第10話 『やめんか、折れてしまうじゃろう』
「こいつを唆したはお前なんだろう、『ウツボ切り』」
手にした『ウツホラキリ様』に向かってハンゾウは問い掛けた。
返事はない。ただの刀のようだ。
「なんとか言えよ、この野郎。でないと……」
ハンゾウは手底と拳で刀身を挟むと、ぐいっと力を込める。
「……やめんか……折れてしまうじゃろう……」
頭の中に直接響いてくるような不思議な響き。男か女か童か年寄りかさえ判然としない、妙な抑揚と訛りのある声で返事があった。
「おとなしく俺の言ってることに答えろ。さもなくば……」
刀の柄元を拳でトントンと叩き、折る素振りをする。
「判ったから、折るのだけは堪忍してくれ。ようやくツクモガミになれたんじゃ」
「ふん、やっぱりな。ほんとはお前、刀なんかじゃないんだろ。にしちゃバカにデカいが、そのなりは包丁にちがいねぇ」
「然り。其方の申すとおり、儂は元々は、包丁のツクモガミなんじゃ」
「やつらに『ウツホラキリ』とか呼ばれてたが、ウツホラってのはウツボの古い呼び名だろう。差し詰めウツボを引くための包丁ってとこか」
「左様。儂は、そこの男の家に家宝として、代々伝わっていた古の包丁じゃ」
「その包丁風情が何故、斬撃を飛ばしたり刀の振りをする。その力はどこから手に入れた」
「それは儂にも判らん。刀の振りなどもしてはおらん。儂は包丁としての役割を全うしてきただけなんじゃ」
「だが、お前からは妖ものみてえな臭いがプンプンするぜ。人斬り包丁ってやつじゃねえのか」
「そんなもの、其方だってさせとるじゃろう。そもそも儂は、そやつを誑かしてなどおらん。そやつが故郷を離れた時に、一緒に持ち出されただけじゃからのう」
「手代の故郷か……、そう言えば、あの用心棒の男の一族が支配していた町も同じ場所か」
「其方のいう場所がどこかは知らぬが、そやつは故郷で料理人をやっておった。商いの才能もあって、腕も良かったんじゃが」
「ああ、あそこは荒んだ町だったな……。俺も御役目とはいえ……」
ハンゾウは、何かを思い出したかのような遠い目で溜息をつくと、調べを再開した。
「で、お前はいつからツクモガミとして意識を持ったんだ」
「そやつが故郷を出る少し前だから、割り方最近のことじゃな」
「手代が故郷を出奔したのは何十年も前のことだぞ。全然最近じゃねぇだろうが」
「そんなことを言うても、儂に人が過ごしとる時の長さなど判る訳なかろう」
「それもそうだな。じゃあ、いつからあんな、妖刀紛いのことができるようになったんだ」
ウツホラキリは我が意を得たり、とばかりに饒舌に語り出す。
それもまた、それこそ最近のことらしい。もっとも人と感覚が違うツクモガミの言う最近など当てにはならないが。
この辺りでは魚が穫れない。当然かつてのように使われなくなる。それでも晒しに巻かれた上で、大切に仕舞われていたようだ。
「残念なことにいつの頃からか使われなくなってのう。仕方ないので、どこぞの棚の上でフテ寝をしとったわ」
ウツホラキリ曰く、どれくらいの年月を寝て過ごしていたかは判らないが、ある時、手代や用心棒と共に、何者かがやって来たという。
その者が怪し気なマジナイを唱え、ウツホラキリを鞘に納めたらしい。
その上で、この蔵の中に備えてあった神棚に、祀り上げられたとのことだ。
以来また眠る日々が続いたとのことだが、その眠りはこれまでにない深いものであったそうだ。
「そこのそれ、鞘とかいうものに納められてのう。気持ち良く、ぐっすりと眠っとったんじゃが」
だがある時、ウツホラキリを神棚から降ろし、鞘から引き抜いて、その名を呼ぶ者があった。
「何しろ久方振りの出番じゃからな、儂も張り切ろうというもんじゃ。判るじゃろう」
「気が付けば、斬撃なんぞが飛ばせるようになっていたという訳か」
「皆の儂を見る目に、畏怖の念が宿っておってな。儂も少しばかり気分が良かったわい」
「それで、お前を呼んだのはいったい何者なんだ」
「それは、ほれ。そこに倒れとる手代とやらと、そやつに付き従っておる用心棒の男じゃ」
「では、お前にマジナイかけたヤツってのどんな男だった。なんかこう、覚えていることはないか」
「いや、確かそやつは女だったような気がするのう。そういえば、その女、あれきり姿を見かけんが」
こいつに、何かしらの術を施した女ってのが黒幕か……。いや、寧ろその女術士を連れて来たっていう、あの若旦那風の用心棒が怪しいのか……。
先代とは違うが、それなりに商いに励んでいた手代に妖刀を授け、表じゃ忠実な配下の振りをして自分の良いように操ってたってことなのだろうか。
「それにしちゃあ、何かと合点のいかねぇことが多過ぎる……」
ハンゾウは鞘ともどもウツホラキリを手に取ると、あちこちを探りながら、ためつすがめつ、じっと眺める。
「待て待て、こいつはどういったことだ」
術が施された痕跡を探していたハンゾウは、鞘の根元に隠すように刻み込まれている呪印を見つけて驚いた。
てっきり刀に変化するような術が施されていると思っていたのだが、そこにあるのは、おそらく刀としての力を取り戻すためのものであったのだ。
「まぁいい。お前の処遇は保留だ。もうちっと眠っとけ」
暫く思案した後、ハンゾウはウツホラキリを音もなく鞘に納める。
こらっ、とか待てやっ、という言葉が頭の中に響いたが、聞き流すことにしたハンゾウであった。
○ ● ○ ● ○
「てめーら、全員、ブチのめすっ!」
ミトは、今度こそ間違いなく閃光弾を手にしていた。
前方にいる連中の足下目がけて閃光弾を叩き付ける。
と同時に彼女は、包囲陣のど真ん中に向かって駆け出した。
目映い光と共に、何かの力も解き放たれ、辺りに広がってゆく。
言うなれば真っ白な闇。それは、地面も、空も、追っ手たちも、そしてミト自身をも飲み込んでいくのだった。
○ ● ○ ● ○
「貴様は先ほどから、何をしているのだ。刀に向かって、ぶつぶつと一人言を」
気味が悪い——。とばかりに眉間を皺を寄せるジュウベエが、そこに立っていた。
「うわっ。お前さん、いつからそこに」
ここまで襟首を掴んで引きずってきたのであろう、拳銃の若旦那をどさりと放り捨てる。
「貴様が、刀を折ろうとしていた辺りからだが」
決まり悪そうな顔で、顎の無精髭を撫でるハンゾウ。ジュウベエの視線が痛い。
「それじゃ、殆どハナっからじゃねぇか。人が悪いなぁ」
そう言ってから、はたと何かを思いついた顔で、ジュウベエにウツホラキリを差し出した。
「おまえさん、こいつをどう思う」
ジュウベエは、抜いたウツホラキリを軽く振ったり、突きの動作をしてみたりしている。
目の位置まで持ち上げ、柄の方から切っ先へと視線を走らせる彼に、ハンゾウは問うてみた。
「どうだ。抜いた途端、妙な気分になったりはしないか」
ウツホラキリを鞘に納めながら、鹿爪らしい表情でジュウベエは答えた。
「うむ、脇差しよりも短く、鎧通しよりも長い、不思議な長さだが良い刀だ」
「お前さんには、それが本当に刀に見えるのかい」
「うむ、刃に曇りも欠けもない。柄もしっかりしているし、目釘の弛みもない。良く手入れされている」
ハンゾウは、彼の持っている鍔のない合口拵えの、一見黒い木刀にも見える刀とウツホラキリを見比べる。
こいつは、元々刀だったてのか。それが包丁として使われているうちにツクモガミになっちまってことなのか。
それをまた、本来の刀の姿に戻したいヤツがいる。しかも鍛錬も何も積んでないやつにさえ、力を与える妖刀として……。
「何か変な声が聞こえてきたりしなかったか。そう言えば、斬撃も出てねぇみたいだな」
「斬撃か。だが斬撃は刀が飛ばすものではないぞ。研鑽の結果だ」
そう言ってジュウベエは、ウツホラキリを返すと、腰の刀を鞘に納めたままで一閃。ハンゾウの背後の庭木の枝がどさりと落ちた。
「はっはっはっはっは。おまえさんは、ほんとにすごいよ。そんなに『力』があるようには見えねぇのによ」
「刀というものは力に任せて振るえば、それで良いという訳ではない」
ジュウベエは、いつもの鹿爪らしい表情を崩さず、またにこりともせず、こともなげにそう答える。
笑顔だったハンゾウも、その口元だけに笑みを残し、真顔に戻ると、帯の後ろにウツホラキリを差した。
「さて、そいつはまだ生きてるのか」
転がっている若旦那を見て、ハンゾウはジュウベエに尋ねる。
「ああ、両の手の甲を砕いた故、二度とこの銃とやらは握れまいが」
「ありがてぇ、これでコイツの取り調べもできるってもんだ」
さっそく手慣れた調子で若旦那を縛り上げ、手代と一緒に並べて転がした。
「これが、この男の持っていた得物だ」
ジュウベエは、三挺の拳銃を懐から取り出すと、ハンゾウに放って寄越す。
「げっ、コイツみっつも持ってやがったのか。よく無傷で戻れたな」
「なに、この男は手や目の動きで、狙いや撃つ瞬間が明らかだったからな。躱すことなど雑作もない」
「にしても、お前さん、結局刀は抜かなかったんだろう」
「弾も真っすぐ、こちらに向かってくるのだ。弧を描いて飛んで来る矢よりも、見当が付けやすい」
ハンゾウは受け取った拳銃を、ひとつずつあれこれと検分する。
こいつからは妖しい気配は何も感じねぇ。只の道具だ。とすると、この男のやったことは自分の意思ってことだ。
金に目が眩み、誰かに唆されて本分を忘れた手代に、民なき国は意味がないことに気付かないバカ殿の末裔。
まあ要するに、どちらも良くいる悪党どもだったってことにしておこうか。今のところは、それで充分だろう。
だがやはり何かが引っ掛かる。ウツホラキリのこともあるし、これは一度しっかりと鑑定してもらった方が良さそうだ。
やっぱり俺や、あいつが心配してた通りの事が起こり始めてるのか——。
去来する疑念を首を振って追い払い、ハンゾウは珍しそうに拳銃を眺めていたジュウベエに声を掛けた。
「コイツは危ないんで、俺が預っとくことにするぜ。ちょっくら調べてみてぇこともあるしな」
そう言って、ハンゾウは拳銃から慣れた手付きで弾を取り出し、三挺とも背負っていた背嚢の奥へと押し込む。
「さて、そろそろお嬢ちゃんを迎えにいってやるか。大人しくしてればいいんだが……。まず無理だろうな」
「ふむ、さもありなん」
庭に佇み、ミトがいるであろう方角の空を見上げた、ふたりの頬を、夕暮れの風が優しく撫でていった。
————とある海辺の町の『老人が語る昔話』より
むかしむかし、わしがまだ小さかった頃、爺さんに聞いた話じゃ。
わしの家は代々漁師でのう。とは言っても、この辺の家は皆漁師をやってるがのう。
ある年の秋のこと、漁師仲間の中で、妙なことを言い出すやつがおったんじゃよ。
何やらバカにでかくて太い、蛇みたいな魚に襲われたっちゅうて大騒ぎじゃった。
そうしているうちに、漁に出たまま帰らん舟が一艘、二艘と増え始めてのう。
町の若い衆が手に手に銛を取って、討伐に出掛けたんじゃが、戻ってきたのは一艘きりじゃったよ。
命からがら帰ってきた者が言うには、海ん中をうねうねと泳ぎ回り、大きな口には鋭い牙が生えとったそうなんじゃ。
そんな化け物がいる海へ漁には出られんのでのう。困ったとったところに旅のお侍様が現れたのじゃ。
何やら小ぶりながらも良く切れそうな刀を一振り持っとっての、噂を聞きつけて腕試しとばかりに討伐に来たんじゃと。
小舟で海に出たお侍は、見事化け物を討ち取ったばかりか、浜までその化け物の亡骸を綱で引いてきたんじゃそうな。
化け物の正体を見て皆びっくりじゃ。なんと、それは大きな大きなウツボだったそうなんじゃ。
その化け物ウツボを、お侍様は持っとった刀できれいに捌いて、皆に振る舞ったそうじゃ。それはとても旨かったという話じゃ。
以来、この町ではウツボを磯で見かけると、大きくなる前に、と皆で食べてしまうようになったんじゃよ。