「僕は、誰かのように自分が誰かだってことも分からないし、何をすればいいかもわからない。自分にできることがなんなのかもわからない」
遅くなりました・・・
「さーてとっ。それじゃさっそく逃げないとね」
ユズさんが意気揚々と廊下を歩いていく。僕もそれについて行く。
「しっかし君、何者なの? 理由なくあそこに閉じ込められることってないと思うけどなぁ」
軽いながらもしっかりとした感じで、ユズさんは聞いてきた。
「……僕もわかりません」
「分からないって、何が?」
「分からないんです……自分が誰なのかも、なんなのかも」
「? 名前がないってこと?」
「……ホントの名前がわからないんです」
うつむきながら僕はユズさんに話す。
「僕は、誰かのように自分が誰かだってことも分からないし、何をすればいいかもわからない。自分にできることがなんなのかもわからない」
話せば話すほど、自分がどんどんちっぽけに見えてきた。
自分の名前、家族、兄弟、好きな人、生まれた村、街、読んだ本や好きな音楽。
全部がわからない。
一体自分はなんなのか。誰なのか。
考えれば考えるほど、自分がわからなくなってくる。
「……僕はいったいなんなんですかね?」
僕は立ち止まり、ユズさんに訊ねた。
その時、周囲が明るくなった。
「いたぞー!」「あそこだ!」「つかまえろー!」
どうやら追手がやってきたようだった。
ガチャガチャと鎧がこすれる音がする。
「ありゃりゃ。どうやら見つかっちゃったっぽいねぇ」
「か、感心してないで、どうするんですか!?」
「んー。私にいい考えがある」
ユズさんはふふんと笑うと何かを取り出してそれを床に思いきり打ち付けた。
「ぶわっ!?」「な、なんだ!?」
「今だよっ! つかまっててねっ」
「へ、わ、わぁ!?」
僕はいきなり持ち上げられると、ユズさんは兵士の中を走り抜けていった。
「げほっ、げほっ……こ、これは一体……!?」
「えっへへへ……ユズ様特製、煙玉よ! 【道具作成】を甘く見ないでほしいわね!」
「ゆ、ユズさん、あなたは……!?」
「私の正体の前に……ちょ~っとまずいものが見えてきたんだけどなぁ~」
外に出たところで急にユズさんが止まる。
一体何がいるのかと思い前を見ると。
「う、わ、ぁ……!?」
「なんとまぁ……ちょ~っとピンチかも?」
一見するとそれは犬だった。ただ普通の犬ではない。
自分の何倍もある体。ただれた皮膚、口から吐き出される白い煙とよだれ。
そのよだれが石畳に落ちるたびに、じゅうじゅうと音を立てている。
銀色の月に照らされたその体には、目がない。あったのは絶え間なく動く鼻と絶え間なくよだれを出す口。
何よりあたりにあったのは腐ったような臭いだ。その場にいるだけで鼻が曲がりそうな臭い。
それは、目の前の醜悪な形をした化け物から発せられていることがわかる。
「Wooooooooooooooooooooooooooooooooooooo!!!!!」
ひと鳴きした犬は、僕らにとびかかってきた!
●用語解説
【道具作成】
ある職業のスキル。
事前に素材を組み合わせて用途に合った道具を作り出す技能。
レベルが上がれば上がるほど、カンタンな素材で代用品をその場で作ることが可能。




