十六 終戦。
「セリナさん! 大丈夫ですか!?」
大榊の声に我に返る。右腿に激痛があった。うめき声が漏れるほどの痛み。
セリナは金富の拳銃を投げるように捨て、自分の脚を見た。
10cmを超える長さで、銃創が血を流していた。金富が大榊に撃たれた時、彼が撃った弾丸はセリナの頭をそれ、右腿をえぐっていたのである。出血はそれほどひどくなかったが軽症ではない。
「医療班を急がせる。ここは任せるぞ!」
宮司が言い置いて走り去った。
何が起きたんだろう……?
セリナは耐え難い痛みを堪えながら考えた。
私が、撃ったのか……?
倒れた金富を見る。眉間に傷はない。
微かに苦痛のうめきを漏らす金富。
まだ、生きている……?
金富の口から鮮血の泡があふれ出した。軍服が血に染まっていた。右脇を中心に、鮮血の染みが広がっていた。
「もっと早く気づいていれば。申し訳ありません」
大榊は悔恨のにじむ声で謝罪の言葉を口にしながら、セリナの右足の付け根をきつく縛った。
「こんな怪我までさせてしまった……」
大榊の沈痛な表情。
そうか。金富を撃ったのは、この人なんだ。
医療班が駆けつける足音が近づいてきた。
「あの人、死んでしまうかもしれませんね」
「……そうですね。
もう医療班が来ます。もう少しだけ、我慢してください」
少し上気した大榊の横顔。
「部下を……撃たせてしまって。ごめんなさい。でも私、ちゃんと自分の手で……」
セリナの声に悔恨が乗っていた。何故もっと早く撃たなかったのだろう。自分には撃てたのに。大榊の手を汚す事はなかったのに。未練なんてこれっぽっちもなかったのに。
「あなたに、人殺しをさせるわけにはいかなかった。
……それだけです」
セリナが何か言おうと口を開いた時、宮司を先頭にして、医療班が到着した。
金富は意識不明の重態。緊急手術の後、都内にある軍病院へ移送された。
セリナの脚は、銃弾にえぐられただけで、内部に弾丸が残っているわけでもなく、組織の回復と縫合を行うのみであった。
できる限り痕が残らないよう万全を期して行われた手術だったが、えぐられた傷は存外深く、セリナの美しい脚に、生涯消えない傷が残った。
新暦518年6月16日、10:00。
岐部、鷹城両首脳による終戦協議が行われた。結論は、ヤマトの全面降伏である。
ヤマトは完全に日本へ吸収される形となり、ヤマトの国民は全て日本国民として地上に住む事が許可された。ヤマトの国土であった地下空間は、日本所有の土地となり、研究や技術開発等のプラントとして利用される事となった。そして、地底の過酷な条件下で発達した先端技術は、全て日本へ譲渡された。
既に勝者と敗者は存在しなかった。遥かな昔、地上と宇宙に分かれ、そして地上と地底に移った日本が、一つに戻った瞬間だった。
「日本が、いや世界が二つに分かれてしまったのは遥かな過去の事です。この長い長い時間の中で、私たちは、もしかしたら全く別の存在になってしまっているかも知れません。
しかし、私達が一つだった歴史はもっともっと長いのです。
最初は様々な問題が起きるかもしれません。痛みを伴う事だってあるでしょう。しかし私たちは、ともにそれを乗り越える力を持っているはずです。
この世界にも稀有な、多くの災害に晒されてきた日本。でも私達は手を取り合ってそれを乗り越えてきました。これからも、私たちは懐かしい仲間達と共に、力強く歩いていきましょう」
この日採択され、岐部信太郎内閣総理大臣によって発表された、終戦宣言の一節である。
こうして、日本と地底国家ヤマトとの戦争は、完全に終結した。
6月18日、14:31。
速水勇夫はしばらくぶりに自宅へ帰っていた。軍属を離れたわけではなかったが、ヤマトとの終戦を期に休暇が出たのである。
無論、勇夫の身の安全をはかるため、軍から一人、サポートが付いていた。ライゾウの副官である、寺嶋正直航空曹長補だ。本来の副官、角谷新は、スパイ幇助容疑で取調べを受けている。ライゾウが休暇中も基地に残ると申し出ていたため、外出中の勇夫には寺嶋が付く事になっていた。
寺嶋を交えて五人の昼食。その後、気を利かせた寺嶋が「少し出かけてきます」と家を出て、勇夫は久しぶりに家族水入らずの時間を過ごした。
そして今、懐かしい自室のベッドで、天井を見上げている。見慣れた日常だったはずの光景。
確かに懐かしい気がする。随分長い間ここから離れていた気がする。だが。
勇夫は妙に落ち着かなかった。
俺は何か変わっちまったんだろうか。折角の休暇だというのに、部屋に一人でいる。もっと親と話したいんじゃないのか。友達と遊んだりしたくないのか。
勇夫は休暇が決まってからも、学校の友達には連絡を取っていない。何故だかわからないが、そんな気になれなかった。
考える事は、戦争の事。トライセイバーの事。トモミの支えになる事、そして――。
戦いの中で見た、少し未来の映像。
あの透明な感覚の中で見た、一瞬先の未来。
あれは何だったんだ……?
勇夫は横向きに身体を丸めた。
一体どうしちまったんだ、俺は――。
その時、ドアをノックして、勇夫の姉、優美の声が聞こえた。
「勇夫、いるんでしょ? 入るわよ」
そして優美はいつものように、返事を待たずに入って来た。
「今、寺嶋さんとみんなでお茶してるんだけど。しばらくぶりなんだから一人で閉じこもってないで降りてきなさいよ」
勇夫は答える代わりに、背を向けて丸めていた身体を仰向けに伸ばした。
「母さんも父さんも、もっとあんたと話したいんだよ。わかってるでしょ?」
もちろん勇夫にはわかっていた。むしろ自分でも、もっと話しておけば良かったと後悔するだろうなと思う。しかし、何故か感情も、身体も言う事をきかなかった。
「わかってる。わかってるんだ……けど」
優美は肩をすくめて、軽く息をついた。
「……まいっか。あたしはいても邪魔じゃない?」
「……うん」
勇夫は天井を見つめたままうなずいた。
「あんたさ、少し大人になった? ……って感じもあるけど、まだなんか危なっかしい感じがあんのよね」
優美の言葉は、勇夫の心にストレートに飛び込んできた。
「危なっかしい……?」
「そうだねえ。なんか足元だけ見て歩いてて、前を見てないって感じかなぁ。ん~、うまく言えないけど、なんかそんな感じ。
母さんはあんた大人になった、しっかりしてきた、って何度も言ってたけど、あれはそう思いたいけど不安だ、って時の癖だしさ。父さんは何にも言わないけど、案外勘が鋭いからねえ。あたしですらわかるんだから、きっと父さんもそう思ってるんじゃないかな」
勇夫は思わずふふっと笑った。
なんだよ。全部お見通しじゃんか。さすが家族って事なんだろうな。
勇夫は少し心が軽くなるのを感じた。そして同時に、微かな警戒心も芽生えていた。
そうか。俺はくつろいで安心してしまう事に危機感を感じてたんだ。暖かい日常に戻ったら、二度とあそこに戻れなくなってしまいそうで。
勇夫は勢い良く体を起こした。
「な、なによ、どうしたの?」
「姉ちゃん、ありがと。なんか一つわかった気がする。なんていうか、何がわかったのかも良くわかんねえんだけど」
勇夫が優美にそう言った時。
遠くで微かに警報が鳴りはじめた。
何か不吉な予感をもたらす、音。
聞いたこともない音だった。そしてそれは、勇夫の心を、妙にざわつかせていた。