五 セリナの副官。
木下麗華は苛立っていた。コーヒーでも飲んで落ち着こうと下士官用のカフェに来てみると、稲本友美と出海彩華が既に来ていた。
彼女はこの二人が苦手だった。
「あ、麗華!」
そっと気付かれぬように去ろうと背を向けたとたん、稲本友美に呼び止められた。舌打ちしそうになるのを抑え、笑顔を作って振り返る。にこやかに手を振る稲本の丸顔が忌々しかった。
「あ~、来てたんだ二人とも~!」
両手をぱたぱたと振りながら、小走りに駆け寄る。
「私コーヒー買って来るけど、二人はおかわりとかいる?」
木下が言うと、稲本が慌てて立ち上がった。
「あ、いいよいいよぉ。あたしが買ってくるから。麗華は座ってて!」
稲本は木下を席に座らせると、カウンターへ歩き去った。
稲本友美。面倒見のいい優しい子。だから何なの?
「麗華、いつも大変そうだよね、大丈夫?」
出海が心配そうな顔で木下を見ていた。
出海彩華。責任感の強い真面目な子。それが何?
「まぁ、大変って言えば大変だけど。彩華たちだって大変そうじゃない。相手は年下でしょ?」
木下は当たり障りのない言葉を返した。本当は今すぐにでもこの場を立ち去りたかったが、そうも出来ない理由が彼女にはあった。
「年下と言えば年下なんだけど、ハユさんはちょっと違うかなぁ。考えている事とか、私なんかよりずっと大人でしっかりしているし……」
出海はハユに対する尊敬の念を瞳に宿らせながらそう言った。ハユの副官でいる事に、心底喜びを感じているのだ。
木下は苛立ちを表情に出さぬよう、更なる努力をしなければならなかった。
「そうだよね。ね、ハユさんは今回の件、どう見てるのかな? なんか言ってた?」
何気なくそう聞く木下の目は出海を見据えていた。少しの事でも聞き漏らすまいという意思が見て取れる。が、出海はその何気ない空気のまま、少し考えて口を開いた。
「そうねぇ。ハユさんは……」
「お待たせー!」
稲本の声が出海の言葉を遮り、駆け寄ってくる稲本に出海が笑顔で手を振った。
トレイにはコーヒー二つと紅茶、そしてプリンが三つ、載っていた。
「あ、プリンだ! やっぱり友美、プリン好きだよね」
「まぁね~。彩華は紅茶でいいんだよね?」
出海と二人できゃっきゃと笑いながら、稲本が三人に飲み物とプリンをサーブする。木下は笑顔のまま冷ややかな気持ちでその様子を見つめていた。舌打ちしたい気持ちだった。
「ねえねえ、何話してたの?」
屈託なく問いかける稲本の丸顔。
「ほら、私達の上官の事だよ。麗華がね、年下の上官って大変でしょ、って言うから」
出海が言うと、稲本は椅子に座ってうーんと考えた。
「私の場合は、なんか妹みたいかなぁ。ほっとけない妹って感じ。副官としてサポートしてるのか、姉として世話焼いてるのかわかんなくなっちゃう」
稲本は幸せそうに笑った。木下は感情が顔に出てしまうのを必死で抑えた。法外な努力が必要だった。稲本も出海も、木下にとっては下らなすぎた。
こいつら、頭の中はマンガかお花畑なんじゃないの?
「麗華はどう? セリナ参尉」
出海が木下に向き直って聞いた。
「うーん、そうだなぁ。すごくきっちりしてる人だから、仕事には厳しいかな。でも、そこさえ押さえてれば大丈夫だから」
木下はすらすらと答えた。本当は違う事を思っているのだが、用意してある模範解答をさも自分が思っている事のように話すのには慣れきっている。
「そっかぁ。さすが麗華だね。私、正直セリナ参尉はちょっと苦手かも」
稲本があごを軽くつまむようにしながら言った。木下はさらに頭に血が上りそうになった。
そうやって思った事を何も考えずに口に出せるなんて、どれだけ楽な人生なの? さぞかし楽しいんでしょうね。
「あ、もちろん、嫌いとかそういう事じゃなくて、私にはつとまらないだろうなって」
そうね。あんたにはあの何の取り得もない女子高生の相手がお似合いね。私にはあの子の子守りはつとまりそうもないわ。
木下は心の中でそう吐き捨てた。
紅い翼は蘇った。いやむしろ新生したと言う方が正しいだろう。同型機ではあったがマイナーチェンジが施され、より強力な機体となって新生したのだ。
霞ヶ浦上空での戦闘記録はかなり破損していたが、綿密なデータサルベージによりほぼ全容が解明された。その上で、三機の特殊機体に対応すべく改修が行われたのである。
「彼――TSUBASAの調整はどうなっている?」
総理の筆頭秘書官がラボの職員に尋ねた。宣戦布告以来、軍備関連の現場には総理秘書官が出向いていたが、この筆頭秘書官が自ら足を運ぶことは珍しかった。
「はい。前回の問題点を踏まえ、性格設定の調整を行っております。好戦性、積極性を増す為に、戦闘に対する心理的快感を強めていたのですが、それがマイナスに働いたようでしたので」
「なるほどな。だがその調整結果をいちいち実戦で確認するわけにはいかない。万全を期して調整してもらいたいものだ」
筆頭秘書官の口調は厳しかった。総理執務室で自分のためにコーヒーを入れていた時とは目つきが違う。宣戦布告によって戦争状態となっている現在、軍備の現場においては当然であった。
「MISAKIは出撃できるのだろうな?」
「それはもちろんです。彼女については、TSUBASAの改修に併せて機体を調整するのみでしたので」
職員の言葉に、秘書官は納得してうなずいた。
「作戦までそれ程余裕はない。全てはここにかかっている。それを常に意識して作業にあたって欲しい。よろしく頼みます」
秘書官はもう一度、紅い翼の機体に視線を走らせ、ラボを出て行った。