6.ドリスの死
「なぜ、こんな馬鹿げた嘘をついた?」
剣を手にしたフレデリクが問うと、ドリスは明らかに怯えた表情になった。それでも気丈に彼を睨みつける。
「殿下がね、公妾にしてくれるとおっしゃったの。陛下がやっとお許しくださったのですって。だけど、他の男との結婚が条件だったのよ。それで、結婚前にと体を求められたわ。初めてと騙せると思ったけれど、駄目だった。でも、殿下は誰かに襲われたのではないかと心配してくださった。だから、あの男に純潔を奪われたと告白したの」
ドリスの表情には罪悪感の欠片も見られない。フレデリクは益々怒りが増していくのを止めることができなかった。
「なぜイェルドを選んだ! あいつは絶対に女を襲ったりしない!」
ドリスはまるで、次に食べる菓子でも選ぶほどの気軽さでイェルドに罪を着せたようにフレデリクは感じた。
「でしょうね。真面目を絵に描いたような男だもの。私に分を弁えよとか、セシーリア様を立てろとか、殿下に嘘をつくなとか、色々文句を言ってきたの」
ドリスは楽しそうに笑った。多くの男を惑わすような笑みかもしれないが、フレデリクは嫌悪しか感じない。
「イェルドは常識的なことしか言っていないはずだ。たったそれだけのことで罪に落とそうとしたのか! 処刑されていたかも知れないのだぞ! それに、なぜセシーリア様を巻き込んだ!」
ドリスを牽制してほしいとイェルドに頼んだのはフレデリクだった。そのためにドリスの標的になったのかと思うと、悔やんでも悔やみきれない。
「だって、私はどんなに殿下に愛されても、妾にしかなれないのよ。理由は身分が低いから。子どもができたって夫の子となるの。王の血を引いていても絶対に認められない。でも、セシーリア様は身分が高いから、何の努力もしなくても将来の王妃様になるのよね。殿下の正式な妻はセシーリア様ただ一人。そんなの、悔しいじゃない。だから、壊してやりたかった」
女の嫉妬は本当に怖いとフレデリクは感じていた。セシーリアを拷問せよと迫ったドリスほどの醜い女は他に知らない。
「将来の王妃になるはずのセシーリア様が何の努力もしていないとなぜ思う? それに、王妃になることがそんなに幸せだと思うのか? おまえのような女と夫を共有するのだぞ。まだ十八歳のセシーリア様にとって、それはとても辛いことではないのか?」
カルネウス公爵はフレデリクの言葉を聞いて、悔しそうに俯いてしまう。娘に国の最高の地位を与えてやることができたと喜んでいた。しかし、それは幸せではなかったとフレデリクは言うのだ。
男爵令嬢ごとき、セシーリアが相手にすることはないと公爵は思っていた。所詮、欲の解消のためだけに存在する女だ。将来王妃となるセシーリアと全く違う。
しかし、最近のセシーリアがとても辛そうにしていたことと、王太子がドリスの言葉だけを信じセシーリアを断罪しようとしたことを考えれば、フレデリクの言うように、娘は幸せではなかったと公爵は認めるしかなかった。
「舞踏会へ行くのにもお金がかかるの。ドレスや宝飾品が必要でしょう? でも、うちはそんな余裕もない名ばかりの男爵家でね。それでも、父は私がデビューする時にドレスを用意してくれたわ。綺麗なドレスを着るのが嬉しくて、楽しみにしながら、初めての舞踏家へ参加したの。でもね、豪華なドレスを着た令嬢たちが私を笑うのよ。聞こえるように『みすぼらしい』って。辛くて泣いていると、ドレスを贈ってくれるという男性と知り合ったの。私は本当に馬鹿だった。結婚できると思っていたのに、彼は簡単に私を捨てた。私の純潔は一着のドレスに変わったわ」
昔を思い出したのか、ドリスの表情は辛そうに変わる。
「だから、男と寝て、金品をねだったのか? それは娼婦と同じだ」
王太子と出会うためには、高位貴族が主催する舞踏会へ参加しないと難しい。ドリスは男に体を与えて、そのような場に連れて行ってもらっていた。
「男爵の娘があの女たちを見返す方法は、それくらいしかなかった」
ドリスは王太子に過去のことを知られたくなかった。だから、王太子に問われた時、咄嗟にイェルドとセシーリアの名を出してしまう。成りあがるために王太子に近づいたドリスだが、愛情を確かに感じていた。
「どんな理由があっても、殿下に嘘の証言をして、無実の者を罪に落とそうとしたのは許せるものでない。最後に言い残すことはあるか?」
剣をドリスに向けながら、フレデリクが問う。せっかく公爵が与えてくれた機会だ。イェルドの仇だけはきっちりと討たなければならない。
「ないわ」
ドリスは勝負に負けたことをわかっていた。
フレデリクはドリスの右腕を切断した。
そして、すぐさま喉を突き刺す。悲鳴を上げる間もなく、ドリスは床に崩れ落ちた。
ベッドのシーツをはぎ取り動かなくなったドリスに被せた。そして、剣を一気に引き抜く。シーツは真っ赤に染まっていった。
「悔しいことに、おまえは腕が良すぎたようだ。苦しませないように殺したのは愛情か?」
カルネウス公爵の言葉に、フレデリクは黙って首を振る。ドリスにはイェルドと同じ苦しみを与えてやりたいと思っていたが、騎士の矜持が邪魔をした。
「この女はもっと苦しめたかった。おまえたちのせいで、セシーリアは修道院へ行ってしまったのだ。もう一生戻らないと言っている。今度こそ幸せな結婚をさせたかったのに、私の手の届かないところへ行ってしまった」
公爵は悔しそうにしていた。無事セシーリアを助け出すことができたと喜んだが、公爵といえども立ち入ることができない場所に行ってしまったのだ。
「申し訳ありません」
結局セシーリアを救えなかったのだと思うと、フレデリクの胸には虚無感が押し寄せてきた。
「今更謝っても遅い。こんな女の戯言に騙され、仲間を拷問して我が娘を罪に落とそうとしたおまえだけは許さないからな。覚えておけ」
そう言って公爵は牢を去って行った。
今更言い訳をしたところで公爵は信じないだろう。フレデリク自身がそう見えるように振舞っていたのだ。
あれほど憎かったドリスを自分の手で始末できた今、もう望むものもないとフレデリクは思う。
それから、フレデリクはイェルドの病室を訪れた。ドリスが死んだことを報告したいと思ったのだ。
医師が言うには、イェルドの意識は戻ったものの、未だに痛みで苦しんでいるという。
最初は渋っていた医師だが、短時間でもいいから会わせてほしいとフレデリクが強く願うと、初めて面会が許可された。
「本当に短時間だけですから。まだ、痛みは取れていないですからね」
あの拷問から十日も経っていない。フレデリクと会うとまた容態が悪くなるのでないかと医師は心配していた。
「わかっている。イェルドの負担になるようなことはしない」
フレデリクはそう言うと、病室の中に入って行く。
イェルドはぼんやりと天井を見ていた。痛みのせいか、全く覇気がない。このような姿にしたのは自分だと思うと、フレデリクの虚無感が更に増すような気がした。
「イェルド、ドリスを殺してきた。おまえのように苦しめてやりたかったが、それはできなかった。済まない」
イェルドの気が済むくらいに切り刻んでやれば良かったかとフレデリクは今更思う。
「おまえは騎士だから、無駄に苦しませるのは駄目だろう。それで良かった」
フレデリクの方へ顔だけ向け、イェルドは力なく笑う。
「イェルドは許してくれるのだな」
フレデリクはイェルドの本心を知りたいと思ったが、その表情からは何もわからない。だから、その言葉を信じることにした。
「なあ、もう俺が生きている必要はないよな。俺も一思いに殺してくれないか?」
今まで見たこともないような昏い眼差しでイェルドが頼んだ。
「それは駄目だ! お願いだ。生きてくれ。頼む」
フレデリクは必死に説得しながら、やはりイェルドも助けることができなかったと実感していた。
「こんな体で生きていけと言うのか? 残酷だな」
イェルドはもうフレデリクを見ていなかった。
「本当に済まない」
再度謝って、フレデリクは病室を出て行く。イェルドに死ぬより辛い思いをさせているのだと思うと、泣くことも許されないと感じていた。