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君が目覚めるその時に  作者: トウリン
本編

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君の目覚めを待ちながら-6

 午後の外来が終わり、清一郎せいいちろうは椅子の背もたれに身体を預けて目を閉じた。しばらくそのまま眉間を揉んで、また目蓋を上げて壁にかかった時計に目を走らせる。


 十九時六分。

 本来、午後の外来は十七時三十分までだが、定時に切り上げられたことが無い。


 清一郎は小さく息をついてパソコンをシャットダウンし、腰を上げる。

 診察室を後にして、受付の脇の内通路を通り抜けて廊下に出ようとすると、残っていた事務員と看護師が彼を見てニコリと笑った。

「お疲れ様です」

「ああ」

 小さく頷いてそのまま通り過ぎようとした清一郎を、彼女たちが引き止めた。

「あ、先生、ちょっと待ってください」

「何だ?」

「これこれ、患者さんたちからです」

 そう言って事務員が机の陰から取り出したのは、紙袋だ。受け取って中を覗くと、五、六個の色とりどりの小さな包みが入れられている。

「あ、これは私たちから……」

 付け加えて看護師が紙袋の中の物よりも少し大きめな包みを差し出した。


 それを受け取りながら眉をひそめてその中身から二人へと目を移すと、彼女たちは少し呆れたような顔で眉を上げる。

「先生、今日はヴァレンタインですよ?」

「ヴァレンタイン?」

「そうです。お忘れですか?」

 忘れたと言うよりも、その言葉自体が彼の頭の中の重要事項に含まれていない。毎年、スタッフからは定例行事のようにチョコレートを渡されるが、患者からよこされるのは覚えている限り初めてだ。


 怪訝な顔をしている清一郎に、事務員が笑みを深くした。

「最近、先生の雰囲気がグッと柔らかくなったから、患者さんも渡し易くなったんですよ」

「雰囲気が?」

「ええ。正直に言うと、私たちもそう感じてます。前よりも声をかけ易くなりました。前は、ちょっと……ビクビクしちゃってたっていうか……」

 ね? というふうに、事務員と看護師が顔を見合わせる。

 清一郎としては、スタッフを威嚇していたつもりは全然ないのだが。

「僕の態度はそんなに悪いか?」

 眉間に皺を寄せてそう訊くと、彼女たちは慌てて両手を振った。

「あ、いえ、そうじゃないんですけど、それが、雰囲気ってもので……何となく近寄りがたかったんです」

 そう言って笑った看護師に、清一郎は反省に近い気持ちを抱いた。


 彼としては、むしろ彼らに感謝の念を持っている。こうやって定時を過ぎても残ってもらっているし、他にもいろいろ手間をかけさせているのだ。

「これからは気を付けよう」

 むっつりとした清一郎の言葉は、彼女たちを恐縮させてしまったようだ。わたわたと二人が取り繕う。

「や、もう充分です。にこやかな先生は、逆に違和感が……ちょっと怖いくらいがいいですよ、きっと。その方が患者さんたちも言うこと聞いてくれますしね」

 清一郎は否定も肯定も返せず、小さく肩をすくめた。実際のところ、何をどうしたから自分が『変わった』のか、解からないのだ。どうやったら更に変わるものなのか、てんで見当もつかない。そして、彼自身が自覚できていないことを他人に指摘されるのは、何となく居心地が悪いものだった。

「ご苦労様。いつも遅くまでありがとう」

 半ば本心、半ばこの場を去る為のツールとしてそう言って、「じゃあ」とばかりにその場を去ろうとした清一郎だったが、ポカンと口と目を丸くした二人に思わず立ち止まる。


「何だ?」

「いえ……先生からそういう言葉って、初めて聞いたな――とか……」

 そうだったろうか。

 振り返ってみて、彼は眉をしかめた。

 そうかもしれない。

「前から、そう思ってはいた」

 眉だけでなく顔もしかめてそう言うと、彼女たちは顔を見合わせ、そして笑った。

「いつもむすっと……いえ、真面目な顔をされてらっしゃるから、私たちのことでご不満があるのかな、とか、少し思ってました」

「まさか」

 驚き混じりで即座に否定する。そんな清一郎に、二人はパッと嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「なら、良かったです」

「……僕も、誤解が解けて良かった。では、また明日」

「はい、お疲れ様です」

 華やいだ声に送られながら外来を出て自動的に病棟に向かう清一郎は、ちょっとしたカルチャーショックのようなものを覚えていた。もう何年もこの外来で働いているというのに、スタッフにあんな誤解を抱かせていたとは、全く気付いていなかったのだ。


 外来は閉まり、じきに面会時間も終わる遅い時間で人も疎らな廊下を、清一郎は黙々と歩く。頭の中では今の出来事を振り返りつつ。

 別に、スタッフにどう思われていようが、問題はない。

 実際、これまで業務は何のトラブルもなくこなせていたのだから。

 だが、さっきの二人の嬉しそうな顔を見た時、自分はどう感じただろうか。


(――心地良かった)

 多分、それだ。


 何か実際的な効果をもたらしたわけではない。けれど、彼女たちに嬉しそうにされて気分が柔らかくなった感じがしたのは、確かだった。

 清一郎は黙々と病棟に到着し、いつも通りの回診を済ませる。

 そこでも、ふと気付いた。

(患者たちの表情が違う気がする)

 以前の彼らは、訪室した清一郎をこんなふうに笑顔で迎えていただろうか。いや、どちらかというと強張った顔だった気がする。

 患者に向けて発する言葉も、彼らに対して行うことも、何も変わっていない。

 それなのに、何かが、いつの間にか変わっていた。

 いつ、何故、どうやって自分が変わったのかは、清一郎にも判らない。だが、何が変えたのかは、薄々気づいていた。


 病棟内を一巡し終えた清一郎は、最後の一部屋へと足を向ける。

 多分、その変化をもたらした原因である少女が眠る病室へと。


 自分の考えに没頭していた清一郎は、いつも夕方のこの時間はキラの病室には誰もいないこともあって、ノックをせずに扉を開けた。

 と、パッと、弾かれたように、ベッドサイドにいた人物が伏せていた顔を上げる。


「と、その、こんばんは」

 キラの片手を両手で握り締め、しどろもどろでそんなふうに言いながら愛想笑いを浮かべた少女は、桃子だ。微かに、目が赤い気がする。

 そんな彼女を見つめ、目を細めて告げた。

「もう面会時間が終わる」

「そう、そうですね、すみません、もう行きます」

 清一郎としては別に追い出すつもりはなかった。ただ、事実を口にしただけだ。

 慌てて立ち上がった桃子に眉をしかめながら、そのまま座っているようにと仕草で彼女を制した。だが彼女は、今度は先ほどよりも自然な笑顔でかぶりを振る。

「あ、いえ、今日はあれを届けに来ただけですから」

 言われて彼女が指差す方を見ると、キラの顔のすぐ横に小さな包みが置かれていた。

「キラが好きなケーキ屋のヴァレンタイン仕様チョコなんです。賞味期限、二週間なんですけどね。それまでに起きなかったら、口の中にねじ込んでやろうかな」


 意地悪そうにヒヒヒと笑う彼女は、まだキラの手を握ったままだ。固くつながれたままのそれに清一郎が目を落とすと、桃子は今気が付いたというふうに手を解き、キラの手をそっとベッドに下ろした。俯いたまま指先で透き通るように白い甲を辿ってから、彼女が勢いよく顔を上げる。

「ちょっと念を込めてみたんですよ。早く起きやがれって。このままじゃベッドに同化しちゃいますからね」

 冗談めかした、明るい声。

 そして、一転。

「先生、キラは――」

 陰った表情で囁くように言いかけて、桃子は口を閉ざす。彼女が何を言いたいのかは、清一郎にも判っていた。


「彼女は目を覚ます」

 はっきりと断言した彼に、桃子がパッと顔を上げた。

 その目は潤んで、唇は微かに震えを帯びている。

 彼女は食い入るように清一郎を見つめ、そしてホッと吐き出すように呟いた。

「――ですよね」

 その一言と共にニコリと笑い、桃子はばね仕掛けの人形のようにペコリと頭を下げる。

「じゃ、キラのこと、お願いします。目が開いたら、速攻メールちょうだいよって、伝えてください」

 口早にそう言うと、半ば駆け足で清一郎の脇をすり抜けて彼女は部屋を出て行った。

 静かに閉まった扉を束の間見つめてから、彼はベッドに目を移す。


 キラは、変わらず静かに眠り続けていた。

 清一郎は足を進め、先ほどまで桃子が座っていた椅子に腰を下ろす。少しためらってから、やはり桃子が握っていて布団の上に出たままになっているキラの手を取った。

 指を伸ばして置いても、それは、彼の掌くらいしかない。

 桃子はずいぶんと力を込めていたらしく、白い指は微かに赤くなっていた。

 白く小さなその手は、温かい。手首に親指を置けば、確かな脈も伝わってくる。


 ――彼女は、確かに生きている。


 だが。


「……君は、いつ起きる気なんだ?」

 呻くようにそう問い掛けて、彼の片手の中にすっぽりとおさまってしまう手を、包み込んだまま額に押し当てた。

 目覚めない彼女に対して、何度も脳波検査を行ったし、MRIも撮った。

 全てに異常がないにもかかわらず、キラはクリスマスイブのあの日以来、昏々と眠り続けている。


 心臓が動いて、呼吸もしている。


 二ヶ月前なら、キラが今こうしているだけでも奇跡だと思えただろう。いや、今でも、手術を担当した麻酔科医や心臓外科医は驚くべき経過だと言っている。この状態でいられるのは、やはり奇跡に近いのだと。

 だが、清一郎は、『ちゃんと』生きているキラを見たかった。

 彼女が動いて、しゃべって、怒って、笑っているところを。

 彼女が語る言葉を聴いて、彼が語る言葉を聴いて欲しかった。

 こんなふうにただ眠るだけのキラを見守るのは、苦しかった。苦しくてたまらなかった。


(僕は、弱くなってしまった)

 清一郎は、眠るキラに向けて囁く。


「君のせいで」


 スタッフを微笑ませることができるようになったのは、キラのお陰だ。

 患者の気持ちを多少なりとも寛がせることができるようになったのも、キラのお陰だ。

 だが、清一郎の中にこんな不安を植え付けたのも、キラなのだ。

 以前の彼なら、同じように眠り続ける患者を前にしても、「検査に異常はないのだから」と客観的に、冷静に診ていくことができた。

 それなのに、キラにはそれができない。


「君が笑っているところを見せて欲しい。……泣いているところでも、いい。なんでもいいから、君が『生きて』いるところを見たい」

(僕を変えるだけ変えておいて、置き去りにするな)

 気付かぬうちに、手に力が入る。


 と。


 清一郎は、ハッと顔を上げる。

 彼の手の中の指が、微かに動いたような気がしたのだ。小さな爪の先が、ほんのわずか、彼の手のひらの皮膚を突いたような気が。


「キラ……?」

 囁いて、待った。握り締めた手を開き、けれど、動いたらすぐに判るように、彼女の手は自分の手の上にのせたまま。

 彼にとっては何時間にも感じられた時間。

 だが、いくら待とうとも、見つめる彼女の目蓋は震えることもなく、人形のように固まったままだった。


「気のせい、か」

 苦いため息をこぼし、呟く。

 多分、筋肉のちょっとした攣縮か何かだったのだろう。

 清一郎は無意識のうちに彼女の手を取り、口元に運ぶ。小さく滑らかな爪が、唇に触れる。

 自分が何をしているのか、理解して行っていることではなかった。ただ、勝手に手が動いていたのだ。

 目を閉じ、彼はそのまま静止する。


(早く、起きてくれ)

 神や仏に対してではなく、彼女自身に対して、願った。

 強く。

 とても強く。


 その祈りに没頭していたから、掠れた声に、最初は気付かった。


「……じゃ、ない、です」

 唇に触れている爪がピクリと跳ねて、清一郎は我に返る。

 目を開け呆然と握っているキラの手を見つめる彼の耳に、再び、今度はもう少しはっきりとした、嗄れ声。


「そこじゃ、ない、ですよ」

 ゆるゆると首を巡らせると、気怠そうに、けれど確かに笑みに煌めく眼差しが、彼を見つめていた。


「キラ」

 名前を囁くと、肉の薄くなってしまった頬が、微かに緩む。


 それは、確かに微笑みだった。


 清一郎は立ち上がり、キラの頭の両脇に手をついて彼女の顔を見つめる。

「笑ってくれ」

 信じがたい思いで口にした短い彼の要求に、彼女は応えた。


 清一郎はキラの頭と背中に手を挿し入れて、ほんの少しだけ、そっと持ち上げる。細いその身体を、ギュッと自分に押し付けた。彼女がこぼした小さな吐息が、彼の耳元をくすぐる。そして、微かな笑い声。

 力のない手が持ち上がり、彼の背中に触れるのを感じる。ただ置かれているだけだが、紛れもなく、彼女は彼に応えてくれていた。

 不意に目の奥が熱くなって、清一郎は奥歯を噛み締める。何か熱い塊が腹の底からせり上がってきて、喉の奥が詰まった。


 生きている。生きている。生きている。

 ただ、それだけしか、清一郎の頭の中には浮かばなかった。


 前よりも少し長くなった柔らかなくせ毛の中に頬を埋めた彼の耳元で、キラが囁く。


「約束、守ってくださいね」


 それが何のことか判らないまま、清一郎は彼女を抱き締めることしかできなかった。


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