8.ブリットとイェルドの結婚
イェルドが拷問を受けてから一カ月程が経った。まだ傷は癒えていないが、ベッドから起き上がれるようになり、実家のリンデゴード子爵家へ戻って療養している。
イェルドのあまりに酷い怪我を見て母親の子爵夫人は体調を崩し、静養するため次男と一緒に領地へ行ってしまっていた。
使用人の女性たちも明らかにイェルドを恐れている。そのため、早朝に散歩をするくらいで、彼は殆ど部屋に閉じこもって過ごしていた。
イェルドがフレデリクに会ったのは、ドリスを殺したと報告された時が最後だった。
『殺してくれ』と願った時、フレデリクがあまりに辛そうだったので、イェルドはずっとその言葉を後悔している。
もし、拷問したのがフレデリクでなければ、苦しみに負けイェルドは犯してもいない罪を告白してしまったかもしれない。そうなれば、女性を強淫した男との汚名を着て殺されていたのだ。場合によっては子爵家にまで累は及んでいた。
フレデリクが苦しみながら守ってくれた名誉と命なのだ。それなのに痛みに負け更に友を苦しめる言葉を吐いたとイェルドは悔やんでいた。
そんなある日、カルネウス公爵がリンデゴード子爵家を訪れた。益々力を強めている有力貴族の来訪に、子爵や長男は恐慌状態に陥ったが、公爵の目的はイェルドに会うことなので、子爵と軽い挨拶を交わしただけで、さっさとイェルドの部屋へと行ってしまった。残された子爵はイェルドのことを心配しながらも、公爵と対応しなくても良かったことに安堵していた。
「体の調子はどうだ?」
公爵は部屋に入ると、まだ包帯も取れていないイェルドに怪我の具合を訊いた。
「生きるのには支障はありません」
フレデリクのためにも、イェルドはこの体を受け入れようと思っていた。その答えを聞いて、公爵は少し顔をしかめる。
「娘のためにそのような酷い拷問に耐えてくれたのだな。君が罪を告白していれば、あいつらは娘に何をしたかわからなかった。本当に感謝している」
セシーリアは修道院へ行ってしまいもう二度と会えないかもしれないが、それでも、拷問されたり無実の罪を着せられ処刑されたりするよりは遥かにましだと公爵は思う。
「いいえ、自分の名誉のために耐えたのです。それでも、セシーリア様を助けることができたのなら、喜ばしいことです」
セシーリアを助けたい一心でフレデリクは苦しみながらもイェルドの拷問を続けていた。その辛い経験が報われて良かったとイェルドは心から思う。
「そんな恩ある君に素敵な花嫁を用意しようと思ってね。フレデリクの妹なのだが。名はブリットと言ったか。あいつと同じような真っ赤な髪をした十七歳の令嬢だ。悪くないだろう?」
公爵は口角を上げてイェルドに笑ってみせた。凄みがありすぎる笑顔だ。
「ブリット嬢? なぜ?」
フレデリクの妹の結婚話を公爵が持ってくることにイェルドは違和感を覚えていた。
「復讐だよ。君には感謝している。しかし、娘は修道院へ入り、私の手の届かないところへ行ってしまった。あいつにも大切な者を失う気持ちを味わわせてやりたい。これほどの拷問をして憎まれている男に妹を嫁がせるのだ。苦しむと思わないか?」
公爵は未だにフレデリクはドリスの取り巻きの一人だと信じていおり、憎しみを抱き続けている。
「違います! フレデリクはセシーリア様を守りたいと思っていました。だから、苦しみながら俺を拷問したのです」
公爵の誤解だけは解かなければならないと、イェルドは説得を試みるが、公爵を怒らせただけだった。
「黙れ! フレデリクがあの毒婦の取り巻きだったことは皆が知っている。娘を苦しめた輩の一人だ。こんな目に遭ってもあいつを庇うのは騎士団への忠義か? とにかく、フレデリクがセシーリアのために拷問したなどと、二度と口にするな」
これ以上フレデリクのことを話せば、更に公爵を怒らせそうで、イェルドはとりあえず説得を諦めることにした。
「閣下。フレデリクの心情はどうあれ、ブリット嬢には何の罪もありません。彼女に望まぬ結婚を強いるなど、お止めください。お願いです」
しかし、ブリットのことだけは引くことができない。イェルドは彼女に辛い思いなど絶対にさせたくはなかった。
「ブリットに罪がないことなど、自分でもわかっている。しかしな、許せないのだ。あいつの大切な者を奪ってやりたい。君がブリットとの結婚を拒否するのならば、他の男と結婚させるだけだ」
イェルドはそれだけは避けたかった。フレデリクへの復讐のための結婚だ。相手は碌な者ではないだろう。
「お待ちください。俺がブリット嬢と結婚いたします」
「そうか。了承してもらって嬉しいよ。なるべく早く、一か月後くらいでどうだろう? 君の傷も少しは癒えるだろうし」
「わかりました」
イェルドが首を縦に振ると、上機嫌で公爵は帰って行った。
勘当されたフレデリクは平民騎士向け独身寮に住んでいた。騎士団長令息とはいえ、従騎士も経験している彼にとって、寮での生活にそれほど不便を感じてはいない。
平民騎士の多くが王宮内部で起きた事件の詳細を知らされておらず、フレデリクが女に騙され仲間の騎士を拷問したとの噂を信じているため、寮に住む騎士たちはフレデリクをとても嫌っていた。時に、訓練との名を借りて、集団で暴行を受けることもある。
誰も救えなかったと自分を責め続けているフレデリクは、そのような状態にも不満を持つことはなかった。カルネウス公爵が命を奪いに来るのを待ってさえいた。
しかし、公爵の求めるものはフレデリクの命などではなかった。
「公爵閣下の強い要望で、あんたが拷問した騎士とあんたの妹が結婚するらしいぞ。妹を犠牲にするのはどんな気持ちだ?」
一人で訓練に励んでいたフレデリクのところへ、一人の騎士が薄笑いを浮かべながら近寄って来た。
「そんな馬鹿な!」
フレデリクは思わず走り出す。向かうは実家だ。父親である騎士団長にブリットを結婚させないように頼むつもりだった。
しかし、その願いは叶わない。騎士団長は騎士団のために娘を差し出そうとしていた。
「恋人でもないセシーリア嬢を護るために苛烈な拷問に耐えきったイェルドだ。おまえを殺したいほどに憎んでいるとしても、罪なきブリットにその憎しみをぶつけるとは思えない。あいつは騎士だから」
イェルドを近衛騎士に推挙した騎士団長は、彼をとても信頼していた。常に命の危険にさらされている騎士に可愛い娘を嫁がせたくないと騎士団長は思っているが、イェルドはもう騎士ではない。子爵位を二人に譲ることで、穏やかに暮らしてくれるのではないかと期待していた。
「騎士の誇りである剣を持つ利き腕を奪ったのは俺だ。騎士道など捨ててしまう程の酷いことをしたのは俺なんだ。公爵殿に俺の首を差し出して、この結婚をなかったことにしてもらってほしい」
イェルドは『殺してくれ』と言った。あの拷問は死ぬより苦しかったに違いない。フレデリクはイェルドが自分を憎まないはずないと思っている。
「その願いは却下された。死ぬことは許さない。自分のしたことの結果を思い知れ。それが公爵殿からの託だ」
自分の死でさえブリットを救えないと知ったフレデリクは、王都の教会を通じて、ブリットを助けてほしいとセシーリアに手紙を書くことにした。
しかし、三回書いた手紙に返事が来ることはなく、公爵が結婚を取りやめることもなかった。
そして、一か月が経ち結婚の日がやって来る。
騎士団長がブリットの結婚を阻止するのではないかと思っていたイェルドだが、とうとう結婚式の中止の知らせは届かなかった。
「フレデリク君がイェルドの名誉を守ってくれたことは理解している。しかし、どんな理由があるにしても、おまえをこんな体にした男の妹に良い感情を抱くことは難しい。この結婚を素直に喜ぶなどできないのだ」
リンデゴード子爵と長男は結婚式への参列を拒否した。
「父上、兄上。ブリット嬢にとって、これは望まぬ結婚です。祝福など不要でしょう。母上も体調を崩したままですし、俺が一人で行ってきます」
花婿が着るにはかなり地味は濃い灰色の礼服を着て、イェルドは馬に乗りたった一人で家を出る。
ブリットにとってイェルドは騎士の一人にすぎず、記憶に残ってはいないが、イェルドは数回会っただけのブリッドのことをよく覚えている。いつも元気で明るく、その笑顔が眩しいと思っていた。そんな彼女との結婚にイェルドは不満など感じるわけがない。もし、この傷だらけで右手を失った体がブリットに受け入れてもらえ、夫としてその肌に触れることを許されるのならば、それはどれほどの喜びを与えてくれるのだろうとイェルドは思う。
少しの期待を込めて、イェルドはブリットと対面した。
しかし、そんな淡い期待はすぐに打ち砕かれてしまう。ブリットは驚きの眼差しでイェルドを見て、泣きそうな顔をしながら辛そうに目を逸らした。もちろん、笑顔を見せることはない。
母親や使用人さえイェルドを恐れているのに、ブリットに受け入れてもらえるはずなどない。彼はそう自分に言い聞かせた。
そして、なるべくブリットの視界に入らないように暮らしながら、公爵の怒りが解けるのを待つことを決めた。
その時に、汚れなき体で騎士団長のところへ帰すのがイェルドにできる唯一の役目だ。
ブリットの笑顔を守りたい。結婚証明書に署名しながら、イェルドはそう神に誓っていた。