十八 心。
「折角の休暇なのに、基地に残ってるなんてもったいないんじゃない?」
セリナは自分の病室に集まっている三人を、少し呆れ気味に眺めた。
脚の怪我はまだ完治してはいなかったが、既に歩き回る事も、普通に生活する事も可能なのだ。
ただ、十数センチにわたる、一生消えない醜い傷が残っただけで。
その事実はセリナの心に、意外に深い傷を作っていた。もちろん騒ぎ立てる事はしない。しかしセリナは必死でその傷の存在を忘れようと、意識から消し去ろうと努力していた。
が、一人になるとだめだった。いつの間にか、傷の事を考えてしまう。
だから、三人の見舞いは、正直なところありがたかった。
「折角の休暇だから、セリナさんのお見舞いに来たんですよ?」
ハユが花瓶の水を取り替えながら言った。こんな作業をしていると、学校で日直に当たった中学生のようにしか見えない。
何故ハユはイサオ達のように家に帰らないのだろう。そんな疑問が浮かんではいた。ライゾウも同様に感じているだろう。しかし、セリナはそれ以上の事を言わなかった。ハユがその家庭に葛藤を持っている事はなんとなく気づいていた。だからこそライゾウもその事を口に出さないのだろう。だが、本当にそれでいいのだろうか。
セリナは少し考えて、こんな事を考えるのは自分らしくない、と思い直した。自分があれこれ考える問題ではないじゃないか。
「セリナ参尉はコーヒーの方がお好きなんでしたっけ?」
キッチンから顔を出したのはハユの副官、出海彩華技術曹長補だ。ハユについて、彼女もセリナの見舞いに来ていた。
「ありがとう。でも今日は紅茶の気分かな。ライゾウさんは?」
「そうですね。私も紅茶をいただけるかな?」
相変わらず穏やかなライゾウの声。
「了解いたしました!」
出海の顔がキッチンへ引っ込む。
「そう言えば、寺嶋くんは?」
セリナが見回して言った。
「あぁ、彼はイサオ君に付き添って、イサオ君のご実家に行っているよ」
「そっか、今イサオ君には副官がいないですもんね」
セリナは敢えて角谷の名前を出す事を避けた。一連のスパイ事件は、チームトライに大きな心の傷を残していたのである。
無論、最も傷ついているのはセリナだったが、むしろ、だからこそ、一番周囲を気遣っているのもセリナだった。
セリナはふぅっと一つ息をついて、ハユとライゾウを見た。
「……あれからまだ一ヶ月も経ってないんですね。随分昔のような気がするけれど」
そう、光が丘の震災。それぞれの経緯で巻き込まれたこの三人が、地下の暗闇で出会った、あの日。
あの日から、三人の運命は大きく、音を立てて変わっていったのだ。
「そうですね。あの時はこんな事になるとは思ってもいませんでした。あなた達を無事に地上に帰す事。それだけしか考えていませんでしたから」
穏やかな顔でそう言うライゾウに、セリナはしんみりとした表情で、ゆっくりとうなずいた。
「もう、自分は死んじゃってもいいから、なんて考えちゃだめだよ、ライゾウおじさん」
あの時の口調に戻ってそう言うと、ハユはライゾウの手を握った。
「ごめんごめん。もう大丈夫だよ。この通り、少しは鍛えたしね。みんなハユちゃん達のおかげだ」
柔らかい笑顔。確かに見違えるほど鍛え上げられたライゾウではあったが、それでも印象は前と変わらぬ柔和なものだった。これが人徳と言うものなのだろうか。以前の自分なら、視界の中にも入らないタイプの、ただのおじさんの風体。
「ライゾウさん。あの時は本当に……」
セリナが素直な気持ちで感謝の言葉を言いかけた時、基地内に、けたたましく警報が響き渡った。
「これは……やはり間違いないな。仮説でしかなかったが、こうも顕著に観測されるとは……」
トライセイバーの戦闘データを詳細に分析しながら、鷹城明はつぶやいた。
あらゆる角度から、何度も検証してみた。だが、答えは同じだった。
「データの取り方には問題ありません。測定誤差までを考慮に入れての検証ですから、結論に間違いはないと思いますが」
伴和哉技術弐尉がタブレットを見ながら冷静な声で言った。鷹城は細かく何度もうなずく。
「再現性を確認しない事には最終的な判断を下せないが……。それを含めて今後のデータが必要だね。この現象に普遍性があるものなのかどうか……」
「この現象は、一体なんなのですか? この超速機動とも言うべき現象は、トライセイバーのシステムではないと……?」
鷹城はデータを見つめたまま、伴に顔を向ける事無く口を開いた。
「超速機動だけじゃない。詳細はパイロットに直接聞いてみたいところだけどね。これはパイロット個人に起きた現象だと思われる。
|Concentration exceeding the limit《限界を超越した集中》――。C.E.L.と僕は呼んでいるけどね」
「C.E.L.……」
伴が鸚鵡返しにそうつぶやいた時、鷹城の端末にアラートが表示された。
「これは……!」
手早く内容を確認し、鷹城は思わず声を上げた。
「どうなさいました?」
ただならぬ気配。伴の表情は変わらなかったが、その目に緊張感が走った。
「地底国家ユーラシアが……全滅した」
鷹城の口から恐るべき事実が語られた瞬間、畳み掛けるように警報が響いた。