第1話 『序幕 あるいは なんで こうなるのっ?!』
この物語が始まる前、それはもう随分と昔のことになります。
島と呼ぶには大きく、大陸と呼ぶには余りに小さなこの国で、天下を分ける大きな戦がありました。
地の民と呼ばれた人間、森の民、山の民、そして有象無象の兵ども、それらが入り乱れての大乱戦。
世の乱れは、気の乱れ。妖どもも、これを好機と全国各地で暴れ回ります。そして遂に始まるのは大災い。
この時現れたのが四人の英雄。争う小国たちを纏め上げ、妖の軍勢を封じ込めたのです。
大精霊様より力を授かったとも噂される、この英雄たちは、東西に都を作り、この国を治めました。
そして今や天下泰平な、この世の中。様々な民が暮らすこの国で、この物語は始まるのです。
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「な ん で こ う な る の !」
突然、有象無象の謎の輩どもに、こぞって追い回されて、思わず少女は叫ぶ。
今は戦う術を持たない。明るく元気で、少しお茶目なワタシって設定だから、イタシカタナシ。
「じゃなくて、あのふたりは、いったいドコでナニやってんのよ!」
二人のお供を従え、ひと夏の大冒険。のはずが頼みの二人とは離ればなれ。ひとり町中を逃げまくる。
浮世離れした美しい顔立ちも、今は土埃で真っ黒。すらりと均整の取れたその体躯に長い脚。
そこに纏う衣装の裾も、どこで引っ掛けたのやら所々が破れ、その白い肌が露となっていた。
掴みかかる手を巧みにすり抜け、追いすがる手を右へ左へひらりと躱す。
狭い路地裏を縦横無尽に駆け抜け、塀をよじ上り垣根を飛び越し、逃げる、逃げる。
たまに、休む。
しかし、敵もさるもの。ひっかくもの。何故か見つけ出され、追いかけっこはまだまだ続く。
道ばたの石ころを礫代わりに投げつけ、風呂屋の竃から掠め取ってきた灰を目つぶしに。
その他諸々、即席の罠で相手を撒いてきた。馬丁通りで馬糞桶の中身をぶちまけたのはやり過ぎだったか。
追っ手の数をかなり減らしたであろう頃には、人気のない町の外れにまで来てしまった。
物陰に隠れ、懐に忍ばせていた小振りな握り飯を一口で頬張り、竹筒の茶で一息つく。
微かにだが、風に乗って、自分を探す声と足音が聞こえてくる。
「おちおち一休みもできやしない」
少女は顔をしかめながらも、そっと辺りの様子を伺う。
「あんまりしつこいのは嫌われるよー」
近づく足音に、不敵な笑みを浮かべ少女は呟く。
しかしそれにしても、と少女は考える。追っ手の数がまだこんなに多いってのはどういうこと。
見ると途中脱落させたと思しき連中が、いつの間にやら復帰しているように思われる。
しかも、自分の背後からも、少なからぬ数の人の気配を感じる。周りを囲まれているようだ。
「でも、ちょっと楽しくなってきたかも」
すっくと立ち上がり、追っ手の前に立ちはだかる。もちろん逃げ出すのに十分な距離をとって。
「うーん、小癪な。アンタたちにはコレをお見舞いしてやるわ」
やにわに懐に手を入れると、丸い竹皮の包みを取り出した。
「これで、アンタたちもイチコロよ。ってコレおむすびじゃない」
慌てて懐の中を探る少女に、追っ手の男たちも失笑混じりにザワつき始めた。
「おいおい、握り飯でオレたちをどうするって」
「だいたい、何だよ。今時コシャクとかイチコロって」
じわじわと迫り来る男たちから、視線を反らさず少女は言う。
「あーっ、もーうっさいわね。そもそもアンタたちは、なんでワタシの行く先々を追って来れるのよっ」
男たちの一人が、竹皮何枚かを、手に答えた。
「そりゃオメーが、行く先々で飯喰って、包みを捨ててくからだろうがっ」
「そうだ、そうだーっ!」
他の男たちも、口々にそれに応える。
「通った道筋、マルバレなんだよっ」
「そうだ、そうだーっ!」
「ゴミはきちんとゴミ箱に、そう教わらなかったのか」
「そうだ、そうだーっ!」
男たちの言葉に、顔を真っ赤にした少女が叫んだ。
「だーっ、もー面倒ね。爆裂弾でも投げて、終わりにしちゃおうかしら」
少女の物騒な物言いに、追っ手の包囲の輪がぐぐっと広がる。
堪り兼ねたように、頭らしき男が前に進み出て口を開いた。
「私はさるお方の依頼で、あなたを保護するために追いかけて来たのです。どうかご理解を」
更に一歩二歩と娘の方へ近づきながら、説得を重ねる。
「もう、本当にお願いします。大人しく帰りましょうよ」
両手を大きく広げ、土下座せんばかりの勢いで懇願する追っ手の頭。
「だーまーさーれーまーせーんっ。アンタたち、どう見ても町のチンピラどもにしか見えないんですけどー」
何故かトクイ気に胸を反らせ、腰に手を当てる娘。
「ワタシを捕まえてどうするつもりよー。きっとあーんなコトや、そーんなコトやっちゃうつもりでしょ」
その言葉に途端に色めき立ち、叫ぶ男たち。
「失礼な。下級とはいえ我々も冒険者の端くれ。子どもには手を出さん」
「そうだ、そうだーっ!」
それを聞いた少女の表情がピクリと変わる。
「……ど……も……じゃない」
地の底から響いてくるような恐ろしい声。
「ワタシは子どもじゃなーい」
娘の豹変ぶりに、正体不明の追っ手の輩ども改め、公儀の冒険者たちは静まり返った。
「て め ぇ ら ぜ ん い ん ぶ ち の め す っ !」
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夜も明けぬ暗闇の中、東の都から西の都へと通じる、海沿いに伸びる街道を旅姿の少年は走っていた。
途中、街道から外れ、森の中を突っ切る。森の中は自分の庭。とはいえ夜の森など危険しかないのだが。
寄ってくる獣たちを礫で追っ払い、湧いて出る妖どもは後ろに置き去りに、華奢な体躯で飛ぶように駆け抜ける。
夜が明けて来た頃、森を抜け、まだ誰の往来もない街道に戻り、ようやく歩みの速さを緩めた。
かなり距離を進んできたのにも関わらず、息の乱れひとつないその姿は、手練れの武芸者を思わせる。
ふと立ち止まり、菜の花色をした旅用の羽織の襟を正し、頭に巻いた頭巾をちょいと上げると後ろを振り返った。
「ふふっ」
口元に微かな笑みを浮かべるその顔は、少女とも見紛う美しさを湛えている。
「ふっ、ふっ、ふっはっはっはっはっはっは!」
まるで、悪い組織の首領のような高笑い。もとい見事に追っ手を撒いた改心の笑み。
その身体の一部を犠牲にして、身代わりとしてきたのだ。暫くの間は時も稼げようというものである。
次は旅の仲間探しだ——。
頭巾を目深に被り直すと、少年は足取りも軽く、いまや目と鼻の先にある宿場町を目指すのだった。
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旅人の朝は早い。しかし、その若い侍の朝は遅かった。旅人の多くはとうに出発してしまったような時間。
長身痩躯、漆黒の髪を後ろ頭の高い位置で、すっと結わえ、同じ色の瞳はきっと意思の強そうな光を湛えている。
煤けた柳のような色の小袖胴着に地味な旅装備。腰には柄巻きを革で拵えた木刀を一振り。
何の木で作られたものか、黒光りするそれは只の木刀とも思われぬ存在感を放っていた。
急ぐ旅でもない——。
端正な顔立ちを鹿爪らしい表情で覆っているものの、それとは裏腹にその若い侍の足取りは至極のんびりしたものだ。
日ごとに強くなる夏の始まりの日差しに目を細め、この町一番の大通り、その脇を流れる水路のせせらぎに耳をすませる。
しかし、そんな平穏な風景に身を任せるには、この町中は妙に旅人や商隊の往来が多く喧噪に溢れ過ぎていた。
「新しい『お代官様』が通行料、また上げたみてえだな」
彼の後ろを歩く商人たちの、少し声を潜めた噂話が聞こえてくる。
「払えない連中がこの町に引き返してきてるって話だ」
「本職の方も、ここんとこ、とんとやってねえらしいぜ」
「しかも怪しげな刀を神棚に祀って、拝んでるそうじゃねえか」
困ったものだ——。
ゆったりとした足取りの彼の横を、噂話を続けながら、商人たちは足早に通り過ぎていくのであった。