六 苦悩。
……くだらない。
未だカフェのテーブルから逃れられないでいる事に、木下麗華は苛立ちを募らせていた。
このくだらないおしゃべりのメンバーは六人に増えていた。わざわざ隣のテーブルを寄せてまで群れるくだらなさに、木下は辟易していた。
増えたメンバーは、彼女達と同じくチームトライの副官達だ。ライゾウの副官、寺嶋正直。イサオの副官、角谷新。そしてイツキの副官、和田藤次郎である。
彼らの意図は、木下にしてみれば見え見えだった。合コンのような意識でいるのだ。任務中であろうがなかろうが関係なく、気を張ってつとめている彼らにとって、つかの間の息抜きと言う事だろう。その気持ちはわからないでもなかったが、そんな一瞬すら許されない木下の目には、とんだ甘ちゃんにしか見えない。
「へえ、じゃあ、稲本さんはプリンが好きなんですね!」
和田が感心したように言った。
この男は稲本みたいな女が好きなのね。稲本は気付いていないようだけど。稲本にはその好意に気付く事も、気付いた上で気付かないふりをする事も無理でしょ。
寺嶋は地元に恋人がいるらしく、真面目一辺倒のつまらない男だった。こんなつまらない男の恋人ってどんな女なんだろう。別に興味はないけれど。
出海は角谷の事が気になっているようだった。真面目が服を着て歩いているような出海はそんな気持ちは全く表に出さないが、木下の目には明らかだった。しかし当の角谷は以前木下にアプローチをかけてきた事がある。
普段押し殺している欲や感情がちらちらと垣間見えて、木下は吐きそうなくらい不快だった。何故自分が笑顔で話を合わせているのか納得が出来なかった。
その時、木下の視界の隅で、金富参尉が通りかかるのが見えた。木下の忍耐のダムが決壊した。
「あ、ごめんね、ちょっと用事思い出しちゃった」
そう言っていそいそと立ち上がると、角谷が残念そうに木下を見上げた。
「用事? どうしたの?」
何でもいいでしょ。あんたには関係ないわ。
木下は心の中でそう吐き捨てるが、顔には微塵も出さず笑顔のままだ。
「セリナ参尉から頼まれててね、色々まとめとかないと。みんなはゆっくりしてってね。じゃ、ごめんね!」
木下は最後まで笑顔を作り切って、その場を立ち去った。必要以上に早足になるのを、抑える事ができなかった。
鷹城さんが戦争をしたいなんて、そんなことあるはずがない。
ハユはその思いに駆られながら、記録デバイスのコピーを解析していた。コピーとは言えファイルをコピーしただけのものではない。物理的なフォーマット構成から、断片化したデータの隅々までをそっくりそのままコピーしたものだ。屑データの中に隠されていたとしても、このコピーで解析できる。
もちろん筑波基地のサイバー部隊も総力を挙げて解析している。それにハユが持っているのはあくまでもコピーだ。それでもハユは解析せずにはいられなかった。
もし鷹城さんがメッセージを隠しているなら、私に解かせようとしているはずだ。私にしか解けないようにしているはずだ。
ハユのその考えには全く根拠などなかったが、ハユはそれでもそう確信していた。
「見える物理……見えない物理……」
ハユは無意識にその言葉を繰り返しつぶやいていた。
そう。彼女が最初に鷹城明に触れるきっかけとなった、彼の著作。
ハユは直感的に、その言葉が解析の鍵になると確信していた。
「私……もう耐えられません……!」
木下麗華は上ずる声を制御する事が出来なくなっていた。ここが金富参尉の私室である事が心の抑制を弱めているというのもあるが、それ以上に彼女の中に鬱積した物が大きくなりすぎていたのだ。
「どうしたんだ? 木下曹長補」
金富は木下をテーブルに着かせ、コーヒーを出した。そして自分はベッドに腰掛ける。
「何もかも、もう嫌なんです。我慢できないんです。あの女の部下になるのも、あのくだらない連中と一緒にされるのも! それに……」
せっかく座らせたのに立ち上がってそう訴えてくる木下を、金富はじっと見つめた。
非の打ち所のない顔、スタイル。そのままトップモデルにもなれるだろう。いや、それにしては色気がありすぎたかも知れない。男ならば彼女を見ただけで、彼女を抱く想像を逞しくせざるを得まい。
そんな木下の目に涙がたまっていた。必死で訴えかけていた。
「参尉があの女と一緒にいる間、私がどんな気持ちでいるか、気にして下さった事がありますか? 必要な事だというのはわかります。わかってます。でも……っ!」
金富は立ち上がって、木下の頭を撫でた。
「さ、参尉……」
「わかっているよ。いつも辛い思いをさせてすまないと思ってる。そして、いつも俺のために頑張ってくれている事に、感謝もしているんだよ」
金富は木下の額にくちづけをすると、またベッドに腰を下ろした。
「俺も、君に辛い思いはさせたくない。でも、君の力が必要なんだ。埋め合わせはなんでもする。だから……もう少し、力を貸してくれないか? 麗華」
「わかりました。あなたのために、もっとがんばります。だから……」
木下の目から涙が零れ落ちた。
「私にもご褒美を下さい。前みたいに、いっぱい、いっぱい愛してください……!」
木下は涙を拭おうともせず、ベッドに座った金富の胸に飛び込み、熱く唇を重ねた。
心の支えって一体何なんだろう。
筑波奪還以降、イサオの頭を常に支配しているのはその疑問だった。
そばにいると安心するという事だろうか。なら、離れた時に不安になるという事なのか。離れた時に不安になるようになれば、心の支えになるって事なんだろうか。
いや、それは違うだろう、とイサオはその考えを打ち消した。だがそれ以上の考えが出て来ない。
ライゾウのリハビリの様子やシミュレーション訓練の様子は見ていた。観察していた。しかし「心の支え」の秘密は見当もつかなかった。
――倉科の心の支えになりたい。でなければ、倉科に好きになってもらう資格はない。
イサオは思いつめていた。もちろん、ライゾウをライバル視しているわけではなかったが、あれほどトモミの心を支える事が出来たライゾウの秘密を知りたかった。
年齢による人としての成熟という発想は、イサオには浮かばなかった。努力すれば自分にも出来るはずだ、と確信していた。
その考え方は若者の特権という他ないが、あながち間違いでもない。急激な、そして特異な経験をしつつあるイサオにとって、痛みを伴う成長や、血を流す脱皮は日常になっていくだろう。それを血肉に変えていけるかどうかは、イサオ自身にかかっていた。
イサオは顔を上げ、立ち上がった。