十五 銃声。
「気付くのが遅すぎましたなぁ大尉。あなたらしくもない」
金富は見下すような薄笑いを浮かべた。大榊や宮司が構えている銃など眼に入らぬように、その声に焦りの色は全くない。
「大切なTシリーズのパイロットを失うわけには行かないでしょう? ここはおとなしく通してもらいましょうか」
金富はセリナの頭に銃を突きつけたまま、背を壁につけてじりじりと進んで行く。
「鷹城明が地上へ出れば、別パイロットを登録する事も出来るでしょうが、他の連中は精神的ショックが大きいでしょうな。それに、登用した民間人を死なせてしまう事に、耐えられますか? あなた自身が」
「貴様……」
宮司が金富を睨みつけて歯を食いしばった。ギリッという音まで聞こえてきそうな鬼の形相。
「宮司大尉。あなたは私の事を随分嫌ってましたよねえ。安心してください。自分もあなたの事が大嫌いですから」
金富が喜悦の表情を浮かべているのがセリナには手に取るようにわかった。舌なめずりをする音さえ聞こえた。その音、そして、息。
セリナの膝から一瞬、力が抜けた。
「ほら……ちゃんと立って下さい……?」
後ろから回ってきた金富の腕が、セリナの腰を支えた。撃たれた右腕で支える苦痛に、金富のうめき声が漏れる。
セリナの膝ががくがくと震えていた。身体が火のように熱い。
セリナの心は屈辱にまみれていた。
こんな男のいいようにされるなんて。
こんな男に反応させられるなんて。
大榊壱尉の見ている前で。
しかし、身体は心を裏切り続けていた。膝にはもう力が入らない。立っていられない。セリナの目ににじむ涙。
金富の顔が苦痛にゆがんだ。その右腕はもうセリナを支えられなかった。崩れるように座り込むセリナ。バランスを崩し、金富の銃口が一瞬、セリナの頭から逸れた。
二発の銃声が響いた。
「撃ったのですか……大尉。私を……!」
拳銃が落ちる音。血のにじむ布切れで縛った右腕。その手で掴んだ左肩から、血があふれ出していた。
大榊壱尉が、撃ったんだ――。
その光景を見ながら、セリナは意外にも冷静だった。右腿に焼けるような感覚があった。だが、撃たれた金富から視線を外す事ができない。
「金富、大尉などと言う階級名は、防警軍では採用されていない。言葉には正確を期せと言ったはずだ」
「大尉……私はあなたに尽くしてきたはずだ……。あなたの功績の全てに、私は大きく貢献してきた。それなのに……!」
血まみれの右手が、左肩を放し、ゆっくりと降りていくのを、セリナは冷静に見ていた。肩を撃ち抜かれた左腕は、力なくぶらんと垂れ下がっている。
そして、金富が落とした拳銃。
金富の右手がゆっくりと腰の後ろに回るのが見えた。その手は手のひらをぬめらせる血をズボンにこすりつけ、腰の後ろのサックに装備した軍用ナイフを引き出した。
ナイフで狙うとすれば。負傷した右手だけで制圧できる相手は。
「あなたはその私を撃ったのか!!」
金富は叫び、行動を起こした。軍用ナイフを握り、負傷している右手の力を体重で補うように、足元に座り込んでいるセリナにその刃を向けた。
だが。
「その怒りも、どうせポーズでしょう?」
セリナの声。
セリナは座り込んだまま、金富の落とした拳銃を拾い上げ、両手でそれを構えていた。
金富は、自分の眉間に向いた銃口を覗き込み、固まった。
「銃を下ろしましょう。ね? セリナさん」
金富の猫なで声。しかしそれは、セリナにとって吐き気を催すほどの嫌悪感を伴っていた。
「銃を下ろしなさい。今、自分が何をしているのかわかっていますか?」
金富の焦ったような顔。セリナは笑いの衝動がこみ上げてくるのを感じた。だが面白くもなんともなかった。
その焦った顔もどうせポーズなんでしょ。
「ええ、わかっているわ。私はあなたに銃を向けている。一発で仕留められる急所にね。急所を撃たなければ足止めにもならないんでしょう?」
金富が口の中で歯軋りをしたのがわかった。
へえ、あんたみたいな男でも、一人前に悔しがる事があるのね。でも、さっきの私の屈辱、恥辱に比べたら……。
「わかるでしょう? 私、トリガーに指をかけているの。何かしようとしたところで、私がトリガーを引く方が早いわよ。さっきのあなたみたいにね」
「銃を下ろせ!」
金富は金切り声をあげた。
そう。これはポーズじゃなさそうね。やっと本音が出てきたじゃない。
「逃げられないならお前を殺す。殺してやるんだ」
金富の目は据わっていた。だが眉間に向けられた拳銃のせいで動く事もできない。
「撃たないで下さいよセリナさん。撃てるわけないですよね……? 私とあなたはあんなに……」
「黙って! 黙りなさい!」
叫ぶセリナ。銃口が震えた。金富は作戦を変えてきた。それも卑怯な作戦に。なんという卑劣な男だろう。
「ほら、動揺しているじゃないですか。あなたに私は撃てない。銃を返してください。二人で逃げましょう。そしてまた……」
「黙れって言ってるのよ……」
言葉とは裏腹に、気持ちとは裏腹に、銃口の震えは大きくなっていった。
確かに動揺している。でも、この男が言うような意味じゃない。
関係を持った相手だから動揺しているんじゃない。こんな事を大榊達の前で言われる事に動揺しているのだ。
多分、大榊達は自分と金富の事など知っていただろう。でも。それでも。この場で言われるなんて。
「あなたは迷っている。でも迷う事なんてないじゃないですか。また二人で愛し合えば……」
金富の言葉が途切れた。セリナが金富の顔に唾を吐きかけたのだ。金富の顔に張り付いた作り笑い。どうにも我慢が出来なかった。
「……言いたい事はそれだけ?」
低く、静かな声。銃口は、ぴったりと金富の眉間を向き、もう微動だにしない。
自分と金富の間に「愛」などあった筈がない。なのに、金富はそれを口に出した。その瞬間、セリナの中で、最後の何かが崩れたのだ。
「そうだ! 俺に銃を向けるな! 毎晩のように抱いてやったのに!」
わめく金富。だがセリナはもう何も感じなかった。圧倒的な、氷河のような意思があった。
私は、この男を、撃つ。
「そうだ! 撃てるはずがない! 何度も抱いてやったんだ! お前が求めるまま何度だって……」
銃声。
崩れるように倒れる金富。
セリナは、半ば放心して、倒れていく金富を見つめていた。