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一階二号室 雨は何故痛くないのか?

一階二号室住人紹介


天城てんじょう信行のぶゆき・・・三十七歳。既婚者ながら奥さんとは別居中。信行は奥さんの事を華さんと呼んでいるが、奥さんの本名は不明。結構良い所に勤めているはずなのに、何故か貧乏。


天城てんじょう優美ゆうみ・・・七歳の女の子。信行の実の娘で、とても気が強く性格の激しい所はお母さん譲り。実は結構な甘えっ子。※天城優美という名前は、小説家になろう秘密基地にて、美姫さんにつけていただきました。本当にありがとうございました。

 きっと大丈夫、なんて、最初に言い出した人は誰なんだろう。

 家の外で降り頻る雨の音を聞きながら、天城てんじょう信行のぶゆきはそんな風に思った。

「ねえ、優美ゆうみ。そろそろ機嫌を直してくれないかな」

 信行は正座の姿勢のまま、ベッドの上の小さな膨らみに情けない声をかけた。

 膨らみからの返事はない。

 たった一枚きりの薄い夏蒲団を頼りに、篭城を決め込んでいるのは彼の娘の天城優美だ。

 御年七歳でありながら、自分の持っている武器の使い方をきちんと心得ている立派なレディである。

 対して、今年三十八歳を向える信行は、こんな時でもイマイチどうしたら良いかがわからない。

 そんなことはしたくても出来ないが、もし仮に無理矢理にでも布団を引っぺがそうものなら、その小さな口からとても七年で集めたとは思えない罵声の数々と、スナップの利いた平手打ちが飛んでくるだろう。

 約束を破った事で既に頬っぺたに小さなもみじを咲かせている信行は、この厚い城壁を破るべく、何か突破口はないものかと必死で部屋中に視線をやる。

 結果は、なーんにもありゃしなかった。

 あるのは、いかにもこのお屋敷の物らしい高そうな調度品と、それに比べると慎まし過ぎる親子の私物だけだ。

(――――あ)

 その中から、壁に掛けられた優美のワンピースを見つけて、信行は思わず声を上げそうになった。

 彼は正座の姿勢のまま、しゅんと肩を落とす。

 遊園地にいく約束をしていた。

 本当は先週行く予定だったのが、信行に急な仕事が入ってしまい、その日は中止になった。

「パパの嘘つき! ホッキガイ!」

「ホ、ホッキガイ? いや、ごめんね。取引先の人が、どうしてもお父さんじゃなきゃダメだって言ってるんだって」

 お出かけ用の一張羅からスーツに着替え直しながら信行は謝る。

「そんなの私には関係ないじゃない! この、タスマニアデビル!」

「タ、タスマニア何?」

 針のように鋭い正論だった。

 おめかしした格好には相応しくなく、目に涙をためながら優美は怒っている。

「えっと、うん、そうだね」

 ネクタイをしめる手を止め、信行は屈んで優美に視線を合わせた。

「ごめん。来週はきっと大丈夫だから、遊園地には来週行こう」

 優美は窺うような視線でこちらを見ていた。

 信行の目に嘘がないのを見て取ったのか、多少不満そうにしながらでも、本当? と聞いて来た。

「約束。それに代わりって言ったらなんだけど、今日の夕飯は外で食べよう。ね」

「……うん」

 そうして、ようやく許してもらった。

 それなのに。

(こんなんだから、華さんにも愛想を尽かされちゃったんだろうな、俺)

 細君だった人を思い、信行は溜息をついた。

(けど、優美にまでそんな思いさせちゃダメだ)

 きちんとフックに掛けられたワンピースに頷くと、声の調子を改める。

「優美、遊園地には来週行こう……って言っても信じてもらえないかもしれないけど、お父さんに、もう一度だけチャンスをくれないかな?」

 もぞり、と小山が動いた。

 ちゃんと聞いていてくれているらしい。

「今度はきっと、あ、いや、今度は絶対。もし雨が降ったら室内で遊べる所に行けばいいし」

 小山は沈黙していた。

 ダメか、と肩を落としかけた時、布団の端から優美が顔だけ覗かせた。

 頭巾のように布団で頭をくるませて、雨の日には毛先がくるくるになってしまう癖っ毛を隠している。

 眉をつり上がらせた険しい表情を見ると、まだまだ許してくれたわけでは無さそうだ。

「ねえパパ。雨ってどうして痛くないの?」

「えっと…?」

 脈略もなく突然そんな事を聞かれて、信行は混乱する。

「昨日テレビで一緒に見てたでしょ。芸人の人が、高い所からプールに飛び降りるヤツ」

「ああ、うん」

 八時ごろにあった番組で、度胸試しのような企画だったように覚えている。

 何組ものタレントが出ていて、誰が一番早く飛び込めるか競うものだ。

ナレーションの人が、こんな高い所から落ちたらプールもコンクリートと変わらないって言ってたのに、どうして雨は痛くないの?」

「ああ、え〜っと」

「だっておかしいじゃない。雨なんてもっと高い,雲から降ってるのよ。私の考えが間違ってないなら、雨は石のように硬いはずなの」

 番組で何人か腹を赤くして痛がっていたのを思い出した。

「だから、パパは今から傘も持たず外に出て、雨が石のように固いかどうか確かめてきて」

「あ、あの、その理屈が正しかったらお父さん死んじゃうんですけど…」

「だったらどうして痛くないの?」

 そう言われても、信行にも正しい事はわからなかった。

 なんとなしに思い浮かぶのは、大きさだったりとか、重さだったりとか、あとは液体か固体かとかも関係しているかもしれない、というくらいの物である。

 常識にそった手ごたえのない理由はいくつか思い浮かんでも、これだ、と思えるものはなかった。

「えーと、あ! うんとねうんとね、それはきっと、雨さんが自分も痛くないようにって、途中でパラシュートを開いちゃうからだよ」

 突然思いついたそれは、会心の答えのように思われた。

 優美がじっと信行を見る。

「パパ?」

「うん」

「そういうのはいいの」

 そういうのはいいらしかった。

 ごめんなさい、と謝ると、信行は肩を落とした。

 良い答えだと思ったのに…。

 優美は上体を起こし、てるてる坊主のような格好のまま、呆れたような目で信行を見ていた。

(華さんとおんなじ目をしてる)

 そんな感想を抱いた信行だったが、こうして縮こまっていてもしょうがない。

 よし、と膝をたたいて立ち上がる。

「どうしたの?」

「ちょっと、良助りょうすけ君にパソコンを使わせてもらってくるよ。雨がどうして痛くないのか、ネットで調べてみる」

 管理人室においてあるパソコンの事を言った。

 信行もノートタイプを持っていたが、今日は仕事のことは考えないと決めていたので、わざわざ会社に置いて来てしまっている。

 そういう訳で、部屋を出ようと振り返ろうとしたとき、ついっとズボンを引かれた。

 不思議に思い視線を下げると、優美がベッドから体を乗り出し、ちっちゃなもみじ製造機で信行のズボンの端を握っていた。

「なに? どした?」

 信行がそう訊ねると、優美は何故か顔を真っ赤にし、悔しそうな、困ったような顔になった。

 しばらく嫌そうな躊躇いを見せた後、嘘みたいに小さい声で一言呟く。

「……いっちゃやだ」

 こんな時でも彼女は視線を逸らしたりしない。

 相当恥ずかしいらしく、心配なくらい顔を赤くしているが、泣き腫らした目ははずれない。

 おかげで、信行は表情が緩みそうになるのを、頬を掻いて誤魔化さなければならなかった。

「あ、うん」

 もみじをなぞりながら、ぎこちなく頷く。

 それから、そっと両手を伸ばし、てるてる坊主のままの優美を抱えあげる。

「じゃあ、今日はこうして二人で雨が痛くない理由でも考えてようか」

 胸の辺りで小さく頷く感触。

 苦笑しつつ、信行はベッドに腰掛けた。

 優美の頭に掛かった布団をはずし、跳ねてしまっている毛先を指でつつく。

 怒られるかとも思ったが、特に殴られたりはしなかった。

「来週は絶対行こうね」

 また、胸に押し付けるようにしていた顔が縦に動いた。

 それと同時に、その辺りで暖かい湿り気を感じる。

(そんなに行きたかったのか)

 この際、仕事は理由にならないだろう。

 改めて反省しながら、優美の頭を撫でる。

「うーん、けど、お父さんはこっちの雨のほうが痛いなあ」

「ぐす……そういうのもいい」

 そういうのもいいらしかった。

 鼻をすするくぐもった声が消えて、あとは雨音ばかりが室内にこだましていた。

解放区

1 中国革命の過程において中国共産党の支配した地区の称。ソビエト区とも。

2 一般に、革命勢力の支配が確立した区域。

(広辞苑調べ)


自分の言葉の知らなさに、寒気すら覚える今日この頃です。

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