5.王の帰還
イェルドが腕を失った夜、王が無事に帰還した。友好国との会談が速やかに進んだため、予定より二日ほど早く戻ることができたのだ。
セシーリアはすぐに牢から助け出された。王太子はドリスへの強淫教唆の容疑があると申し出たが、王は彼女が公爵邸へ帰ることを許可した。直接体は傷つけられていないものの、表情もなく目は虚ろなセシーリアの様子に、これ以上拘束しておくことは無理だと王は判断する。
それから王とカルネウス公爵の話し合いが続けられた。王太子はドリスが被害者であると主張し、一歩も引かない。引けば破滅だと王太子自身わかっている。
血を尊ぶ貴族女性に対する性的な暴行は重罪である。通常でも死罪は免れない。教唆も同罪となる。
ドリスは身分が低く、王太子の妃になることはできない。しかし、王は公妾にすることを認めていた。王太子の寵愛を受ける女性を護衛騎士が無理やりに襲ったのだ。普通の貴族女性に対する罪より重くなるのは当然だった。
イェルドに罪を告白させていれば、王太子の主張が通るはずだった。このような場合、拷問による告白はより説得力が増すと考えられていた。拷問前に告白したのならば、自らの罪を軽くしたいがために無関係な女性の名前を出したと疑われるが、拷問後だと、拷問に耐えても守りたいと思っている女性の名をやっと口にしたと考えられるからだ。
王太子はドリスを信じているので、彼にとっての真実は『セシーリアが命じてイェルドがドリスを襲った』という以外ない。
しかし、イェルドは最後まで告白しなかった。腕を斬り落とされてもなお罪を認めなかった。
王太子はそれを拷問が手ぬるいせいだとと主張した。
もちろん公爵も黙っていない。無実の娘を拘束して酷い拷問を見せられたのだ。許せるはずもない。
公爵はドリスへの取り調べを要求するも、王太子は断固拒否した。王は後日には許すと言葉を濁す。
ドリスからの証言を得られないため、騎士団はイェルドの無実を証明できずにいた。
フレデリクでさえ、イェルドはそのようなことをする男ではないとしか証言できない。
そんな膠着状態で王帰還から三日目を迎えた。
イェルドは一命を取り留めたが、まだ意識が混濁している状態だ。医師と世話をする騎士以外は病室に入ることを許されていなかった。もちろん、イェルドを拷問をして右腕を斬り落としたフレデリクは会うことを禁じられている。
「フレデリク、ちょっといいか?」
拷問に立ち会った者たちは王宮に拘束されていた。ベンノもその一人だ。そんな彼が騎士に連れられ騎士団の詰め所にやって来た。重要な証言があると申し出て、フレデリクとの面会が許されたのだ。
「ベンノ、よく俺に顔を見せられたものだな。ブリットに虐めの疑いをかけて、一方的に婚約を破棄したことをもう忘れたのか!」
フレデリクは妹のブリットをとても大切に思っている。ベンノはドリスのような阿婆擦れに誑かされ、ブリットを簡単に捨てたのだ。許せるはずもない。
「それは悪かったと思っている。でも、僕が婚約破棄を告げた時より、虐めをしているので反省させるため部屋に閉じ込めるとフレデリクが言った時の方が、ブリットは辛そうにしていたよね。本当に泣きそうだった。一番ブリットを傷つけたのは君だよね?」
ベンノにそう言われてしまうと、フレデリクは反論もできず、悔しそうに下を向いた。
最近、ドリスを虐めたと疑われた令嬢が王太子に睨まれ、婚約を破棄されたり、修道院へ入れられたりしている。中には父親より年上の後妻になった令嬢もいた。
これ以上虐めの嫌疑がかからないように、フレデリクはブリットを部屋に閉じ込めた。そして、ベンノから婚約を破棄され、その傷心のため部屋にから出ることができないと王太子に報告していた。
ブリットに本当のことを話しても、自分は虐めなどしないから大丈夫だと言って部屋を出て行くのではないかとフレデリクは恐れた。
そして、王太子はドリスの言葉だけを信じるので、疑われるだけで王太子の不興を買うかもしれないと告げることは、王族への不敬となりそうだ。そのため、フレデリクは虐めの罰だと言ってブリットを部屋に監禁した。そして、最近家に帰っていないので、言い訳もできていない。
「ブリットは俺を恨んでいるだろうか?」
フレデリクは別に答えを期待したわけではない。
「そりゃね」
しかし、ベンノは律義に返事をした。
「ベンノだって恨まれているからな! 自分だけは大丈夫みたいな顔をするな」
フレデリクがそう言うと、ベンノは自嘲するような笑みを見せた。
「ブリットは僕にとって妹みたいな感じだった。嫌いなわけではなかったけれど、このまま結婚してもいいのかと少し焦っていたんだ。燃えるような恋をしたかった」
「その相手がドリスか? 趣味悪いな」
「そうかもしれない。自分でも馬鹿だと思っている。でもね、ドリスの姿を見たり、声を聞いたりするだけで胸がドキドキして、これが恋なんだと思うと、毎日が本当に楽しかった」
ベンノは本当に楽しかったのだろうと思わせる笑顔を見せる。
「ドリスの惚気を言いに来たのか? 俺は忙しいのだが」
フレデリクはドリスのことなど聞きたくはない。彼女のせいでイェルドの腕を斬るはめになったのだ。名前を聞くだけで腹立たしい。
「違うよ。大切な話があったんだ。ほら、エーギルとナータンなんだけど、ドリスと肉体関係があったと思う」
「何だって!」
エーギルとナータンは王太子の側近で、拷問にも立ち会ったが、ずっとガタガタと震えていた。顔色も非常に悪く、途中で倒れてしまうのではないかと、フレデリクでも心配するほどだった。
「僕もドリスに軽く誘われたことがあったんだ、でも、婚約もせずにそんな関係になるのは駄目だと思って、待ってもらっていた。それで、ブリットとの婚約破棄後に婚約を申し込んだけど、あっさり断られた。でも、あの二人はもっと以前からドリスと関係を持ったのではないかと思う。だって、あの態度はどう見てもおかしかっただろう?」
「確かに。ドリスと寝たことがばれたら拷問されると恐れていたのか。それならあの態度もわかるな。わかった。直接会ってみよう」
フレデリクは大股で歩き出した。ベンノは小走りで後をついて行く。
エーギルとナータンはベンノと同じ部屋に軟禁されていた。フレデリクが大きな音を立てながらドアを開けると、相変わらず顔色が悪い二人が驚いたようにフレデリクの方を向いた。
ドリスのことを隠している二人にとって、イェルドを拷問した真っ赤な髪の大柄な騎士はまるで悪鬼のように見えている。
「ドリスと肉体関係があったな? 嘘をつくと拷問するぞ」
「ひぇっ!」
「わっ!」
フレデリクが少し脅すと、腰が抜けたのか、二人は床に座り込みながら悲鳴を上げた。
「本当のことを話すか?」
フレデリクは剣の柄に手をかける。
「はい。私はドリスと何回かベッドを共にしました」
心底フレデリクが怖いようで、何度も頷きながら震える声でエーギルが答える。
「私も五回くらいはドリスと寝ました。でも、彼女は処女ではなかった。エーギルが最初の男です」
ナータンもエーギルを指差しながら素直に答えた。
「えっ? 私はナータンが初めての相手だと思っていたけど」
エーギルは不思議そうに首を傾げていた。
「どれくらい前からドリスと関係していた?」
フレデリクの顔は益々険しくなり、声は地を這う程に低い。小さい時から知っているベンノさえ、傍に寄るのを躊躇うほどだ。
「一年ほど前からです」
「私もそれくらい」
二人の答えを聞いて、フレデリクはあまりに悔しくて歯を食いしばった。それを拷問前に告白していれば、イェルドは腕を失うことはなかった。少なくともイェルドがドリスの純潔を奪ったという罪は消えたのだ。
「ベンノ、カルネウス公に面会して、こいつらのことを告発してこい」
ドリスの取り巻きをしていたベンノたちは、カルネウス公爵の怒りを買ってしまっていた。特にフレデリクへの怒りは大きい。イェルドを拷問して、ありもしないセシーリアの罪を告白させようとしたと思われているのだ。フレデリクは最悪命を差し出せと命じられるだろうと覚悟はしている。
フレデリクが告発するより、ベンノの方が公爵は話を聞いてくれるだろうと思った。
「わかった」
ベンノは慌てて部屋を出て行く。
「カルネウス公にもちゃんと告白しろよ。嘘をつくようなら、容赦はしない」
フレデリクが睨むと、エーギルとナータンは何度も頷いていた。
それから事態は一気に進んだ。
ドリスと取り巻きたちの関係を知った王太子が、ドリスを取り調べることに同意した。
ドリスがイェルドに襲われたと申し出た日、彼は休日であった。ドリスはその日を覚えていたのだ。しかし、真面目なイェルドは休日でも騎士団本部の訓練場で体を鍛えていた。複数の騎士がそのことを証言する。それだけならば、イェルドを仲間内で庇っていると疑われるが、幸いなことに、有力な証言者がいたのだ。
その日は天気も良く、第二王子が騎士の訓練を見学したいと希望し、護衛騎士を伴って騎士団本部まで視察に訪れていたのだった。
第二王子は王太子の護衛騎士であるイェルドを見つけ、自らの護衛騎士と模擬戦をするように要請した。もちろん、闘いに勝利したのはイェルドだ。第二王子はその時のことをはっきりと覚えていた。
こうして、ドリスの嘘は全て暴かれた。
それから、五日ほど経ったある日、フレデリクは王宮内のカルネウス公爵の執務室に呼び出された。
「あのような毒婦に騙されて、仲間の騎士を拷問の上に腕を斬り落とした気分はどうだ?」
公爵の機嫌は最悪のようで、フレデリクを不機嫌そうに睨んでいる。
「後悔しています」
そう答えるフレデリクはとても悔しそうだった。
もっと前にドリスのことを徹底的に調べていれば、エーギルやナータンとの関係が発覚していたかもしれない。そうなれば、王太子も目が覚めていたはずだ。
「今更後悔しても遅い! 今日ここへ呼んだのは、おまえに素敵な仕事を与えようと思ってね。ついて来い」
公爵は怒りの表情で執務室を後にする。フレデリクも後に続いた。
階段を何度か下り、公爵が向かったのは拷問部屋の隣にある牢であった。粗末なベッドがあるだけの牢はイェルドも入れられていたところだ。その中に女が一人、ベッドに腰かけていた。
自分が牢に囚われるのだと思っていたフレデリクは、その女を見て驚く。それは誰よりも憎いドリスだった。
「あの女の処刑命令が出た。普通の貴族のように毒は使わない。おまえが直接手にかけるんだ。一度は心奪われた女を殺させてやろうというのだ。私は優しいだろう?」
公爵はフレデリクが嘆き悲しむのではないかと期待していた。
「確かに、優しいですね。お心遣い感謝いたします」
公爵の予想に反して、フレデリクは嬉しそうに礼を言いながら、腰に佩いた剣の柄に手をかける。