十 心の支え。
「……ねぇ稲本さん、どうしたら人の心を支える事が出来るのかなぁ……」
ひとしきり笑った後、トモミはぽつりと言った。
「そうだなぁ……。うーん。あたしにもわかんない。そう出来たらいいなぁっていつも思ってるけど」
トモミには、稲本の答えはある程度予想できていた。
多分稲本には天性のものがあるのだろう。同性というのもある。稲本は不安定だったトモミを支えてくれていたが、支えてくれているというよりは癒してくれていたという感も強かった。
「私、心の支えにしてもらえるようになりたいんです。稲本さんや、ライゾウさんみたいに」
トモミは稲本にはちゃんと話しておきたかった。思いつめているイサオを支えたいという事。どうしたらいいのか、アドバイスして欲しかった。
私は、ライゾウさんが支えてくれていたのにそれに気付きもしなかった。拒絶さえした。見殺しにもした。
なのにライゾウさんは、それでも私を支えてくれた。間違った事をしようとしたのを止めてくれた。私もそうなりたい。稲本さんのように人を癒し、ライゾウさんのように人を支えたい。
筑波奪還作戦以来ずっと、トモミはライゾウのリハビリをサポートし、出来る限りライゾウを支えようとしていた。罪滅ぼしの気持ちもあった。ライゾウがどのようにして人を支えているのかを観察しようという野心もあった。
だがそこで見たのは、まともに身体を動かせないうちから、サポートするハユやトモミ、副官の寺嶋曹長補を気遣うライゾウの姿であり、わかったのは、むしろこの間も心を支えられていたのはトモミの方だったという実感だけだ。
ライゾウさんってどういう人なんだろう。私の倍以上の長さの人生を、どのように生きてきたんだろう。そんな疑問が、興味が、トモミの心を支配していた。
「大丈夫。智美ちゃんならできるよ」
稲本がそう言って、トモミの頭を胸に抱きしめた。
「あたしだって、智美ちゃんの笑顔にはいつも救われてるから。だから、大丈夫だよ」
トモミは稲本の胸に抱かれながら、ゆっくりと考えていた。
私を救ってくれる稲本さんは、私に救われていると言ってくれた。私の心を支えてくれたライゾウさんの心も、私は支えられているんだろうか。
直接聞けば、多分ライゾウさんは「支えられているよ」と答えてくれるだろう。でもそれは、ライゾウさんの優しい嘘かも知れない。
ライゾウさんはどう思っているんだろう。本当は……。
その疑問は、トモミの中で大きな存在感を示しはじめていた。
同日13:47。
国会では一つの騒ぎが起こっていた。
岐部総理大臣と御殿場防衛警備大臣を中心として、内閣は戦時態勢の構築に向けて奔走しながらも、出来うる限り国会答弁に立っていた。
野党は連日、彼ら言うところの【岐部軍国内閣】退陣を叫び、臨時政府によって謝罪と賠償を盛り込んだ和解をすべきと主張していた。
その野党に新たな動きが見られたのである。
午後の委員会もいつも通り荒れていた。「光が丘及び筑波におけるテロに対する緊急措置法」可決を契機に一時的に静かになっていた野党も、新聞報道の後押しもあってまた勢いを取り戻しつつあったのだ。
突然の審議拒否。
それが野党がとった戦略だった。
委員会が行われている最中であるにも関わらず、それは起こった。
質問に立っていた議員、湯之本弘行(46)が突如激昂したのである。
「総理ぃ~! なんでそんな答弁なんですかぁ~! そんなんじゃ国民は誰一人納得しませんよぉ~!」
湯之本は前髪を右手でさっとかきあげ、大声を出した。委員会室にいる全員が一瞬きょとんとして静まり返った。
岐部総理大臣は、湯之本の「先日日本に対して行われた宣戦布告は、回収された記録デバイスにあったという事ですが、それは防警軍が回収した、という事でよろしいでしょうか」という質問に対し「はい、その通りでございます」と答弁しただけなのだ。
その間に渡されたメモを見て青ざめた湯之本は、突然逆上したように怒鳴り始めたのである。
「こっちは真面目に聞いてるんですよ総理ぃ~! なんで笑ってるんですかぁ~! 国会を軽視しないで下さいよぉ~!」
なおも言いつのる湯之本。中には呆れ顔や苦笑気味の野党議員もいたが、彼らは加勢の野次を飛ばした。
「こんな事じゃあ質問できませんよぉ~! 質問できませぇ~ん! だってそうじゃないですかぁ~! まともに答弁しないぃ~、馬鹿にして笑うぅ~、こんなんじゃねぇ~、真面目に質問している私が馬鹿みたいじゃないですかぁ~! もうこれ以上質問するのはやめますぅ~! ありがとうございました」
湯之本はそうまくし立てると、質問時間の大半を残したまま委員会室を退室した。与党系議員があきれ返る中、他の野党議員も湯之本に続いて退出していった。
同時に行われていた他の委員会室でも同様の事が起こり、三十分後には国会議事堂から野党議員の姿は一人残らず消えていた。