。
「少しだけ、面倒なことになっちまったんだ。出掛ける前に、よく打ち合わせといこう」
この界隈には珍しく多層建築になっている、詰所の二階へとふたりを連れて行く。
建物中央付近にある階段を昇ると、左右に伸びた廊下に突き当たり、そこにはいくつかの扉があった。
「うむ。二階建てとなっているのも珍しいが、扉というのも珍しいな」
いつになく興味深げなジュウベエに、ハンゾウは説明する。
「ああ、大きな町の冒険者関連の施設には、大抵山の民の技術が使われてるからな」
やはり興味深々といったミトが、廊下の突き当たりの扉を指差した。
「あんなトコロにも扉があるよ」
「あっちは、見附台と繋がってる。こっちは外に出られるようになってんだ」
先の大戦以降、交流を持った山の民とその技術は、都ではそこかしこで見られるものの、地方ではまだ珍しい。
「さ、こっちへ来てくんな」
いくつかの部屋のひとつに、ふたりを招き入れるハンゾウ。
ミトは、部屋に入るなり大きなガラスの入った窓にへばりついた。
「わぁ、いい景色ねー。街並がよく見えるよー。あっちには山もー」
はしゃぐミトを横目に、ふたりは長机に据えてあった椅子に腰掛ける。
「どうも、椅子というのには慣れんな。腰が落ち着かない」
座りにくそうなジュウベエを余所に、慣れた様子で、どかりと座るハンゾウ。
その手には、酒徳利が握られていた。さっそく直にぐびりと一口やる。
「いくら酒が強いからといって、仕事の前はやめておけ」
眉を顰めるジュウベエに、ハンゾウは至って気楽そうに応える。
「これは、出陣の儀式用だ。御神酒ってやつだよ」
俺の場合は酔わないってより、酔えないってのが本当のとこなんだが——。
ぐびり、とまた一口吞み続けるハンゾウは、誰に言うでもなく呟くのだった。
ハンゾウは、ジュウベエに事の次第を説明する。
本来なら、自分たち二人がかりで対処にあたるのが妥当である。だが、今回は急を要する。
幸い海側では、漁師の何人かが漁から戻って来ない時点で、浜や磯に近づかないよう警報を流すことができたようで、それ以上の被害はない。
ただ、近隣の組合との連携による討伐隊は、腕に覚えのある精鋭を送り込んだものの全滅。後方支援の者たちが、監視だけを続けている状況だ。
一方の山側では、ここ何日も、山から降りてくる旅人が誰もいない。また山に登っていった者たちも一人として戻って来ないという日々が続いている。
「俺の見たところ、どうやらどちらも放っておけば、第一級災害指定になり得る化け物に思えるな」
すぐにでも討伐隊を組んで、出掛けたいところだが、何しろ人手が足りない。この辺りの腕の良い者たちは、既に全てが妖の被害者となっている。
この町の冒険者も、既に何人も犠牲になっているし、第一級の妖が相手ともなれば、都からも腕利きが送られてくるだろうが、それにも日が懸かる。待ってはいられない。
「で、ワタシはどっちに行けばいいの? 海? それとも山?」
話に集中していたふたりの間に、唐突にミトが割って入る。
「二ヶ所の妖を、ワタシたちでとっとと倒しちゃおう、って話よね」
突然のミトの登場に、その存在を忘れてジュウベエと話し込んでいたハンゾウ。
おや? と驚いたような顔をしていたが、やがてにやりと笑い、長机の片隅に置かれた膳を手繰り寄せた。
「まぁそう急くなって。嬢ちゃんは、これでも食べとけ。さっきは貝ばかりで飯はまだだったろう」
おかわりもあるぞと、小さめながら、白米が詰まったおひつも取り出す。
茶碗に大盛りのご飯に汁物。僅かばかりだが、煮貝とおひたしに香の物までついた御膳に、ミトは顔を綻ばせた。
「腹が減っちゃあ戦になんねぇ、って言葉もあるしな。しっかり腹拵えしとけよ」
もぐもぐと嬉しそうに飯を頬張るミトを微笑ましげに眺めていたハンゾウだったが、さて、と立ち上がる。
「俺の方も酒が切れちまったようだ。ちょいと取りに行ってくる。お前さんも来い」
何故わたしまで——。拒んでいたジュウベエも、ハンゾウの眼差しから何かを察したように立ち上がった。
「嬢ちゃんは、ゆっくりしとけ。話の続きはそれからだ」
はーい——。ミトの元気な返事を背中で聞きながら、ふたりは部屋を出ていった。
○ ● ○ ● ○
静かに扉を閉じたハンゾウは、やはり静かに外側から部屋の鍵を懸けると、懐から護符を取り出し、扉の真ん中にぺたりと貼り付けた。
そのまま、ふたりは無言のうちに階段を降りる。出入り口付近、ふたりはどちらともなく振り返ると、心配そうに部屋の方を見やった。
ジュウベエが、視線は部屋の方へ向けたまま、ハンゾウへ問う。
「あの娘は留守番か」
「ああ。いくら嬢ちゃんが、あの森の民であり、腕の立つ兄様が稽古つけてるとはいえな」
「危ない目には合わせられないか」
「そういうことだ」
「あの札は何だ」
「効いてる時間は短いが、効き目は強い守りの術を掛けた」
「ふむ」
「敵は絶対入って来れないが、自分も出て行けないという……。ま、失敗作だ」
「ふん、今回は成功だろう」
ふたりは頷き合い、外に向かって歩き始めた。
○ ● ○ ● ○
ミトは、美味しい食事に幸せな気持ちでいっぱいだった。
取り立てて、彼女が食い意地が張っているという訳ではない。育ち盛りならば無理もないことだろう。
おかわりのおひつの中の白米に、焦げた部分を見つけ、寧ろ嬉しそうな表情を見せる。
「おおっ、おコゲだ。ここが美味しいんだよねー」
煮貝にも手を伸ばし、『兄様の旅の手帖』に間違いはないと頷く。
「夕飯には、お魚もたべたいな。でも今は捕れないんだっけ」
頑張って海の妖を退治しよう——。密かに決意を固めつつ、更におかわりを重ねるミトだった。
○ ● ○ ● ○
海の方面と山の方面へと道を頒かつ分岐点に急ぐ道すがら、それまで無言だったハンゾウが口を開く。
「お前さん、海と山。どっちがいい」
「わたしは、どちらでも構わんぞ」
「ほう。だが実はもう、山へいってもらおうと決めてある」
「ならば、何故わざわざ問う」
「いやぁ、お前さん、海は苦手かと思ったんでな」
「わたしは泳げるぞ。海も決して苦手などではない。ただ幼い頃川遊びの折りに……」
「はっはっは。そういうんじゃねぇんだ。単純に、海の中じゃあ刀は振れねぇだろ」
「うむ。そうか……。だが、そうでもないぞ。水中では突けば良いのだ」
「お前さんの流派は、ほんと相手を選ばねぇんだな」
「何の皮肉だ、それは」
「誉めてんだよ。これでも一応は」
「そうか。では素直に受け取ろう」
「本来なら俺が海中から追い立てて、やつが顔を出したとこをお前さんがスパーンとやっちまうのが簡単なんだが」
「今回は、そうもいかぬか」
「そういうことで、山の妖を頼む。やつらの正体は判ってない。油断するなよ。まあ、お前さんなら何の問題なさそうだが」
町中の十字路。北へ向かえば少しだけ遠くに見える山へ、南に下れば海へと辿り着く街道の分岐点。
立ち止まったハンゾウは懐から、一挺の拳銃を取り出した。
「念のため、これも持ってけ」
「わたしは、刀以外は使わぬぞ」
「いや、お前さんのためじゃねぇ。嬢ちゃんのためだ」
ミトのためと聞いて、更に訝し気な表情を深めるジュウベエに、ハンゾウは続けた。
「あの嬢ちゃんは、森の民にしちゃあ、とんだお転婆娘だ。どういう訳だか抜け出して、俺たちを追っかけてきそうだろ」
ジュウベエも溜息まじりに頷く。
「うむ。さもありなん」
「だからな、もしお前さんの元に追っかけてきたら、そいつを渡してやってほしいんだ」
「だが、却って危ないのではないか。突然爆発したりはしないものか」
「ああ、そいつから飛び出るのは鉛の弾じゃない。昨日の閃光弾みてぇなもんだ」
まだ何かを案じているジュウベエの手に、拳銃を握らせるハンゾウ。
「そいつは、昨日の銃に俺が手を加えた、術式の発動装置みたいなものさ。扱いも簡単だ。狙って、ただ引き金を引けば良い」
「昨日のように自分が昏倒する、ということはないだろうな」
「それも安心だ。試しに今朝がた早くに試し撃ちしてみたが調子いいぜ」
「うむ。ならば……預かろう」
そう言うとジュウベエは、拳銃を懐に仕舞い、山へと向かう道を歩き出す。
ゆったりと見えて、素早い移動、剣士特有の歩法で歩み去る彼の背中にハンゾウは呟く。
「頼んだぞ、ジュウベエ」
その呟きは、ジュウベエに対してなのか、ミトのことなのか、あるいは双方なのか。
ハンゾウが呟いた頃には、既に彼の姿は遠ざかりつつあった。
その言葉は届いてはいない筈だが、ハンゾウには呟いた瞬間、ジュウベエが僅かに振り返り、頷いたように見えた。
○ ● ○ ● ○
ミトは、空になった御膳とおひつを背に、扉の前に立ち、なにか不思議な気持ちで一杯だった。
「どうしてだろう。部屋から、出られない……」




