7.ただの騎士に
強淫の容疑者であるイェルドへの拷問は王太子から司法局へ届けられており、強淫教唆の疑いがかかっているセシーリアの拷問立ち合いは宰相が許可を出していた。
宰相は公妾となるドリスの調査を行っており、彼女が過去に複数の男性と関係を持っていたことを知っていたのにも拘わらず、イェルドに純潔を奪われたと主張するドリスの嘘を指摘せず、セシーリアの立ち合いを許可したのだ。
国の財務を牛耳るカルネウス公爵の力を少しでも削ぎたいと日頃から考えていた宰相は、王太子の暴走は好機だと捉えていた。
もし、イェルドが拷問に屈し、セシーリアの罪を告白していれば、司法局は彼女の罪を認定することになる。この状態でセシーリアを無理に助けようとするならば、カルネウス公爵は他の貴族の不信を買うことになるだろう。
イェルドが拷問に耐えきりセシーリアの罪が確定できなかったとしても、彼女を断罪しようとした王太子との婚約は解消となるのは確実だ。
宰相は自分の娘を王太子の婚約者にしようと目論んでいた。
王帰還後、当初は王もドリスが純潔でなかったことを隠していた。王太子の主張を通し、ドリス強淫の罪はイェルドだけに被せ、セシーリアを無罪にすることで、公爵を納得させようとの目論見だった。
司法局はセシーリアへの拷問は認めていなかった。カルネウス公爵は王太子がセシーリアを拷問しようとしたことは違法だとして、王に王太子の廃嫡を求めた。そして、拷問に屈しなかったイェルドの無罪も主張した。
その膠着状態が崩れた切っ掛けはエーギルとナータンの告白であった。
全てドリスの嘘であったことが発覚したのだ。
その後、王は王太子を見捨てるしかなかった。臣籍降下して新たに公爵となる。しかし、それは名ばかりの公爵であり、領地もなく王宮内部の小さな宮で蟄居状態で一生を終えることが決まった。
宰相は更迭。カルネウス公爵の弟である伯爵が新しい宰相に就任した。
イェルドとセシーリアはもちろん無罪となり、ドリスの実家は取り潰し。
ドリスの嘘を知っていたのに、王太子に真実を告げず拷問を止めなかったエーギルとナータンの二人は毒杯を呷ることになる。
ベンノだけはエーギルとナータンを告発したとして、実家から勘当されて平民になることで許された。
王宮に軟禁状態だったフレデリクは、久しぶりに家へ帰ることが許され、今回の顛末を父親の騎士団長から聞かされた。
「今回の場合、騎士が容疑者だったので、下手に動けば騎士団が事件を隠蔽していると司法局に認定されてしまう恐れがあった。宰相もセシーリア嬢を連れ出してきて、色々と難しかったと思うが、もう少し上手く立ち回れなかったのか?」
執務室でフレデリクと向き合った騎士団長は、かなり機嫌が悪い。ドリスの取り巻きを装っていたフレデリクのことで、カルネウス公爵から随分と責められたのだ。
「申し訳ありません! 司法局からセシーリア様への拷問が許されていないことを伝えられておりませんでした。司法局の監視人も止めなかったので」
司法局と騎士団は元々仲が良くない。王太子には伝えていたはずだが、おそらく騎士団には意図的に隠していたのだろう。
「それで、セシーリア嬢を守るために拷問を続けたのか? イェルドの名誉は守られたかもれないが、奴は傷だらけで、生きる気力も失くしている。セシーリア嬢は修道院へ行ってしまった。殿下は一生飼い殺し。そして、ドリスはおまえが殺した。おまえの詰めが甘かったせいで誰一人救えなかったのではないのか?」
父親の言葉は真実なので、フレデリクは反論もできない。するつもりもなかった。
「確かに俺は無能で、誰も救えなかった」
『殺してくれ』とのイェルドの言葉が頭から離れない。その言葉はフレデリクが無能だと責めているようだ。
「カルネウス公はおまえを廃嫡しろと言っている。騎士団としてこれ以上おまえを庇うことはできない。今持っている伯爵位も返してもらうが、それでいいな?」
ドリスの取り巻きをしていたのは監視の意味があったことと、セシーリアを守るためにイェルドを拷問し腕を斬り落としたと説明したが、公爵は聞く耳を全く持たなかった。今更言い訳をするなと逆に怒りを増しただけだ。
公爵にとって、フレデリクはドリスの取り巻きの一人でしかない。セシーリアに酷い拷問を見せ、あまつさえ、彼女を拷問しようとした憎いドリス一派なのだ。
「はい。騎士も辞め、平民として生きていきます」
フレデリクも生きる気力を失っていた。少なくとも、騎士を続ける気力はない。
「騎士を辞めることは許さない」
しかし、騎士団長は首を振る。
「なぜですか?」
イェルドの利き腕を斬り落とし、騎士を辞めざるを得ない状況にしたのに、自分だけが騎士であり続けるなどあり得ないとフレデリクは思う。
「騎士である以上、時に仲間を拷問しなければならないこともあるだろう。その度に騎士を辞めていては騎士団は成り立たない。おまえは殿下の命令で仕事としてイェルドを拷問したのだ。辞める理由は何一つない。フレデリク、騎士を続けるのだ。騎士団の独身寮へ入れてやる」
「わかりました」
父の言葉には逆らうことはできなかった。フレデリクは渋々の態で首を縦に振る。
「ところで、エイラやブリット、ペータルに言い訳をしなくてもいいのか?」
エイラとはフレデリクの母親であり、ブリットは妹、ペータルは弟である。彼らは事件の詳細を知らず、フレデリクは女に騙され仲間を拷問し公爵令嬢を罪に落とそうとしたと思っている。
「このままで構いません。公が俺の命を望んだ時、女に騙された愚かな男だと思っている方が諦めがつくと思うので」
「そうかもしれない。娘を守ってやったのに殺されたりしたら、非常に悔しいからな」
それは騎士団長の本音であった。どうにかして助けてやりたいが、公爵の怒りは治まりそうにない。騎士団長としてフレデリクを切り捨てるしかなかった。
居室へ行くと、母親のエイラが泣いていた。そして、ブリットが不安そうにソファに腰かけている。
「お兄様、女に騙されて仲間の騎士様を拷問し、公爵家のセシーリア様を罪に落とそうとしたというのは本当ですか? 社交界のみんながそんなことを噂しているの」
久し振りに会った兄は少し痩せたとブリットは思う。目の周りにも隈ができている。
「ああ。ブリットにも迷惑をかけて済まない。社交界で虐められていないか?」
「それは大丈夫。馬鹿な兄と元婚約者を持って、と憐れまれているけれどね。でもなぜそんな馬鹿なことをしたの?」
小さい時からとても優しく、正義感の強い兄だったとブリットは記憶している。それがなぜ、このようなことになったのだろうか?
「本当に済まない。もう会えないかもしれないが、元気で」
家と縁を切れば、公爵の憎しみは家族に行くことはないとフレデリクは楽観していた。
しかし、それは甘い見通しに過ぎなかった。