八 終結。
死の奔流が過ぎてゆくとともに、重なり合った意識も一つ一つ減っていき、全てが過ぎ去った後に残されたのは、MISAKIただ一人だった。
静かだった。
勝手に思考に割り込んできた、あのたくさんの自分達はいない。だが同時に、彼女は孤独だった。
そう。孤独だった。
呼びかけても返事をする者はいない。常に彼女とともにいたTSUBASAももういない。
彼女はドックの中をサーチした。自分の分身たちの残骸。モノでしかなくなった自分の残骸たち。
そして、TSUBASAの分身たちの残骸も。
私は、一人だ。
これからも。
これからも、ずっと。
私は、一人だ。
それは彼女にとって初めての体験だった。記憶の中には、常にTSUBASAの存在があった。TSUBASAのいない状況など、考えた事もなかった。
私は、一人だ。
それは彼女にとって恐怖以外の何物でもなかった。世界の中で、たった一人、切り離された存在。つながるもののない、虚空に忘れ去られた存在。
私は、一人だ。
そして。
私を一人にしたのは。
彼女は、その元凶を見据えていた。蒼翼の悪魔。『オリジナル』と呼ばれる呪われた機体。
彼女は立ち上がった。これが最後になるのはわかっていた。一人になった今では、その最後がどういう意味なのかもわかっていた。
それでも、いや、だからこそ彼女は悪魔に向けて飛んだ。殺意を込めた飛翔。機体が悲鳴を上げ、限界を告げていた。
戦いの終止符が、打たれようとしていた。
紅翼の敵機が立ち上がった。ただ一機残る、敵。これを倒せば、戦争は終わる。
トモミはビーム・バンチ・カノン砲を構えた。だが。
「トモミちゃん、どうしたの!?」
セリナの声。だが、トモミにはトリガーを引く事が出来なかった。
何故なのかはわからない。あのM型に人が乗っていないという事もわかっている。しかし、トモミにはどうしてもM型を撃つ事ができなかった。
強いて言うなら、あのM型が、トモミには別のものに見えていたのがその理由だろう。
何故、立ち上がるの? 何故、あんなにも悲しそうに。辛そうに。あなたは……。
M型はゆっくりと立ち上がると、トモミに恨みのこもった目を向けた。そう、目だ。トモミには、M型が人間に見えていたのだ。
もう、やめて……!
トモミの視線の中で、紅い翼を持つ彼女が飛翔した。一直線にこちらに向かってくるその意図は明白だった。刺し違えても、仇を討つという強固な意志。
トモミはビーム・バンチ・カノン砲を彼女に向けた。
「撃つな!」
「撃たなくていい、トモミ!」
イツキとイサオの声が聞こえた。そして、トモミにまた、あの透明な感覚が訪れた。
そうか。ヤツの機体は……。
透明な感覚の中で、イツキは何の前触れもなくそう悟った。
オペレーティングシステムの異常。システムと、それを操る意思の間に齟齬が生じているのだ。パイロットは乗っていない。だがあれには――。
そしてその結果として起きる事。ビーム・バンチ・カノン砲を構えなおすトモミに、イツキは思わず叫んだ。
「撃つな!」
これは……!
眼前で広がる光。
イサオは再び訪れた透明な感覚の中で、その結末を見た。一瞬先の、未来。
あの敵機は、もう……。
未来の光景を幻視しながら、イサオは叫んでいた。
「撃たなくていい、トモミ!」
悪魔の銃口。撃てばいい。怖くはない。このまま生き続ける恐怖に比べれば。もう何度も何度も私は死んだ。死んだのだ。今更死ぬ事など怖いものか。
だが、あの悪魔だけは道連れにしてやる。TSUBASAや私たちの行くところへ引きずり込んでやる。
しかし、悪魔の銃口は光らなかった。そして、いつまでたっても悪魔の元へたどり着けなかった。
あいつのところに着くまで死ぬわけにはいかないのに。
あそこまで行けば私は死ねるのに。
あそこに行けばTSUBASAのそばに行けるのに。
既に彼女が見ているものは蒼翼の悪魔ではなかった。TSUBASAの姿が、それもT型の姿ではなく、人間の顔をしたTSUBASAの姿が、彼女の視界を占領していた。
TSUBASA、今行く――。
彼女のメインジェネレータが限界を迎えた。
彼女の意識は、無限の光に包まれていった。
透明になったトモミの目の前で、紅い翼の彼女がゆっくりと光に飲み込まれていった。そこから発する衝撃も、熱も、全てがゆっくりと傍らを通り過ぎてゆく。
トモミは、最後の敵が散華してゆくその光景に、涙を止める事が出来なかった。
ゆっくりと、ゆっくりとした一瞬が過ぎ去り、地底国家ヤマトは、その全ての機動戦力を失った。
戦いは、終わった。
「さて」
調整室のモニタによって萬田空将に概略を報告し、伴は角谷に視線を向けた。
「君の事も調べは付いています。随分軽率な事をしてくれたようですね」
角谷は何も答えられなかった。まだ何が起きたのかよくわからないほど気が動転していた。
そばにあるのは麗華の遺体。それは間違いない。額を打ち抜かれて即死だっただろう。遺体を見るのは初めてではない。だが、この違和感はなんなのだろう。
昨夜をともに過ごし、ついさっきまで仲良くしゃべっていた麗華。その麗華が、いや麗華だった物がそこに転がっている。あの麗華はもういない。もう麗華のあの身体を抱く事もできない。
受け止めきれない事実と実感のなさ。水の中に手を突っ込んで、その水をちぎり取ろうとするかのような手応えのない感覚。
今何が起きているんだ。俺は何をしているんだ。
俺はこれからどうなるんだ。
その疑問が頭をよぎった時、初めて角谷は有効な思考を取り戻した。伴が自分に向けている冷めた視線の意味。
その時、医療班が到着し、簡単な麗華の検死を行った。
「角谷君。君にも取調べを受けてもらう事になります。何も知らずにやった事なのでしょうが、処分は覚悟しておいてください」
医療班が麗華の遺体を運び出すと、伴は角谷の手に手錠をかけ、部下を呼んだ。
――角谷君、か。
伴は自分を階級なしで呼んだ。自分は取り返しの付かない事をしてしまった――。
角谷は、改めてその事を思い知らされていた。