3.友を拷問
「お待ちください。わたくしはその騎士様と言葉さえ交わしたことがないのです。密通しているなどあり得ません。わたくしは純潔です。お疑いなら、医師に確認してもらっても構いません」
動揺と羞恥のためにセシーリアの声は震えていた。もちろん彼女の言葉は真実であるが、王太子は罪を隠しているせいだと判断して、益々怒りを募らせた。
「最後まで許すほど恥知らずではなかったらしいな。しかし、たとえセシーリアが純潔であったとしても、この騎士にドリスを襲えと命じなかった証明にはならない。今ここで罪を告白するのであれば、この騎士の拷問を中止してやるが、素直に認める気になったか?」
憎しみのこもったような声で王太子が問う。顔も苦々しく歪んでいた。
十歳で婚約を結んでから八年が経つが、今まで王太子のこのような声を聞いたことがなかったセシーリアは更に混乱した。しかし、罪を認めては駄目だということだけは理解していた。罪を認めてしまうと、彼女だけではなく無関係な騎士の命も失われてしまうだろう。
「いいえ、わたくしはそのようなことはしておりません」
婚約者にこのような疑いをかけられ、セシーリアの目からは涙があふれそうになる。しかし、それをぐっとこらえて王太子の目をまっすぐに見つめた。
「相変わらず可愛げのない女だ。罪を隠しおおせるとでも思っているようだが、悪しき行いは必ず露見するものだ。覚えておけ。フレデリク、やれ! 絶対にその男から真実を引き出すのだ。ドリスのために」
王太子から拷問を命じられたフレデリクは、なるべく時間をかけてイェルドの上半身を裸にした。
王族を最も近くで警護する近衛騎士は基本屋内勤務だ。だが、生真面目なイェルドは休日も休まず訓練をしているので、筋肉質の肌はこんがりと日に焼けていた。王太子を護るためにひたすら体を鍛えているのだ。
その王太子からあらぬ嫌疑をかけられ、拷問を受けることになる。
イェルドの心情を思うと、フレデリクは辛くて体が動かない。
「仲間を拷問するのが嫌ならば、セシーリアを拷問してもいいのだぞ。それの方が早く終わるだろう」
フレデリクの逡巡に苛立ち、王太子はセシーリアを目で示した。彼女はそんな王太子を恐れて目を伏せる。
「これから拷問を始めます。しかし、セシーリア様にはご退室いただいた方がよろしいのではないですか? か弱い女性が見るには残酷すぎると思われます」
フレデリクはセシーリアをこの場から遠ざけたかった。
彼女を傷つけると政治的に非常にまずい事態になるだろうが、それよりも、騎士の誇りにかけてフレデリクは無実の女性を拷問することなどできない。見せることさえもしたくはなかった。
「セシーリアの退室は許さない。ここから逃げるのならば、それは罪を告白したとみなす。そこに座って、ことの成り行きを確かめるのだ。拷問される情夫が哀れと思うのならば、罪を素直に認めろ」
王太子は自分たちとは離れた場所に一つだけ置かれた椅子を指差した。布も張られていない粗末な木製の椅子だ。
「わたくしは本当に何もしておりません」
王太子が命じるままにセシーリアは椅子に座る。足が震えてそれ以上立っていることは難しかった。
なるべく大きな音がするように、それでいて痛みを最小限に抑えるように気をつけながら、フレデリクはイェルドの大きな背中に鞭を振り下ろす。それだけで皮膚が破れて血が滲みだすが、イェルドは歯を食いしばって、痛みに耐えていた。
拷問室には鞭の音が何度も響く。イェルドの背中を幾筋もの傷が交差するように埋め尽くしていて、鞭が振り下ろされる度に血が飛び散っていく。
「う、うう」
さすがにイェルドも苦痛の呻き声を上げた。
セシーリアは辛そうに俯いている。ドリスは薄笑いを浮かべながらイェルドを見つめていた。
「真実を話す気になったか?」
王太子は椅子から立ち上がり鉄格子に近寄った。
「殿下を、裏切るような、真似は、しておりません」
荒い息を吐きながらも、イェルドは罪を否定した。
「鞭だけでは口を割らないようだ。鞭など子どもの躾にも使うものだろう。もっと他にないのか?」
口を割らないイェルドに王太子はかなり苛立っていた。
「この鞭は拷問用のもので、子どもの躾用とは威力は段違いです」
これほどの傷を見てもそんなことを言うのかと、フレデリクは情けなくなる。
次にフレデリクはナイフを使うことにした。血が出て痛そうに見えるが、斬る場所を間違わなければ致命傷には至らない。とにかく時間を稼ぎながら、拷問を続けるしかない。
「ドリス嬢には、触れた、ことも、ありません」
イェルドは切れ切れの言葉で何度も否認した。
「本当のことを話せば、楽に死なせてやるのに。ドリスの純潔を奪ったおまえには破格の量刑だろう?」
王太子は鉄格子の外から憎々し気に血だらけのイェルドを見下ろしている。
「真実を、語って、います」
力なくイェルドは首を振る。
「目を抉れば真実を語るのではないか?」
かなりの時間拷問を行ったが、それでも口を割らないイェルドに、王太子は苛立ちを隠せない。
「殿下。拷問器具を見せる方が効果的です。目を潰してしまっては視覚的な恐怖を与えられません」
フレデリクはなんとか欠損のない状態でイェルドを助けたいと思い、必死で王太子を説得する。
「そうなのか? それなら歯を抜けばどうだろうか?」
イェルドが真実を告白するようならば、司法局の者に立ち会わせて、セシーリアの罪を確定しようと王太子は考えている。騎士と通じドリスを襲えと命じた罪人ならば、セシーリアを処刑しても父親のカルネウス公爵も何も言えない。
もし、公爵と争いになり王位を失うことになっても、ドリスへの仕打ちは絶対に許すことができないと王太子は思っていた。それほどドリスに骨抜きにされている。
しかし、イェルドがこのまま口を割らなければ、確実に王太子の身分を剥奪されることになる。それがわかっているからこそ、王太子は今更引くとなどできなかった。
「歯より爪の方が苦痛は上です」
爪を剥ぐのは激痛である。しかし、爪を失っても歯や目ほどには生活に支障をきたさなし、半年もすれば再生する。フレデリクはそう提案するしかなかった。
「なるほど、それならば、爪を剥げ」
王太子は容赦するつもりはない。
フレデリクはイェルドを床に座らせて、右手首を革のベルトで木製の低い机に固定した。
そして、ペンチを持ち出す。
「うぐぅ!」
それまで歯を食いしばって耐えていたイェルドだが、さすがに大きな呻き声を上げた。
「話すつもりになったか?」
「何も、して、おりません」
それでもイェルドの答えは変わらない。真実を語り続けるしかなかった。
「殿下。これ以上続けるとイェルドは死んでしまうでしょう。本日はこれくらいにしてはいかがですか?」
右手の五本の指の爪が全て失われてしまった。鞭とナイフの傷からも出血が続いていて、イェルドはぐったりとしている。
「わかった。明日は左手の爪を剥ぐ。覚悟しておけ。イェルドは隣の牢へ。セシーリアは上の階の部屋へ入れろ」
上階にあるのは貴族用の牢だ。フレデリクの顔が曇る。
「殿下。それはいくら何でも」
「セシーリアは罪人だ!」
諫めようとしたフレデリクの言葉を途中で遮り、王太子はセシーリアを睨みつけた。
「私が部屋までお送りいたします」
王太子の態度に、フレデリクはセシーリアの傍を離れることに不安を覚えた。
「フレデリク、絶対に逃がすなよ。セシーリア、逃げたら罪人として見つけ次第処刑するからな!」
「わたくし逃げたりいたしません。逃げるようなことをしておりませんもの」
真っ青な顔をしながらも、セシーリアは気丈に振舞っていた。それがあまりに痛々しいとフレデリクは感じる。
医師も兼ねた拷問部屋の管理人にイェルドを託し、フレデリクはセシーリアと共に血なまぐさい部屋を後にした。
拷問を間近で見せられたためか、セシーリアの歩みはおぼつかない。抱き上げて運びたかったが、これ以上誤解されるような真似はできないと思い、フレデリクは少し距離をとり彼女の歩調に合わせてゆっくりと歩く。
「私の力及ばず、このような辛い思いをさせてしまい、申し訳ありません」
王太子の側近でありながら、このような暴挙を止めることができなかった。フレデリクはそれが悔しい。
「フレデリク様はドリス様をお慕いしているのではないのですか?」
セシーリアはずっとそう信じていた。だから、フレデリクは自分を嫌っていると彼女は思っている。
「いえ、決してそのようなことは。私は殿下の護衛騎士ですので、側に侍ることが多いだけです」
「そうなのですか?」
セシーリアの言葉は不信に満ちていた。今までドリスの取り巻きを装っていたので無理もないとフレデリクは思うが、それでも納得はできない。あのような下品な女を好きになるはずもない。ましてや大切な友であるイェルドを嵌めた女なのだ。
「あの騎士様は大丈夫なのでしょうか?」
自分を陥れるためにイェルドに襲われたとドリスが嘘の証言をしたとセシーリアは確信していた。
「イェルドは私の友です。女を襲うような男ではありません」
「それはわかっております」
セシーリアのその言葉に嘘はないようなのでフレデリクは安心した。彼女にまで強淫を疑われるとイェルドが哀れすぎる。
「イェルドは貴女のために拷問に耐え抜くでしょう。ですので、お辛いとは思いますが、貴女も耐えてください。必ず無事にここからお救いします。貴女もイェルドも」
セシーリアは歩を止め、フレデリクを見つめた。騙されるのではないかと一瞬思ったが、イェルドを拷問する時の辛そうな表情を思い浮かべ、彼女はこの赤髪の大きな騎士を信じようと思った。