14.初顔合わせ
馬車は快適に進み、夕方には王都へと到着した。王都への入門手続きは簡単に済み、そのまま王宮近くに広大な敷地をもつカルネウス公爵邸へと向かう。
「とても懐かしいです」
貴族の館が建ち並ぶ地域へさしかかった時、セシーリアが思わず呟いた。彼女が王都を出て半年以上が経っている。季節は変わってしまったが、静かな佇まいは変わらない。
「私も四ヶ月ほど王都に帰っておりませんから、懐かしく感じます」
ブリットも窓の外を眺めてはセシーリアに相槌をうった。
馬車に同乗している侍女も同じ思いだ。ブリットの結婚時にファルンバリ子爵領まで一緒に行った彼女は、今回も同行していた。
この旅の主な目的はセシーリアに会うことであったが、その足でイェルドの実家とブリットの実家に行くことになっている。侍女も長年勤めた騎士団長邸へ帰ることができるので、里帰りのような気分で少し浮かれていた。
馬車が公爵家の門を通過すると、若い家令が馬車まで走り寄ってくる。
王都の入門係から予め公爵邸へ連絡が行っていたらしく、カルネウス公爵とその夫人が既に建物の外で待っていた。
家令に手助けされながらセシーリアが馬車から降りると、公爵夫人が涙を浮かべながらセシーリアに抱きついた。
「セシーリア、元気そうで良かったわ」
感極まったように夫人の拘束は強まるが、セシーリアは久し振りに感じる母親の温かさが心地良いと感じる。
「お父様、お母様。ご心配をかけてしまいました」
父親とは殆ど顔を合わさぬうちに修道院へ行ってしまったので、無責任だと責められるのではないかとセシーリアは思ったが、公爵の眼差しはとても優しい。
「わたくしがセシーリアを修道院へ入れました。あの時の娘は本当に弱っていて、放っておくと儚くなってしまうのではないかと恐れたのです。でも、そのために皆様方には大変ご迷惑をかけてしまいました。どうか、恨むのならわたくしを。娘を憎まないでやってください」
娘を抱きしめながらひとしきり泣いた夫人は、馬車から降りてきたブリットや、馬を降りたフレデリクとイェルドに気がつき、慌てて謝罪の言葉を口にした。
泣き続けるセシーリアを守るためとはいえ、彼女に真実を証言させずに修道院へ入れてしまったため、夫がフレデリクを平民に落とし、その上、その妹であるブリットに結婚を強要したのだ。あの拷問の時、フレデリクがセシーリアを助けようとしていたことを知り、夫人はずっと心を痛めていた。
「私の力が及ばず、セシーリア様にはお辛い思いをさせてしまいました。謝らなければならないのは私の方です」
母親が大切にしている娘を修道院へ入れたのだ。本当にセシーリアは酷い状態であったのだろうとフレデリクは感じていた。そのように追い詰めたのは自分だと彼は思っている。
「とても素敵な旦那様と結婚できて私は本当に幸せですので、お気遣いなさらないでくださいね」
公爵夫人に心配をかけないように、ブリットは精一杯明るい笑顔を見せた。
「最愛の妻を得ることができました。夫人には感謝しなければならない程です」
イェルドも笑顔で頷く。
「皆様、本当にありがとうございます」
夫人の目からは止まっていたはずの涙が再び流れ出て頬を濡らしていく。
「今回は本当に世話をかけた。心から感謝する。本日は実家へ帰られるとのことで忙しいだろうから、後日に改めて礼をしたいと思う」
久し振りに娘に会えた公爵はとても上機嫌だった。自分のせいでフレデリクたちに辛いに思いをさせたとセシーリアは自らを責め続けてた。そして、公爵はおろか、夫人にさえ会うことを拒否していたのだ。そんな彼女を修道院から連れ出すことができるのは、フレデリクたちだけだとの公爵の思惑は見事当たった。
「閣下、礼には及びません。セシーリア様が無事王都にお戻りになったことは、我々にとっても喜ばしいことですから。セシーリア様、それでは、お健やかにお過ごしください」
フレデリクはもうセシーリアに会う機会はないだろうと考えていた。平民の騎士と公爵家の姫君なのだ。接点などあろうはずもない。彼女への恋心を自覚して半日。フレデリクはそんな恋を育てることなく諦めるしかなかった。
それからブリットたちと別れ、フレデリクは久し振りに独身寮へと帰り着いた。
「無事だったのか! 良かった。公爵家の馬車が迎えにきて、そのまま帰って来なかったから、心配していたんだぞ」
フレデリクが夕食をとるために食堂へ行くと、何人もの騎士に無事を喜ばれた。彼はそれがとても嬉しい。こうして、平民の騎士として仲間と一緒に王都の安全を守って生きていくのも悪くないと思う。そして、いつの日かセシーリアのことを忘れ、分に合った妻を迎えることができれば良いのだとフレデリクは自分に言い聞かせていた。
公爵家を出てしばらく馬車を走らせると、イェルドの実家であるリンデゴード子爵邸が見えてくる。王都にある貴族の家としては決して大きくはない。しかし、良く手入れはされていた。
イェルドのエスコートで馬車を降りたブリットは大きく深呼吸をした。公爵に勝手に決められ準備期間もなく急がされた結婚であったので、ブリットはイェルドの家族に挨拶もせず領地へと向かってしまった。
今日が初めての顔合わせとなるので、彼女は随分と緊張していた。イェルドを拷問してこのような体にしたのは兄のフレデリクなので尚更緊張は増す。
「お義母様は領地からお戻りになっているのよね。私のことを嫌っていらっしゃるのではないでしょうか?」
足がとても重く感じるブリットだが、ここまで来て逃げるわけにもいかないと、無理やり歩を進めている。
「大丈夫だ。ブリットのことを知って嫌うはずないからな。それに、俺はブリットの味方だから安心しろ」
イェルドはそっとブリットの手を握った。それだけで彼女は元気をもらえるような気がした。
リンデゴード子爵夫妻もまた緊張していた。どう考えても、傷だらけのイェルドとの結婚を強要されたブリットは被害者であった。そして、片腕になってしまい騎士を辞めざるを得なかったイェルドを領主にしてくれた女性でもある。それなのに、結婚式には誰も参列しなかったのだ。不義理な義家族だと嫌われているのに違いないと、子爵たちは心配している。
初めての挨拶は大層重い雰囲気の中で行われた。それでも、つとめて明るく振舞うブリットに、子爵夫妻も好感を抱き、いつしか気安く雑談するようになっていた。
「旦那様はとても強くて、努力家なのです。そして、私を大切にしてくださいます。だから、毎日が本当に幸せなのですよ」
嫁に息子を手放しで褒められて、子爵夫人は少し照れながらも嬉しそうにしていた。そして、ブリットを見つめるイェルドが本当に幸せそうなので更に嬉しくなる。
「先日、王家から男爵位を賜ったのだ。これはイェルドへの賠償だろうから、ファルンバリ子爵家で管理すればいい」
ドリスの件は公式には闇に葬られた。廃嫡となった王太子は病気療養が理由とされたのだ。そのため、王家から正式な謝罪はなかったが、たいした功績もないリンデゴード子爵に男爵位を与えたのは、王からのイェルドへの謝罪の気持ちである。領地はないが貴族としての恩給が支給されるので、イェルドが一生生活には困らないようにとの気遣いであった。
「俺は子爵位をもらったから、その男爵位はボルイェ兄さんが継げばいいと思うけど」
イェルドには二人の兄がいる。長男は将来子爵位を継ぐ予定だが、次男のボルイェは継ぐ爵位がなかった。
「いや、イェルドに複数の子どもが産まれたら、下の子に継がせればいいのだから、男爵位はイェルドが持っていればいい。邪魔になるものでもないし」
ボルイェはそう言って譲らなかった。
「しかし……」
「私は兄さんを補佐して領地のために働こうと思っているのだが、イェルドはそんな能力もないと思っているのか?」
渋るイェルドにボルイェがそう言うと、もう誰も反対できなかった。
「初孫が産まれるのが楽しみね」
イェルドは右手を失っているし、全身傷だらけである。そんな彼をブリットが本当に受け入れているのか、子爵夫人は心配になっていた。それで思わず探りを入れてしまった。
「はい。私も楽しみにしています」
真っ赤な顔になりながらも、ブリットがはっきりと答えた。イェルドも微笑みながら頷いている。
子爵夫妻は嬉しそうに顔を見合わせ笑っていた。
その日の夕食後、イェルドはボルイェの部屋を訪ねた。
「ブリットさんを放っておいて大丈夫なのか?」
ボルイェは初めて来た婚家で一人にされるのは辛いのではないかと心配していた。
「母上が、初めてできた娘だからと盛り上がって、二人でお茶するんだって言い張るんだ。俺は反対したんだが、ブリットは大丈夫だからって言うから」
ブリットなら本当に大丈夫だと思うイェルドだが、それでも、少しボルイェと話した後に迎えに行くつもりだ。
「それにしても、イェルドが一番最初に結婚するとは思わなかったな。女性と一番縁遠い感じだったのに。おまえがあんな甘い顔をするなんて、驚きすぎて目玉が落ちるかと思ったぞ」
二十三歳のボルイェも二十五歳の長男もまだ独身である。長男が結婚してからでも十分だと悠長に構えていたら、弟が可愛い嫁を連れて来たので、ボルイェは少し焦っていた。
「ブリットさんはとても明るくて可愛いよね。でも、少し慎みが足らないかな。まあ、まだ十七歳だから、仕方がないかもね」
ちょっと悔しくて、ボルイェはブリットの粗探しをしたくなった。
「それは違う! ブリットがあんな風に衒いもなく俺を褒めてくれるのは、ただひたすら俺のためだ。でなければ、俺は彼女に触れることができなかった」
フレデリクが辛い思いをしながらも拷問を行ったのは、イェルドとセシーリアを助けるためだったが、それでもフレデリクはイェルドに負い目を感じている。そして、ブリットもまた同じ気持ちを抱いているとイェルドは感じていた。
たとえ、照れであったとしても、ブリットが少しでも逡巡する態度を見せれば、罪悪感を持っている無理やり結婚させられた妻に触れることなど、イェルドには出来なかったはずだ。女性に恐れを抱かせるほど自分の体が傷だらけであることを十分に理解している彼は、フレデリクの贖罪のためにブリットが身を投げ出そうとしているのでないかと恐れていた。
そんなイェルドの気持ちをわかっているからこそ、羞恥心を殺してでも、ブリットは全身で彼への愛を伝えようとしているのだ。
「ブリットはとても強くて優しい女性だ。彼女のお陰で、俺は拷問されて醜い体になった哀れな男ではなく、妻に愛された幸せな男だと思うことができる。だから、俺は彼女の愛に溺れようと思う」
ブリットからの愛を同じように返すこと。それがイェルドができる最大の恩返しだと考えている。だから、イェルドも衒いもなくブリットへの愛を口にしていた。
「そうだな。ブリットさんがイェルドをとても愛してくれているとわかったから、父も母も笑顔になった。俺だって嬉しかったし。ブリットさんは本当に出来た妻だな」
確かに生真面目なイェルドなので、あれほどあからさまに愛を伝えてもらわないと、無理やり結婚させられた妻に手も出せないかもしれないとボルイェは感じていた。
「ああ。あれほど素晴らしい女性を妻とできた俺は幸せ者だ。俺は彼女に魂を捧げても後悔しない」
しかし、ちょっと性格が変わりすぎだろうとボルイェは思う。