4.右腕切断
拷問も三日目を迎えて、イェルドは随分と弱っていた。フレデリクの努力によって致命傷はないものの、両手の爪は全て剥がされ、体には切り傷と鞭の痕が無数に走り、肌は血で染まっていた。
それでも、イェルドは罪を認めなかった。
粗末な椅子に座らされているセシーリアも、限界が近いと思わせるほど顔色が悪い。男爵令嬢である女性騎士が世話をしているが、侍女ほどの気配りはできていない。貴族用の牢とはいえ、公爵令嬢が泊まるにしては部屋はあまりにも粗末だ。
決して不満を漏らすようなことはないが、セシーリアが不便を感じているのは想像に難くない。
「ねえ、フレデリク。あの棒を使えば? 火傷はとても痛いから、本当のことを喋るのではなくて?」
ドリスは楽しそうにそんなことを言う。彼女が指差したのは、赤くおこった炭が入っている鉄の桶だ。そこには木の持ち手がついた鉄の棒が刺さっていた。管理人が用意した拷問器具だ。
「それはいい。フレデリク、その棒を使え」
イェルドが口を割らないことに王太子は我慢の限界を感じていた。
「しかし、これ以上の責めを行うと、イェルドが死んでしまうかもしれません」
ドリスが言うように火傷の苦痛は大きく、完治も難しい。フレデリクはできれば使いたくなかった。
「それは私でも持てそうだわ。セシーリア様に使えばどうかしら? 私はとても傷ついたもの。セシーリア様も苦しんでほしいのよ」
ドリスは椅子から立って鉄格子の方に近寄った。犯人の逃亡を防ぐために鉄格子には鍵がかけられているが、部屋隅に控えている管理人に申し出ればすぐに鍵は外される。
「素人が下手に拷問すると、喋る間もなく殺してしまいます。拷問の意味がありません」
フレデリクはもしドリスが入ってくるようなことがあれば、手が滑ったふりをして鉄の棒を押し付けてやろうかと思っていた。
「それならば、フレデリクがセシーリアを拷問するか?」
王太子は非常に焦っていた。そろそろ王と公爵が帰って来るかもしれない。それまでにセシーリアに命じられドリスを襲ったとイェルドに告白させなければならない。
「それだけはできません」
「ドリスを苦しめた女を庇うのか? まあいい。それならば、イェルドにその棒を使え。これほど真実を喋らないのはフレデリクの拷問が生温いからではないのか?」
これ以上拒否すれば、セシーリアを拷問されてしまうと思い、フレデリクは赤くなっている鉄の棒の持ち手を掴んだ。
フレデリクはなるべく温度が下がるように鉄の棒を振って灰を落とし、イェルドに近寄っていく。
「なるべく目立つところが良いわ。顔とかね。拒否するのならば、セシーリアに鞭を使うわよ」
自分の取り巻きだと思っていたフレデリクがセシーリアを庇ったことで、ドリスは彼を警戒し始めていた。拷問部屋に入ることなく管理人に鞭を用意させる。
力の弱いドリスが振るう鞭でも、セシーリアの柔肌に深い傷痕を残すだろう。
フレデリクはやるしかなかった。
フレデリクはイェルドの髪を掴み顔を上げさせた。そして、頬と顎に鉄の棒を押し付ける。
ジュッという嫌な音を消すようにイェルドの獣のような悲鳴が響き渡る。
そんなことを何度か繰り返した。
「喋るつもりになったか?」
いくら何でもこれで罪を認めるだろうと王太子は期待した。
「いいえ、騎士の、誇りに、かけて、何も、して、いません」
しかし、イェルドは認めない。
「騎士の誇り? 罪を犯したおまえはもう騎士ではない。それを理解させれば話す気になるのか? フレデリク、こいつの利き腕を切り落とせ!」
「殿下! それはあまりにも」
フレデリクはとても了承できなかった。剣を持つ利き腕は騎士の誇りだ。このような茶番で失わせることはできない。
「女を力づくで襲うような男だ。騎士の誇りなど既に失っている。それに、片腕になればそのような卑劣なこともできないだろう。拒否するのならば、セシーリアを僕が拷問するからな。ドリスの無念をわからせてやる!」
王太子はドリスから鞭を受け取り、床に向かって振り下ろした。剥がれた絨毯の毛が飛び散り、ゆっくりと舞い落ちる。
「ひっ!」
セシーリアは目を見開いて王太子を見ている。怖くて動くこともできないでいた。
「済まない」
フレデリクが小声で声をかけると、イェルドは小さく首を振った。それは腕を切り落とすことを拒否しているのか、謝罪は必要ないと言いたいのかフレデリクにはわからない。
しかし、イェルドの思惑がどうであれ、セシーリアを拷問させるわけにはいかない。
財務を担うカルネウス公爵は有力貴族だ。祖父は現王の叔父なので、王族の血も入っている。その掌中の珠を傷つけたとなると確実に国が荒れる。
ドリスの取り巻きだと思われているフレデリクが優秀な騎士であるイェルドを拷問したとなると、騎士団さえ二分しかねない。
王都で争うことになると、住民にも犠牲者が出る。国が荒れれば他国から侵略されるかもしれない。一人の女のために国が亡びる。そんな馬鹿なことだけは阻止したいとフレデリクは覚悟を決める。
フレデリクは革のベルトできつくイェルドの右腕を縛り、木の机に固定した。そして、壁にかけられていた大剣を手に取りおこった炭の中に入れる。こうすることで病魔を防ぐことができると経験則で知っていた。
腕や脚を怪我すると、傷口から腐っていくことがある。そんな時は一気に患部を切り落として命を救うのだ。剣の腕が立つフレデリクは何度かそんな治療を手伝ったことがある。
フレデリクは大剣を炭から取り出してしばらく冷ます。そして、剣先を机に固定した。両手で柄を持ち一気に下げると、骨も断ち切り腕を両断できる。
「もう一度聞く。セシーリアに命じられてドリスを襲ったな」
低い声で王太子が訊いた。
「いいえ。して、おりません」
最後の気力でイェルドは王太子の言葉を否定する。
セシーリアは自分を救うためにイェルドが拷問に耐えているとわかっていた。それでも、代わるとはとても言えない。この場の全てが怖かった。目を瞑って耳を塞いでしまいたい。それでも濃厚な血と肉が焦げる匂いからは逃れることはできなかった。彼女はただ震えながら目を逸らしていることしかできない。
「フレデリク、斬れ!」
そんな中、王太子が命じた。
歯を食いしばりながらフレデリクは剣を押し下げる。
今までで一番の悲鳴が上がった。
そして、セシーリアが気を失って椅子から滑り落ちた。
「ナータン! 治療を」
フレデリクは管理人を大声で呼んだ。彼は腕のいい医師でもある。鍵を開けて管理人が入って来た。
「殿下、今日はこれで終了してよろしいですね」
そう言いながら、フレデリクは血で汚れた手袋を取り、上着を脱ぎ去った。
「いいだろう。続きは明日だ」
さすがに腕から流れ出る多量の血を恐れたのか、王太子はドリスと側近を連れて出て行く。
フレデリクはセシーリアに近寄りそっと抱き上げた。その身は思った以上に軽く、この三日、殆ど食事を口にしていないとの報告が真実であると思わせる。
セシーリアの体をなるべく揺らさないように慎重にフレデリクは歩き出した。
階段を上がり、半地下になっている貴族用の牢の近くに来た時、ゆっくりとセシーリアが目を開けた。そして、フレデリクに横抱きにされている状況に驚く。
「私なんかが触れて申し訳ありませんが、部屋までもうしばらく我慢していただけますか?」
セシーリアの目が覚めたことに安心してフレデリクはそう訊いたが、彼女は返事ができないでいた。
「あのような思いをさせてしまい、申し訳ありません」
フレデリクは何度も謝った。セシーリアはそれでも声が出せない。自分のためにフレデリクがイェルドの腕を斬り落としたのは理解していた。あのままでは自分が拷問されていたのだ。それは身震いするほどに恐ろしい。だからフレデリクにもイェルドにも感謝しなければならないと彼女は思う。
しかし、正直セシーリアは人の腕を簡単に斬り落とすフレデリクが怖かった。
ふとセシーリアが見上げると、大きな騎士はまるで泣きそうな顔をしていた。真っ赤な髪に飛び散った血が一滴頬に落ちる。それはまるで涙のように頬を伝っていった。