3話
それからは毎日のように彼女の家へ通った。最初うちは完全無視されていたが、次第にドア越しに会話ができるまでになった。
毎日ドア越しに彼女と日常会話を続けていると、気付いてくることもある。初めて会ったとき彼女はあまり社交的という印象は受けなかった。だがドア越しで話していると特段異常なく会話ができており問題は無いように思える。
口調も落ち着いて話していてこれが素の彼女なのだと感じられた。
しかし時折恐ろしいほど冷徹な声になるときがある。これが彼女のいる闇なのだろうか。
そんな生活を半月ほど続けたある日、俺は彼女の部屋のドアの鍵が開けられていることに気がついた。
入っていいのだということか。念のためノックして確認するも反応がない。仕方なくゆっくりドアを開けると、彼女は目の前のちゃぶ台に正座して待機していた。
染められた長髪を低い位置で1つにまとめて、初対面のときとは違いしっかりと高校の制服を着ていた。
俺は彼女と向かい合う位置に座ると、彼女のほうを見る。彼女は相変わらず目を合わせるのが苦手なようで、うつむいている。
この半月ですでに習慣になりつつある彼女から喋り始めるのを気長に待つという時間が流れる。
今日は割りと早く、5分ほどで彼女は話しはじめた。
「いきなり鍵が開いてて驚いた?」
やはり今日鍵を開けたらしい。
「別に驚きはしないけど、何故いきなり開ける気になったかは気になるな」
彼女は考えるように視線を右上に移して人差し指を下唇に添える。
「意味はないよ、別に。ただ今日はドア越しにじゃなくて直接話せる気がしたから」
「そうか」
別に理由なんてそれだけあれば十分だ。彼女は1歩道を進んだのだ。
彼女自身、特に話題があるわけでもなさそうなので何か雑談でもと考える。とりあえず俺は今の疑問を聞いてみることにした。
「それでどうして制服なんだ?ここは君の自宅なんだし私服でいいだろう」
思春期特有の恥ずかしさでもあるのだろうか。
痛いところを突かれたとばかりにぎくりとした顔をする彼女は慌てて弁解する。
「別に最初から制服を着ようとしてたんじゃなくて、なんの服を着たらおかしくないか迷ってる内によくわからなくなっちゃって、そうしてるうちに先生が来る時間がきちゃったから急いで着て…」
彼女は焦っていきなり饒舌になる。
「別に教師が家に来るぐらいでそこまで服装に悩む必要はないだろう。俺は特に服装なんて気にしてないぞ?」
「私が気にするの!」
俺の言葉につっかかってきた彼女はすこしふくれたような表情をしていて、俺はこのとき初めて彼女がその16歳という歳相応の仕草をしたように感じた。
彼女は物事を少し離れたところから見ているかのような印象を受ける。
あまり自分からは近づかないような、まるで素を見られるのを恐れているような。
そこからは時間が許す限り雑談に徹した。彼女の不登校の核心にはまだ触れないように気をつけながら。
××××××××××××××××××××××××××
その日以降はほぼ毎日のように彼女の家に行き、彼女の部屋で近況報告をしあった。
そんな日々が始まって、1ヶ月になろうとしたある日。
学校の試験や文化祭体育祭などの行事も近くなりそろそろ少しずつ登校を再会しなければいけない時期になってくる。
彼女もそれはわかっているようである時核心に迫る話をぶつけてきた。
「ねえ、先生って私が不登校になった理由って聞いてるの?」
普段の何気ない会話からいきなりふられたので返事にすこしタイムラグが起きてしまった。
「いや、何も聞いてないよ。5月から不登校なこと以外なにもね」
それを聞いて驚いたようなリアクションをとった彼女は続ける。
「そうなんだ、意外だね。あの教頭とかすぐにペラペラ喋るかと思ってたのに」
「別に教頭先生が喋らなかったんじゃなくて、先生たち自身も君の状況を理解できてなかったんじゃないかと思う」
「そうなんだ?だめ人間だね」
無邪気な顔で彼女は笑う。
俺もつられて吹き出してしまった。
「そうだな。わりと社会にはだめな大人がたくさんいるよ」
まったくだ。この社会はだめな大人が多すぎる。そんなのばかりいるから世界はおかしく見える。そしてそういう俺も、漏れずだめな大人だ。
「でも、いつかはそのだめな社会に出て、一人で生きてかなければならない」
彼女はすっと真剣味を帯びた顔つきになる。
「そんなこと、私もわかってる」
そうだろう。大体不登校になるような子は、自分は今の状況のままではいけないことをわかっている。
「俺もわかっているよ。だから協力する。君の不登校克服を。」
教師として、大人として、経験者として。
「だから話を戻すけど、君の不登校の理由を教えてほしい。可能な範囲でいいから」
彼女は一瞬ためらったが、すぐにこちらに向き直り、話し出した。
いままでの不登校へのいきさつを、過去の苦しみを、闇を、静かに話し出した。