第4話 『もう、それが最後でして……』
「しかし、嬢ちゃんも良く食うねぇ。さすが育ち盛り」
いつの間にか、ミトの足下にはサザエの殻を入れる桶がいくつも置かれている。そのどれもが殻がでてんこ盛りだ。
「そういうハンゾウだって、昼間っからお酒なんか吞んでるじゃん」
これまたいつの間にか、ハンゾウの前には、何本ものお銚子と、ひとつの杯が置かれている。
「こういうのは、ちょっとつまんで、酒をぐいっといくのが美味しい食べ方なんだよ」
ジュウベエは、焼き魚をおかずに、飯と汁物。至って普通の昼飯を食べ終え、〆に香の物に箸を伸ばす。
「うむ、これからもまだ歩くのだ。食べ過ぎや、吞み過ぎは良くなかろう」
ハンゾウは、お銚子から最後の一杯を注ぎ、それを飲み干す。
「これくらいじゃ酔わねぇよ。それより森の民ってのはナマグサモノは喰わねぇって聞くが、嬢ちゃんは平気なのかい」
ミトは、サザエの身を器用に殻から外しながら答えた。
「魚や貝は大丈夫だよ。都でも良く食べてたし。獣の肉は、少し苦手だけどね」
と言う訳で、おかわり——。しかし店の親父は、申し訳なさそうに頭を下げるばかり。
「今日はもう、それが最後でして……」
ほら見ろ。嬢ちゃんが喰い過ぎたんだ——。ミトをからかうハンゾウ。
「いえいえ、そうではございません。近頃、海のものも山のものも手に入りにくいんですよ」
店主が言うには、仕入れ先の海辺や山裾の村に行っても、産物が少ないのだそうだ。
不漁といっても、磯で穫れる貝の類いなら、と聞いてみても、村の人たちの口は重い。
「ここだけの話、どうやら海にも山にも、化け物が出るんだそうで」
山裾の村には足を運んではいないそうだが、やはり仕入れに赴いた町の同業の者が、似たような話を聞いてきたという。
「うむ。馳走になったな」
ジュウベエを先頭に、店を出る一行。三人とも一様に無口で、何かを考え込んでいる。
やがて、ミトがふたりの様子を伺うように口を開く。
「調べに行ってみない……。何が起こってるのか」
ややあって、いつもの鹿爪らしい顔をしたジュウベエが答える。
「うむ。わたしもそう考えていた」
慌ててハンゾウがふたりを押し留めた。
「待て待て。ほんとに妖が出てきたらどうする。危ねぇじゃねぇか」
ミトは、ハンゾウに向かって不敵な笑みを向ける。
「そんなの討伐しちゃえば良いじゃない。アンタだって冒険者の端くれでしょ」
妖相手は久しぶりか——。とジュウベエはすっかりやる気のようだ。
「取り敢えず、まずは冒険者の詰所に行ってみようぜ」
ハンゾウは溜息混じりにそう言うと、この町の詰所向けてふたりを促すのだった。
冒険者組合詰所に着いた一行。ミトはキラキラと瞳を輝かせて、辺りを見回している。
冒険者組合の詰所。と言っても冒険者が常駐しているだけの、番所のような施設ではない。
特に街道沿いの宿場に設けられている詰所は、町の両端二ヶ所に見附台と共に置かれていることが多い。
いくつか脇街道と交わっており、いわば街道の分岐点である、東西に長いこの町を例にとれば、その二ヶ所の見附に詰所も併設されていた。
東西のうち、東側の詰所には冒険者のための受付や、食堂、武器・防具・備品の斡旋所、宿泊できる部屋などの施設があり、かなりの広さを持つ。
一方の西側は、文字通りの詰所であり、決して広くはない建物に、見附に勤める公儀の警護役と共に、常に複数の冒険者たちが駐留している。
ミトたち3人が行ったのは、当然、東側の大きな詰所の方だ。こちらには低級な妖の討伐依頼などが貼り出してある掲示板もあり、情報を集めやすい。
「なんだ、嬢ちゃんは冒険者の詰所は初めてかい」
ハンゾウは、何やら楽しげに、辺りを見回しているミトに声を掛ける。
「うん。昨日は町に入った途端、いろいろあったからね」
「大人しくしていてくれよ。俺はちょっと、ここの者と話がある」
はーいと返事をしながらも、各種の依頼が貼り出された掲示板を、目ざとく見つけたミトは早くもそれに向かって走りだした。
ミトを追って、ゆっくり歩き出したジュウベエの背中を見送り、ハンゾウは詰所の奥へと向かっていくのであった。
「怪しい依頼はないみたいだね、ジュウベエ」
「うむ。そのようだな」
そこにあるのは、薬草の採集であるとか、山の力を得て凶暴化しているものの、妖と化してはいない獣の駆除であるとか、地方には良くある依頼ばかりだ。
もっとも冒険者に対する依頼は、大抵は朝早く貼り出されるので、陽が真上に来ているこの時間では、大半の依頼は処理済みなのであろうことが察せられた。
勢いを削がれて、肩を落とすミトに、ジュウベエは昨日よりを疑問を口にする。
「君はよく見ると、不思議な格好だな」
彼女は、山葵のような色の胴着の裾を、栗色をした旅袴の中に入れ、その袴の裾も膝まである同じような色をした脚絆の中に、きゅっと捻じ込むようにして入れていた。
しかも、脚絆は彼女の履く履物と一体化しており、爪先までも覆っている。どうやら良く鞣した、何かの革で作られているらしいそれは、彼女の脚を守っているようだ。
そこに、あの彼女が菜の花色と称する、合羽にしては短く、羽織にしては長い、奇妙な丈で、布のように見えるが、何の糸で織られたのか判らない丈夫そうなものを羽織っている。
袖口から見え隠れしている、彼女の拳全体を覆い守っている、指先だけ出した手甲、それもまた、脚絆と同じく丈夫そうな革で拵えてありそうだ。
これで、肌着の上に鎖帷子などを着込んでいたら、合戦の支度のようではないか——。などと考えているジュウベエに、ミトにっこりと答えた。
「いいでしょう。これはねー、兄様が揃えてくれたのよ。都の家から、故郷に帰る旅で着てたりしてたの」
今朝の出来事以来、森の民であることを隠すことのなくなった彼女は、都や、その周辺ならばともかく、旅先の地ではやはり目立つ。
昨晩泊まった宿は、上級武士御用達だ。慣れているのであろう。客の一人が、珍しい森の民であったとしても、礼を失することはなかった。
この町に着くまでの間も、すれ違う者たちが奇異の目で、彼女を見ていたのを、ジュウベエはハンゾウと共に視線で牽制してきた。
丁度この辺りには、まだ少ないが、富士の山がもう少し大きく見える土地までいけば、森の民、山の民の冒険者が多くなると聞く。
そこまで辿りつくことができるならば——。またも何ごとかに思いを巡らすジュウベエに、ミトが満面の笑みで自慢する。
「見て見て。コレも可愛いでしょ」
都でイナセな若者たちの間で流行っているという、手ぬぐい、とは言っても羽織と同じ生地の布を、頭巾のように頭に巻いているミト。
「うむ。頭部の防御も完璧だな」
○ ● ○ ● ○
その町の冒険者組合の長から、話を聞き終えたジュウベエは、腕組みをしてまま唸っていた。思ったよりも事態は深刻だったのだ。
結果的に言うと、この町の南に位置する沿岸部と、東に連なる小高い山々に出没しているのは妖に間違いないとのことだった。
そして当たり前のことだが、海の妖と山の妖は別々の存在だ。討伐隊も二手に分けなければならないだろう。
海で暴れている妖は、元は大海蛇か何かが、瘴気を帯びて化け物と化したのだろうという報告が、先発の調査隊から上がってきている。
だが、海中から襲ってくる敵に対して、討伐に向かった者たちは悉く斃れてしまい、現在は待機中。地元よりも実績のある、都の本部に支援を検討中だという。
問題は山に現れた妖だった。その正体が良く判らないのだ。そもそも現れたと言っても、姿を見たものは誰もいないのである。
山に向かって先行した調査隊は、ほぼ全滅。生き延びた者の話も、彼自身が混乱しているのを差し引いても、訳の判らないものだった。
山中の道、少し遅れていた彼は、かなり前方にいた仲間の一人が、突然声も上げることもなく、首から血飛沫を上げて斃れてゆくのを見たと言う。
そしてその後、空の方を指差して、何かを叫んでいた仲間たちも、再び声を上げる間もなく次々と血塗れになって斃たしまったというのだ。
唯一の生き残りである冒険者は、次は自分の番ではないかと、戦々恐々としていたが、暫く経っても何も起こらなかったのを幸いに、慌てて逃げ帰って来たそうだ。
暫く目を閉じ、考え込んでいたハンゾウであったが、やがて何かを決意した顔となり、すっくと立ち上がる。
話を聞かせてくれた長と、何か二言三言言葉を交わし件の拳銃を手渡すと、ジュウベエとミトの元へ戻るのだった。




