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なんで二人が失った記憶について考察

 瀧くんと三葉は劇中、互いの記憶を失ってしまいます。あれほど想いあっていたのに、二人の記憶は虚しく消えて行く。

 何回見ても菅原の胸が締め付けられるシーンです。



 二人の記憶が消えた理由は菅原が考えるに、世界の修正力が働いたか、あの世に行った代償として最も大事なもの(互いの記憶)を奪われたかのどちらかだと思います。

 菅原自身これに関しては、二人ともあの世に出るための代償で奪われたのだと思ってます。



 ちなみに瀧くんが記憶を失うシーン、感動的ではあるんですが、疑問も残るんですよ。


 瀧くんは何もかも、記憶を忘れてしまい。それでもなお、彼の胸の中には()()()だけが残り続けることになりました。→小説版の記述の要約


 寂しいという感情は、何かを失った時に発生するものです。

 何故、寂しさが残ったんでしょう。

 本来なら記憶を失った時に、その感情すらも忘れてしまいそうなものなのに。


 ここからは菅原の解釈ですが。

 口噛み酒を使った強制入れ替わりをしたことで、瀧くんと三葉の魂は深くムスバれたのではないかと思うのです。

 根拠はお婆ちゃんのこのセリフ。


「体の中に入ったものは、その人の魂とムスビつく 」


 つまり、三葉が作った口噛み酒を瀧くんが飲んだことで、二人はそれこそお互いの半分のような存在、カタワレそのものになっているのです。

 そして、瀧くんはあの世へ踏み入れた代償として三葉の記憶を奪われる。


 しかし、二人は深くムスばれている存在、カタワレそのもの。

 故に三葉の記憶(カタワレ)が失われても、二人が深くムスばれているという事実は変わらない。だからこそ、深くムスばれている何かを失ったことに無意識に気付いている。

 つまりですね。映画の冒頭のこのセリフ、


「ただ、何かが消えてしまったという感覚だけが、目覚めてからも、長く、残る 」


 何かが消えてしまったという感覚が指すのは、そういうことなんじゃなかろうか。




 三葉もまた、口噛み酒による強制トリップによって瀧くんの体に入れ替わります。

 この時入れ替わった三葉は、死後の三葉なのか、生きてる方なのかどっちなんだよ問題があったりしますが。


 菅原は死後の三葉だと思います。

 あの世である御神体から出てきてたり(黄泉がえりを暗喩してる?)とか、自分が一度死んでる自覚があったり、とかが根拠ですかね。


 じゃあ生きてる方はどうなるの? というと。


 だからといって、生きてる方の三葉が消えた訳でもない。

 はあ? と疑問に思ったそこの貴方。

 序盤にて話されている、テッシーのセリフを思い出して欲しい。


「エヴェレットの多世界解釈に基づくマルチバースに無意識が接続…」


 うんたらかんたら。

 ここで重要なのは、『エヴェレット解釈』です。


 ちなみに、マルチバースとは並行世界を表すものです。

 菅原自身はこの作品の時間軸はマルチバースを採用しておらず、マルチバース()()()()()()()()()一つの時間軸によって成り立ってると考えてたり。

 まあ今回は触れる気はないので、ここではスルーさせて下さい。


 エヴェレット解釈とは→人間の意識によって認識できたものだけが結果となり、認識外のものはたとえ存在したとしても結果として見えない。


 シュレンガーの猫って聞いたことありませんか?

 箱の中に猫がいる。猫が生きているか、死んでいるかは当然箱を開けなければ分からない。

 つまり箱を開けるまでは、死んでいる可能性も生きている可能性も等しくあるのです。観測者が箱を開けて、結果を観測して、初めて現実は成る。


 つまり、猫がどうなっているか観測することによって、二つあった可能性は収斂し、一つの現実のみになるのです。

 もしもう片方の可能性があったとしても、片方の結果が結果として成っている以上。そのもう片方は結果として認められることはありません。

 それはきっと、あり得たかもしれない可能性として残り続けるのでしょう。


 さて。何故、菅原がこんな例えを出したかというとですね。

 最後の入れ替わりで入れ替わった三葉は、果たして生きている方なのか死んでいるのか問題にこれを当てはめられると考えたからです。


 要はですね。瀧くんが口噛み酒を飲んで入れ替わった時点で、三葉という人間には二つの可能性があるのです。

 自分を含めた町民の三分の1が死ぬ世界Aルート、そして瀧くんという未来人(イレギュラー)の介入による全員生還Bルート。


 瀧くんの体で目覚めて、えっあの時に死んでるの!?とショックを受ける三葉ですが。

 あの時には、まだこの二つの可能性は収斂していません。だからあの時点では、三葉は生きている方の世界Bの存在だとも言えるし、世界Aの既に死んだ存在だと言える。


 その二つの可能性が塗りつぶされ、一つの現実へと形を変えた瞬間こそ。瀧くんが三年間持ち続けた組紐を、三葉に返した時だったのかな、と。

 組紐は時間の流れそのもの。世界線Aにいる瀧くんから、まだどちらの世界線とも確定していない三葉に返されたことで、世界線Bという可能性が現実として確定したのでは。


 そして、世界線Bを構築するために(瀧くん(未来人)の介入があって発生する世界線なので、矛盾をどうしても抱える必要がある)世界線Aの一部は夢として織り込まれた。

 時間の流れの象徴である組紐が、いくつもの糸で織られて形を成すように。




 結論。口噛み酒を飲んで入れ替わった三葉は、生者とも死者とも言える曖昧な状態だった。ですが、瀧くんの組紐返還により、生者として固定されたんでしょう。

 多分。




 正しいのかは菅原にもわかりません。

 まあ、納得出来て楽しめればいいので菅原的には満足なり。



 そうそう、三葉in瀧くんが御神体に行く時なんですが。

 お婆ちゃんと四葉と三葉の姿をした瀧くんが、御神体に渡る描写はあるんですが御神体を()()()()()()はないんですよね。逆に、瀧くん本体が御神体を渡り切っている描写はなくて、瀧くんの体に入れ替わった三葉が御神体から()()()()()()があったり。


 これって、瀧くんという未来人(イレギュラー)の介入のお陰で、糸守の人々が隠り世から現世へと戻れたということを表してるんでしょうね。おそらく。



 疑問その二。

 瀧くんよりも三葉の方が長く記憶を留めてましたよね。あれって、なんでなんだろうと思いまして。

 菅原なりに考えてみました。


 おそらく組紐のおかげなのではないでしょうか。

 組紐は時間の流れや人との繋がりを表す、ムスビそのものを形にしたキーアイテムです。

 瀧くんが3年間お守り代わりに付けていたのだから、瀧くんの魂がムスビついていても何も不思議はありはしません。

 瀧くんの魂がムスビついている物を身につけていたからこそ、忘却へのタイムリミットを伸ばせたのでは? と菅原は考えるのです。

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