2.拷問部屋へ
王太子の私室の前には、蒼白な顔のベンノが待っていた。
「フレデリク! 待っていたんだ」
「何かあったのか?」
フレデリクは胸騒ぎを覚えたが、冷静さを装い尋ねる。
「ドリスが近衛騎士に襲われて、無理やり純潔を奪われたんだ。犯人は既に捕らえている。早く来て、あいつをどうにかしてくれ」
「近衛騎士?」
騎士がそのようなことをするだろうかとフレデリクは疑問に思ったが、ベンノに腕を掴まれ王太子の私室に連れ込まれたので、すぐに疑問は解消した。部屋の中央に縄をかけられたイェルドが座っていたからだ。
「フレデリク。その男を地下の拷問室へ連れて行け。ドリスを襲っておきながら、本当のことを話そうとしない」
王太子はかなり憤っているらしく、顔を真っ赤にして目は吊り上がっている。
「殿下。イェルドはそのようなことをする男ではございません。何か誤解があると思われます。どうか騎士団に捜査を任せてください」
どうにか王太子の怒りを鎮めようとするフレデリクだが、その試みは成功しなかった。
「ドリスが襲われたと証言しているのだぞ。それを他の騎士にも聞かせよと言うのか? それが女性にとってどれほど辛いことかも理解できないか! 愚か者め」
更に怒りが増したようで、王太子は唾を飛ばしそうな勢いでフレデリクを責めた。
「騎士団には少数ですが女性騎士もおります。ドリス嬢への聞き取りは彼女たちにさせますので安心してください」
「嫌よ! 殿下にちゃんとお伝えしたもの。殿下、こんな男は早く殺してよ。本当に怖かったんだから」
王太子の後ろに隠れていたドリスが顔を出して、フレデリクの言葉を遮るように声を出した。
その甲高い声が不快だと顔を顰めそうになるが、フレデリクはなんとか笑顔を取り繕う。
「ドリス嬢。本当にイェルドだったのでしょうか? 非常にお辛い思いをされたので、冷静さを失い相手を誤認したのではないですか?」
ドリスが嘘をついていると知りながらも、フレデリクはどうにかイェルドではないとの証言を引き出そうとした。
「ドリスを襲った男が僕の護衛騎士だと知って、どれだけ悔しい思いをしたかわかるか! 本当にこいつが憎い。本来ならばすぐに処刑するところだ。理由は僕への不敬で十分だろう? しかし、ドリスが言うにはこの男に命じたのはセシーリアだそうだ。ならば、真実を暴かなくてはならない」
しかし、王太子はフレデリクの思惑を打ち砕く。悔しいことに、王族に不敬を働いた近衛騎士を処刑したところで、何ら問題にならない。有力貴族の子弟ならともかく、力の弱い子爵家のイェルドならすぐに忘れ去られるだろう。
「セシーリア嬢がそのようなことをするとは思えませんが」
イェルドはともかく、セシーリアは公爵令嬢。捜査もせず罪に問うことはないだろうとフレデリクは考えたが、それは甘かったようだ。
「だから、拷問をしてでも真実を引き出さなくてはならない。フレデリクが直接拷問をしたくないのであれば、他の騎士に任せればよい。僕の護衛騎士になりたい者は多いだろう。僕の命令を素直に聞いてくれるはずだ」
イェルドの剣技も性格も申し分なく、その実力で近衛騎士となった。登用したのは騎士団長だ。しかし、次期騎士団長であるフレデリクに取り入って近衛騎士になったと、イェルドに嫉妬する騎士がいるのをフレデリクは把握している。そんな騎士に拷問を任せることはできない。必要以上に苦痛を強いることになるだろうから。
「拷問は私が行います」
フレデリクはイェルドを立たせ、イェルドを縛っている縄の端を引いて部屋を出だ。
趣味の悪い部屋だとフレデリクは思う。部屋の中には様々な拷問器具が置かれている。石造りの床や壁の染みは血痕に違いない。
鉄格子を隔てた向こうは絨毯を敷いた床と白い壁の部屋になっている。そこには豪華な椅子がいくつか用意されていて、まるで観劇するかのように拷問を見学できるようになっているのだ。
王太子とドリス、それに三人の側近が椅子に座った。
「フレデリク。もし俺が苦痛のために嘘の証言をしそうになったら、口が利けない状態にしてくれ」
王太子に聞かれないようにイェルドは小声でそう願い出た。
「了解した。しかし、殺してはやれない。セシーリアのために、陛下が帰還するまで耐えてくれ」
フレデリクも小声で答える。
もしイェルドが口を噤んだまま死んでしまえば、王太子はセシーリアの罪を捏造するかもしれない。それを危惧しているフレデリクは、信頼する友を拷問し、どれほど苦痛を与えても死ぬことも許すことができない。
正直逃げたいとフレデリクは思う。王太子も許すと言ったので、引き留めはしないだろう。
しかし、見なかったとしても、イェルドが苦しむことに変わりない。もし彼が偽の証言をすれば、怒りに我を忘れている王太子がセシーリアを処刑してしまうかもしれない。そして、国が荒れる。
次期騎士団長として逃げることなど許されない。
「済まない」
小声で詫びを言うことしかできないフレデリクだった。
「いや。俺が隙を作ったせいだ。世話をかけて申し訳ない」
イェルドもまた、大切な友が苦しむことになるだろうと思っていた。
しばらくすると、セシーリアが隣の部屋に入って来た。拷問部屋の様子を見て顔色を失くしている。
「わたくしはなぜこのようなところに呼ばれたのでしょうか?」
震えながらも、セシーリアは気丈にも王太子に問うた。王太子の隣ではドリスが薄ら笑いを浮かべている。その下品な様子にセシーリアは不快の表情を浮かべたが、すぐに表情を消した。
「ドリスがその男に襲われた。それを命じたのがセシーリアというではないか。恥を知ったらどうだ。いくら公爵の娘だろうと、やって良いことと悪いことがあるだろう」
王太子は取り繕うこともせず、声に怒気を含ませている。
「このような者をわたしくは存じませんが」
「嘘をつくな! その男と通じているのだろう? 不義密通は重罪だぞ。その上、ドリスに嫉妬して襲わせた。許し難い」
王太子の怒りは収まりそうにもなかった。
「殿下。一方だけの証言を鵜呑みにするのはいかがなものかと。セシーリア嬢は知らないとおっしゃっています」
無駄だと思いつつ、フレデリクは再度王太子への説得を試みた。
「女性が男に襲われたなどと証言するのはどれほど勇気がいることかわかっていないのか! セシーリアの証言とは重みが違うだろう。でも、僕は暴君ではないから、その男の告白を聞いてやろうとしているのだ」
ドリスのような阿婆擦れが男に襲われたと証言するのに勇気など必要ないとフレデリクは思うが、そんなことを言えば余計に怒りを買う。
面倒なのは、王太子が正義感からこんなことをしていることだ。王宮の奥深く清浄な環境で育った王太子は、たおやかな貴婦人しか知らない。
「ねえ、殿下。いっそ、セシーリア様を拷問すれば? あの男よりすぐにしゃべってくれそうよ」
そんなドリスの言葉に、男に襲われたと証言するのに勇気がいるような女性は絶対そんなことを言わないとフレデリクは思う。そして、絶対にセシーリアを拷問させるわけにはいかなかった。
「殿下。そんなことをすればカルネウス公が黙っていません」
そう言ってから、フレデリクは三人の側近を見た。ベンノは困ったような顔でドリスを見ているが、声を出そうとしない。残りの二人は青い顔をして震えているだけだ。
セシーリアを傷つけた場合どうなるか理解しているはずなのに、ドリスを諫めない側近たちにフレデリクは絶望を禁じ得ない。
「そんなことはわかっている。だから、早くその男の口を割らせろと言っているのだ!」
王太子の苛ついた声に、フレデリクは鞭を手にするしかなかった。