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お誘い

「夏休みに入ると同時に入院なんて、ついてないよねぇ」

 午後のデイルームで、まるで自分のことのように落胆した声でそう言ったのは、木下桃子きのしたとうこだ。

 彼女はキラの同級生で、背中の真ん中くらいに届くストレートの黒髪に銀縁メガネという、若干昨今の流行からは外れているのではないかな、という格好をしている。桃子曰く、まじめそうに見えるから、という理由らしい。可愛い系よりも美人系で、スラリとしていて背もキラより頭半分ほど高い。

 その横で、同じく同級生の今井隆いまいたかしがウンウンと頷いた。

「そうだよな。高一の夏休みなんて、やっと受験が終わってはぁラッキーって時だろ? 宿題なんかどうでもいいから遊びたいよな」

 こちらも気の毒そうにそう言ったが、すかさず彼のその横腹には桃子からの肘鉄が突き刺さった。

「イテッ! 何するんだよ?」

 脇腹をさすりながらの隆の恨みがましい眼差しに、桃子が鬼でもたじろぎそうなほどの鋭い睨みを食らわせた。更に文句を言おうとした隆だったけれど、ハタと何かに気付いたように口を閉じた。

 彼はチラリとキラを見て、ポソリと言う。

「あ……ゴメン」

「えぇ? 何? 急に」

 キラは彼の謝罪を笑顔で受け流した。


 桃子は十五歳、四月生まれの隆は十六歳。

 対するキラは、隆と同じく四月生まれで、十七歳だ。

 キラは、本来は高校二年生の筈だったけれども、桃子たちと同じ学年にいる。

 高校受験は頑張って、キラは無事に第一志望に合格することができた。が、受験勉強の無理が祟ったのか、初っ端っから休み続きになり、結局二年生に上がることができなかったのだ。

 桃子たちと親しくなったのは、学級委員長である彼女が休んだキラの元にプリントなどを運んできてくれたことがきっかけだった。隆は、言うなれば彼女のおまけみたいなものだ。二人は幼馴染で、いつも一緒にいる。

 隆はどちらかというと粗忽者で、しっかり者の桃子が姉のように叱り飛ばす場面がちょこちょこ見られる。

 夫婦漫才のような二人のやり取りは、傍で見ていると面白くて微笑ましい。


「だけど、一学期を無事にクリアできてよかったよね」

 桃子が取り成すようにそう笑うのへ、キラも満面の笑みで返す。

「ちょっと、居残りとかもあったけどね。今度こそ、二年生にならないと」

「だよね。あたしだって来年もキラと一緒のクラスになりたいもん」

 それは、キラも同感だった。桃子たちと一緒にいたいと、切実に、思う。

 小中学校共に登校した日よりも休んだ日の方が多く、登下校は母の車で送り迎え、行事は全て欠席か見学というキラには、親しい友人がいなかった。誰とでも仲良くできたキラだけれど、ろくに遊びにも行けない彼女に深い付き合いはできなくて、『友達』と言えるほどの存在は十七になるまで持っていなかった。


 桃子と隆はそんな彼女に初めてできた『友達』だった。やっぱり遊びに行ったりはできないけれど、キラが登校している間は、殆どずっと一緒にいる。

 二人と出会うまでは、広く浅くの付き合いで満足できていた。誰とでも気軽に笑い合って、でも、そんな彼らの誕生日も住んでいる所も知らないような、そんな付き合いで。

 ――それでも、それなりに、満足していたのだ。

 今、キラは桃子と隆の誕生日を知っているし、二人もキラの誕生日を知っている。

 ――一ヶ月ほど遅れてだったけれど、彼女たちはキラに誕生日プレゼントをくれた。

 小さな、ウサギの携帯ストラップ。

 全く飾りのついていないキラの携帯が気になっていたのだと、それを渡す時に照れくさそうに桃子は言った。

 それは『友達』からもらった初めての誕生日プレゼントで、キラにとってはどんな貴重なものよりも大事なものになったのだ。


「取り敢えず、目指せ夏休み中の退院、なんだよね。体調は悪くないから、まあ、一ヶ月もあったら出られると思うんだけど」

 苦笑したキラに、桃子はぐるりと周囲を見回してため息をつく。

「うはぁ……あたしだったら発狂するかも……」

 わたしもだよ、という囁きは胸の中に留めておいて、キラは笑う。

「二学期までには退院するよ」

 一学期は、休み休みとは言え何とか単位を満たすことができた。本当は、前回の検査入院からできるだけ早く再入院をと主治医の岩崎には言われていたけれど、粘りに粘って夏休みまで引っ張ったのだ。

 入院する度に、今度も帰れますようにとキラは祈る。そして、ベッドの上で白い天井を見つめる度に、そうやって過ぎていく時間でできたであろうことに思いを馳せる。


 そう、キラには、したいことがたくさんあった。

 岩崎からどれほど譲歩を勝ち取れるか、その交渉がキラの楽しみでもある。

 今回の入院引き伸ばしについてもそうだけれど、高校受験も、もっと楽に入れるところにしておけと言われたのを、ブレザー型の制服に一目惚れして今の学校に決めた。

 入ってから留年はしてしまったけれど、そのお陰で桃子や隆に会えたのだ。むしろラッキーだったかもしれない。

たき先生なら、絶対許してくれないよね)

 不意に、堅苦しい循環器内科の医師が脳裏に浮かんで、クスリと笑みがこぼれた。

 中学校卒業をきっかけに、循環器内科にコンサルトをした、十八歳をめどに主治医が代わるだろう、と岩崎から聞かされた時、キラはスタッフたちにどんな医者がいるのかと訊いて回ったのだ。


 医者に対するスタッフの評価はだいたいは無難なものばかりの中で、瀧清一郎たきせいいちろうに対するものだけが違っていた。

「すっごい冷血漢」

 皆、口を揃えてそう言った。

「何かね、患者さんが亡くなってナースが泣いちゃったりするでしょ? そうすると、すごい目で睨まれるんだって」

「今度はその睨みで泣きそうになるってさ」

「患者さんにも容赦ないよね。ビシビシダメ出しするの、聞いたことあるわ。あれはへこむ」

「岩崎先生も締めるところは締めるけど、瀧先生はもう締めっ放しだよね」

 そんな言葉が続く中、「でも」と言ったのは、キラが一番仲良くしている岩崎萌いわさきもえだった。 


 苗字からも判るように、萌と岩崎は夫婦だ。一年ほど前に『色々波を乗り越えて』結婚したのだという。

 萌は二十三歳だけれども高校生くらいに見えるので、キラはそれをネタに岩崎をからかおうとしたことがあった。

「先生、実はロリコンなんでしょ? わたしじゃダメ?」

 そう訊いたキラに、岩崎はシレッと答えたのだ。

「あいつ以外はダメだな」、と。

 岩崎のことは彼が霞谷病院に来た時から知っているけれど、世間一般で言うところの『肉食系』で、どちらかというと女性関係に問題あり、のタイプだった筈だ。それが、萌が来てからはガラリと変わって、患者に対する時も前よりももっと当たりが優しくなった。萌を見る時の岩崎の目は他の誰に向けるものとも違っていて、二人が一緒にいる場面を目にする度、キラは自分にもあれほど強く想い合える相手がいればいいのに思う。

 そして、そんなふうに岩崎のことを変えた萌の言葉だったから、たとえ少数派であろうとも、それはキラの気を引き付けた。


「わたしは、瀧先生は優しい先生だと思うなぁ」

「そうなの? でも、みんな怖いっていうよ?」

 目を丸くしたキラに、萌は軽く首をかしげて、ゆっくりと考えながらのように、言った。

「確かに、自分にも他人にも厳しい人なんだけど。それは患者さんのことを想ってだから。きっと、自分の中に『譲れないモノ』がしっかりとある人なんだと思うな。何があっても、揺らがないっていう感じがする」

 萌のその言葉が強く印象に残っていて、外来などで見かけるとつい目で追うようになっていた。そして、あの日屋上で清一郎を見かけた時に、思わず声をかけてしまったのだ。

 ――何となく、いつもよりも肩に力がないような気がして。

 その結果は、幼児のように片腕に抱かれて病棟の廊下を進むという恥ずかしい目に遭う羽目になったのだけれども。

 エレベーターに乗っても下ろしてもらえず、同乗者の視線が二人に集中していたが、清一郎は平然としていた。

 確かに、何事にも動じない人らしい。


「ねえ、キラ、どう?」

 不意に名前を呼ばれ、キラはふけっていた物思いから覚める。

「あ、ゴメン、呆けてた。何?」

 尋ね返した彼女に、桃子が窺うような眼差しを向ける。

「えぇっと、ね、今日はこれを持ってきたんだけど……どうかな、行けるかな」

 キラは桃子が差し出したものに目をやって、そのまままじまじと見つめた。黙ったままのキラに、桃子の表情が曇る。

「やっぱ……無理かな。外出してちょこっとだけでも、とか思ったんだけど……」

 そう言いながら彼女が引っ込めようとしたのは、部活の合宿のしおりだった。

 キラも桃子も隆も、天文学部に入っている。キラは部活をするつもりはなかったのだけれども、座っているだけだからと桃子に誘われたのだ。


「海、かぁ……」

 しおりをめくったキラは、行き先を見て呟く。

「移動は田中先生が運転するバンだし、そんなに負担にはならないかなって……」

 多分、キラは一見元気そうだから、桃子も「もしかして」と思ったのだろう。

「これで行けなかったら、餌だけ見せられてお預けくらうようなもんだよな」

「や、ゴメン、無理だったら……」

 隆のぼやきに、桃子は慌てたようにしおりを引っ込めようとする。キラは猫のようにパッと手を伸ばしてそれを押さえた。そうして自分の方に引っ張り寄せながら、言う。

「一応、岩崎先生に訊いてみるよ。いいって、言ってもらえるかもしれないし」

「そう? だといいんだけどな」

 パッと花開いたような桃子の笑顔に、キラもつられて顔をほころばせた。

「もし何なら、夕方までに病院に送り届けてくれるって、先生言ってたよ?」

「昼だけ? でも、それじゃ天文部の意味がないような気が……」

 一応、天文部の合宿なのだから、夜空観察がメインの筈だ。キラの言葉に桃子が肩を竦める。

「ほら、雲の観察とか。いいんだよ、田中先生が来ると、どうせ雨だから」

 田中は現在五十ニ歳。天文部の顧問だが、筋金入りの雨男らしく、隔週で行っている夜間の天体観測も彼が来ると必ず雨が降る。のんびりとしたとても良い先生なのだけれども――頼むから来ないでくれ、とは部員たちの共通した思いだ。


「因果だよなぁ……田中先生、あんなに星空を愛してるのに」

 そう言った隆を、桃子が横目で睨み付ける。彼の声は、同情よりも他の要素の方が多そうだった。

「もう、可哀想でしょ。田中先生、空が曇り始めると見るからにしょんぼりしちゃうんだから」

 確かに、小柄な田中が空を見上げてため息をつき肩を落とす姿は、何とも哀愁漂うものになる。まるで五十年来の片思いの相手に振られたかのようなのだ。

 桃子も同じように感じていたらしく、隆に向けて唇を尖らせる。

「あんただって、延々好きだった子に告白するぞってとこで振られたら滅茶苦茶ショックでしょ?」

 彼女のその台詞に、隆がグッと口をつぐんだ。

「何よ?」

「……別に」

 怪訝そうな顔をした桃子から、彼はわずかに目を逸らせる。何となく、微妙に気まずいような空気が流れた。


(桃子は、やっぱり気付いてないんだよねぇ)

 キラはため息混じりにこっそりと胸の中で呟いた。

 隆は、桃子の事を好きなのだ。多分、かなり前から。

 このことは、実は桃子以外の者は殆どが薄々気付いている。けれど、当の彼女は完全に隆を幼馴染としか思っていないらしく、周囲が冷やかしても笑い飛ばすばかりだった。

「でも、先生のお話って、面白いよね」

 取り成すようにキラが言うと、あっさりと桃子が乗ってくる。

「だよね。あたし、あれでギリシア神話とか覚えたよ」

「わたしも結構はまるよね……あ、そろそろおしまいにしないと。面会は三十分までってことになってるから」

「え……」

 時間を忘れていたキラは、デイルームに置かれたテレビの画面が次の番組に切替わったことで既定の面会時間を過ぎてしまっていることに気付く。彼女の台詞に、ふと、桃子の表情が曇った。


(しまった)

 余計な心配をかけてしまったらしい。

「ああ、別に、わたしの体調が悪いからとかじゃないよ? そういうルールなんだよ、この病棟の」

「そうなの? でも、この間の入院の時は……」

「あの時は検査入院だったから、大目に見てもらってたんだよ」

 そう言ってニッコリ笑ってみせると、桃子の顔が和らいだ。

「長居して疲れさせたら、ホントに合宿来られなくなっちゃうもんね。帰ろう、隆」

「ああ」

 ガタガタと椅子を鳴らして二人が同時に立ち上がる。

「また来るね。その時までに合宿行けるかどうか、教えてよ。田中先生にも言わなくちゃだから」

「わかった」

「――あ、来なくていいよ。できるだけ体力温存しておいて」

 彼らを見送ろうと立ち上がりかけたキラに、桃子が笑う。

「うん。来てくれてありがとう」

 キラは心の底からの気持ちでそう言った。


 入院は何度も繰り返してきたけれど、『クラスの代表』としてではなく『友達』として面会に来てくれたのは、桃子たちが初めてだった。

 二人の為なら何でもしてあげたいと思うけれど、じっさいにキラにできることなど殆どない。もどかしく思いつつ、振り返って手を振って寄越した桃子に同じように振り返した。

 彼らが騒々しくしていたわけでもないのに、いなくなってしまうと急に静かになったような気がして、キラは桃子が置いていったしおりにもう一度目を落とす。

 合宿の日付は、二週間ほど先になっている。二泊三日の泊りがけ。

(泊りは、流石に無理だろうな)

 そう思ったけれど、参加してみたかった。

 キラは、遠足も修学旅行も行ったことがない。年々行動範囲は狭められていっているから、多分、この先行けるようになることはないのだろう。


「海、か……」

 一度は見てみたい。

 母の裕子ゆうこは、夏は人が多いから駄目だと言い、冬は風が厳しいから駄目だと言う。

 岩崎が許可を出しても、裕子が認めるかどうかは甚だ疑問だった。

「行きたい、な」

 ポツリと呟いた時だった。

「何処にだ?」

「キャッ!」

 突然降って湧いた頭上からの声に、キラはピョンと椅子の上で飛び跳ねそうになる。

「瀧先生!」

 振り返ってまず最初に目に入ったのは、白衣を着た壁だった。目を上げれば、真後ろに立って彼女を見下ろしている清一郎の眼差しと行き合う。

(瀧先生だったら、絶対許してくれないだろうな)

 そう思いながら、キラはさりげなくしおりを両手で隠そうとしながら、ヘラリと笑みを浮かべた。


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