十四 最後の戦い。
自室に戻ってから三十分あまり。セリナはなんとなく眠る気になれず、ソファに座っていた。
まだ全ては終わっていない。
それはセリナの実感だった。
日付は既に6月14日になっていた。
「……いるんでしょ?」
セリナは当たり前のように言った。不安も、恐れも、何も感じていなかった。
「悪いけど」
いつもの調子の声。ベッドを共にした後、一人で眠りたくなった時のように。
「さすがに、気付いてますよね」
副官の部屋から姿を見せる金富。右腕をきつく縛っている布の切れ端に、血がにじんでいた。
「どうしたの? それ」
「伴弐尉に撃たれましてね。小型拳銃じゃ、急所を狙わない限り足止めにもならないのに」
そううそぶく金富の額には、微かに汗がにじんでいた。
「その割には辛そうじゃない。でも、あなたを泊めるわけにはいかないわ。わかってるでしょ?」
「ええ、わかってますよ。私はあなたにとって利用価値がなくなった。そういう事です」
金富は自嘲気味に笑った。だが所詮それがポーズでしかない事も、セリナにはわかっていた。
「なら、悪いけど。私は一人で眠りたいのよ」
「そうでしょうね。でも……」
金富はそう言って、左手で拳銃を取り出した。
「あなたには、まだ利用価値があるんですよ。私にとってはね」
銃口が、セリナの眉間に向けられた。
6月14日0:42。
「あいつは結局、何がしたかったんだ。誰のために情報を流していたんだ?」
宮司の声は抑えられていたが、それでも中に潜む猜疑と怒りは隠しきれなかった。
事件が起きた当初に国会で問題になった、岐部総理と鷹城明の密約疑惑。情報のリークはここから始まった。
そしてTシリーズを運用しているパイロットが民間人で、未成年者が混じっている事。直近ではヤマトによる東京壊滅作戦。
これらの情報は、野党議員に対してリークされた。金富が野党に協力していたのは間違いないだろう。だが、それだけではない。
筑波奪還作戦に於ける、ハユの単独行動。その情報は、ヤマトへリークされたものだ。金富はヤマトの主戦派ともつながっていた事になる。
日本の野党がヤマトの主戦派とつながっていたのか。それとも金富が野党かヤマトを利するために、もう一方を利用したのか。
全て、金富を直接尋問してみない事にはわからなかった。いや、尋問しても全貌はわからないだろう。
「とにかく、まずは金富を」
大榊は表情を変えずに言った。
それにしても、ここまで発見されないのは不自然だった。基地から外へ出てはいないはずだ。基地内にいて、さらに軽くはない怪我を負っていて、その上で現時点まで逃げおおせている。個人のカードキーでしか開けられない各個人の個室以外の場所は全て捜索済みだ。もちろん、金富、木下、角谷の自室は最初に捜索しているし、エアダクトの類まで、およそ人間が隠れられる場所は全て確認されている。
あとは――。
「金富のスパイ容疑を聞いても、セリナは動じてなかったよなぁ。親しくしていたようなのに、気丈な人だ」
宮司がぼそりとつぶやいた。その言葉をきっかけに大榊の頭の中で、思考が展開し始めた。
無論、現在セリナには、金富への協力といった容疑はかかっていない。宮司は気づいていないようだが、筑波へ転属になる前あたりから、金富とセリナは疎遠になっていたようだ。だが、調べる必要はあるだろう。
セリナと親しかった金富。そして、セリナの副官だった木下。
大榊の中で何かがカチッとはまるような感覚があった。
「宮司さん、急ぎましょう」
そう言って走り出す大榊。
「おい、大榊ィ、どこへ……」
言いかけて、宮司も気が付いた。
現在、金富が身を潜める事が出来る場所。それは。
セリナの部屋。
副官として出入りする木下が持つカードキーの偽造複製。木下を利用していた金富には、容易い事であったはずだ。
宮司は、全力で大榊の後を追った。
「トリガーに指をかけています。何かしようとしたところで、私がトリガーを引く方が早いですよ。セリナ参尉」
後頭部に銃口が当てられているのがわかる。金富の言うとおり、何があったとしても真っ先に死ぬのは私なのだろうな、とセリナは思った。彼は引き金を引くのにためらいはしないだろう。あの木下麗華をあっさりと殺害しているのだから。
今、自分が殺されていないのは、彼がこの基地から脱出するための人質として利用できるからだ。もし脱出が不可能となれば、私を殺すのだろう。私を殺せば、トライセイバーは運用できなくなる。
彼が繋がっているのは、日本に敵対している存在なのだろうから、金富自身が自己の生存をあきらめた場合、次善の策として自分を殺害する事は充分に考えられた。
どうしようか。
セリナは意外にも自分が冷静に思考できている事に少し驚いていた。とは言え有効な手など全く思いつかなかった。
「さすが、肝が据わっていますね。確かに、あなたは私の生存を保証する切り札ですから、無為に殺したりはしませんよ」
耳元で囁く金富の声。耳に吹きかかる息。セリナは背筋を震わせた。
セリナは自分の反応に驚いた。
たったそれだけの事で、身体が熱くなり始めていた。
元来セリナにとって、耳元は彼女を燃え上がらせる強力なスイッチの一つだった。
でも、金富との行為では、どれだけ耳元を攻められても何の高揚も感じなかったのに。今更何故……?
頭に銃を突きつけられている状況で、私は何を――。
全身の神経がむき出しになったようだった。セリナは呼吸を乱すまいと法外な努力をしなければならなくなっていた。
「残念ながら、基地を出てしまえば、そこから先には連れて行けませんが……」
ビクッと反応する身体。喉の奥で発生したくぐもった声。吐息と共にその声が口から漏れようとした瞬間――。
「金富。銃を下ろせ」
二人の行く手に、大榊と宮司が現れた。