ゴブリン
メアリーさんは勢いよく馬を走らせる。その背中で僕はグラングランと悪路に振り回される。
「メアリーさん! 止めて! 気持ち悪い!」
「はあ! まだ王都を出たばかりだよ!」
「お願いだから止めてくれ! 吐きそうだ!」
「貧弱な奴だねぇ」
メアリーさんが手綱を引くと、馬はひひんと鳴いて、動きを止めた。
「だらしない奴だね。こんなんじゃいつまで経っても海岸に着けないよ?」
「体が弱いって言ったでしょ」
ゼイゼイと息を荒げる。今にも落馬しそうだ。
「仕方ないねぇ。ゆっくり行ってやるよ」
「そうしてくれ」
メアリーさんは再度馬を走らせる。今度は速足程度の速さだ。これなら何とか耐えられる。
「この調子じゃ海岸に着くのは明日だよ?」
「なら僕を置いて先に行けば?」
「口の減らないガキだねぇ」
「婆さんが無茶しなけりゃ僕も口を減らすんだけどねぇ」
二人してげっそりと海岸に向かう。
「そう言えば、あんたはどうしてあんなところで変な店をやってるんだい?」
気持ちいい草原が広がる中、メアリーさんは退屈しのぎにと話しかける。
「楽して金を稼ぐため」
「真面目に働きな」
「真面目にやると身体が持たなくて」
「口が上手いねぇ」
「そんなバカな」
雲一つない空だ。日向に居ると汗ばむ。
「家出かい?」
メアリーさんが突然変なことを言いだす。
「突然何?」
「家出したのかい? だからあんなところで変な店をやってるのか?」
くどくどと説教を始める。
「何を言われたか知らないけど、どんな言葉もお前さんを思ってのことだよ。なら素直に謝って家に帰りな。あんなところで金を稼いでもその場しのぎだよ」
「その場しのぎねぇ……」
確かにその通りではある。あそこで小金を稼いでも未来は無い。
だけどそもそも僕に未来は無い。身体が弱いからすぐに死ぬだろう。
僕はいつでもその場しのぎ。今日死んでもおかしくない。
「それに、ご両親はお前さんを心配してるよ」
「両親は死んだ。王都の火災と地震で」
メアリーさんは何も言わなくなる。
「僕は身体が弱い。だからいつだって死ぬ覚悟はある。でも妹は違う。あの子は十歳になったら聖女に選ばれる。それまで金を稼がないといけない」
パカラパカラと乾いた音が響く。
「死ぬ覚悟があるなんて嫌なこと言っちゃあダメだよ」
メアリーさんは沈んだ声を出す。
「お前さんの妹だって、そんな言葉聞きたくないはずだよ」
とてつもなく寂しい声だ。
「そうだね。ごめん」
「こっちも悪かったよ」
それから無言で海岸に向かった。
夕方になるとメアリーさんは森の中で馬を止める。
「ここで野宿するよ」
メアリーさんは馬の後ろに乗せていた毛布などの野宿セットを下ろす。
「降りな。そんで飯を探すからついてきな」
「飯? 食料用意してないの?」
「飯なんて探せばそこら辺に落ちてるよ」
「俺も行かなきゃダメ? 足手まといになると思うぞ」
「この森は魔物やオオカミの生息地だよ。お前さん一人で対処できるのかい?」
「そんなところで野宿するなよ」
馬を降りようとすると、メアリーさんが手を貸してくれる。
「優しいね」
「わたしゃいつだって優しいよ」
メアリーさんの手を握って、ゆっくりと馬から降りる。
「お前さんはなんでも見つけられるんだったね」
「まあね」
「ならどこに食料があるのか見つけてごらん」
森の中は真っ暗だ。一メートル先も見えない。
「明かりが欲しいんだけど」
「分かってるよ」
メアリーさんは松明を握り締める。
「ファイヤ」
呟くと松明に灯がともった。
「メアリーさんは魔法が使えるんだ」
「昔はドラゴンも凍らせた魔法剣士だよ。これくらいなんてことないさ」
メアリーさんは松明の光であたりを見渡す。
ピクリと目元が動く。
「……早く馬に乗りな」
「は? なんで?」
「ゴブリンに囲まれてるよ」
メアリーさんは神経をとがらせる。僕は目を凝らしても、何も見えない。
だけどここは老人の感を信じよう。
「分かった」
急いで馬に乗る。
「捕まりな!」
メアリーさんは馬の尻に鞭をぶち当てる。びっくりした馬は飛び上がるように走り出す。
突如、がさがさと周りから音がした。
「追ってくるね! しっかり捕まりな!」
メアリーさんは馬を一心不乱に走らせる。生臭い呼吸がそれを追いかける。
「き、気持ち悪い!」
早馬の勢いで視界がぐちゃぐちゃになる。
「我慢しな!」
メアリーさんの声に余裕がない。
「なんて数だい! それにこのゴブリンども! 手練れだね!」
メアリーさんは切羽詰まったように呻く。
「こんなところにどうしてこんな奴らが!」
がさがさと木々がざわめく。
「……ヤバい!」
目を閉じた瞬間、僕とメアリーさんがゴブリンたちに撲殺される未来が見えた。