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君が目覚めるその時に  作者: トウリン
本編

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22/38

微かな陰り-1

 くしゅん。

 抑えたくしゃみの後に、ほんの少し鼻水が垂れてくる。

 朝目が開いてすぐに、それだった。

 身体を起こしたキラは、ベッドサイドのティッシュを引き出して鼻をかんだ。

(まずいなぁ……)

 もう一度枕に頭を落としながら、彼女は胸の中で呟く。

 多分、三日ほど前の夜のせいだ。

 星がよく見えていたから、つい、カーテンを開けたままで寝てしまった。十二月も半ばを過ぎたこの時期、そんなことをしたら冷えてしまうことが判りきっていたのに。夜空を眺めながらウトウトしてしまって布団もちゃんとかけていなかったし、きっと、あの時に身体を冷やしてしまったのだ。

 朝起きたらカーテンも布団もちゃんとしていたから、深夜に看護師が面倒を見てくれたのだろうけれど、どうやら遅かったらしい。


(こじれちゃうかな、どうだろう……)

 微かな不安に、胸の中にさざなみが立つ。

 今のところは、ただの風邪だ。けれど、健康な人なら鼻水とくしゃみと咳に困るだけのそれが、キラの心臓では命取りになることがある。

 小さな頃から風邪は大敵だった。何年かに一度ひどくこじらせて、小さい頃は二度ほど人工呼吸器を着けられたこともある。

 成長してからも、呼吸器の感染症を患うたびに一騒動になった。

 そんなだから、常日頃、岩崎いわさきからは、手洗いをしろ、身体を冷やすなと、しつこいほどに注意されている。ベッドサイドに来る看護師たちも両親も桃子とうこたちも、十二月に入った頃から全員マスクをしてくれていたし、風邪をひいたとしたら、百パーセント、自業自得だ。

 少し喉がイガイガして、キラは小さく咳払いをする。それでも消えなくて、冷蔵庫からペットボトルを取り出した。


「ここのところ、結構調子良かったんだけどなぁ……」

 岩崎からは、クリスマスから年始にかけて、外出だってできるかもしれないと言ってもらえた矢先のことだった。けれど、だからこそ、油断してしまったのかもしれない。

 チラリと時計に目を走らせると、もうじき朝の回診で岩崎がやってくる頃合いだった。

「先生に言わないとだよね」

 ポツリとこぼしてズシンと気分が重くなる。


 心配させてしまうことが、つらい。

 母の裕子ゆうこだって毎日面会に来るから、絶対にバレてしまう。裕子も最近はグッと落ち着いてきていたのに、キラが風邪を引いたことを知ったら、また不安にさせてしまうだろう。


「ああ、もう、バカ」

 自分を罵りながらもそもそと布団にもぐったキラは、落ち込んでしまった気分を浮上させようと、ベッドサイドの物入れからタブレットを手に取った。スウィッチを入れて頭のすぐ横に立てると、保存してある写真を呼び出した。

 新しいのは、文化祭の時に撮ったものだ。呆れるほどにたくさん、桃子とうこが送ってくれた。

 スライドショーにして、次々に流れていく写真を口元に笑みを刻んで眺めていく。

 どれもこれも、そこに映っている人は皆、楽しそうな全開の笑顔を浮かべている。キラも、桃子も、たかしも、他のクラスメイトも、皆。


(あ、みんなじゃないや)

 ふと気付いて、キラはクスリと笑う。

 笑顔が溢れる中で一人だけ、むっつりしている。その場にいたから不機嫌なわけではなかったことを知っているけれど、写真だけを見たら怒っているとすら感じるかもしれない。

「まさか、たき先生がねぇ」

 何度見ても、実際にその場にいたというのに、そうつぶやいてしまう。

 時々混ざる、白い軍服もどきを着た清一郎は、仏頂面もいいところだ。

「そう言えば、先生の笑い声って聞いたことがないかも……ていうか、先生が大口開けて笑うとことか、見た人いるのかな」


 時々病室を訪れてくれる時も、いつも、唇は硬く引き結ばれている。

 文化祭に連れて行ってくれたあの日は、笑ったかもしれない、と思ったことはあったけれど……

 キラは画面をタッチして自動送りを止める。そこに映し出されているのは、キラと、彼女を後ろから包み込むようにしている清一郎とのツーショットだった。

 それは、見る度にドギマギしてしまう。

 桃子に言われるままにポーズを取っている時は、彼女の勢いに流されて為すがままになってしまっていた。けれど、こうして冷静な頭でまじまじと見つめると、かなり恥ずかしい。

 恥ずかしいけれど、やっぱり嬉しいかもしれない。


 流れていく数々の写真を眺めていて、ふとキラは真顔になった。

(でも、これって、どう見ても父と娘、だよね)

 清一郎は大きな身体をしているから、普通よりも小柄な自分がよりいっそう小さく幼く見えてしまう。

「わたしが小さいんじゃなくて、先生が大き過ぎるのがいけないんだよね」

 衣装のせいか、写真の中の二人は実際以上に年齢差を感じさせて、キラの胸の中が何となくチリチリする。

(先生は三十五? 六? わたしの倍以上かぁ)

 医者が何歳で患者が何歳かなんて、どうでもいいことだ。

 実際、岩崎が何歳かなんて、気にしたことがなかった。それなのに、瀧のことはやけに気になってしまう。


「先生から見たら、わたしなんてほんと子どももいいところだよね……」

 無意識のうちに、声に出して呟いていた。

 と、それに応える者などいないと思っていたキラの耳に、愉快そうな声が飛びこんでくる。

「誰のことだ?」

 カーテン越しに聞こえてきたのは岩崎の声で、思わずキラはビクリと肩を跳ね上げる。

「入っていいか?」

「ど、どうぞ」

 顔が熱い。

 キラは頬を両手で覆ってなんとかその熱を冷まそうとしながら、主治医が姿を現すのを待つ。

 顔を覗かせた岩崎は、キラを見てニヤリと笑った。

「で、誰が誰にとって子どもだって?」

「もう! 何でもないですよ。独り言に突っ込まないでください」

「随分大きな独り言だな。廊下まで聞こえていたかもしれないぞ?」

「ウソ!」


 狼狽するキラに、岩崎は喉を鳴らすようにして笑う。そうしながら、彼女の手元にあるタブレットを覗き込んできた。そこに映っているものを見て、彼は目を丸くする。

「何だ、それは?」

 画面にあるのは、先ほどと同じ写真だ。

「あ、これは――」

 慌てて消そうとしたけれど、逸早く岩崎がタブレットを取り上げてしまう。

「すごいな……」

 岩崎から漏れたのは、愉快がるというよりも、素直に驚いている声だ。彼は何枚かの写真を見た後、キラを見下ろしてきた。

「これ、コスプレだろう? あの瀧が、よくこんなのを着たもんだな」

「説得したのはわたしじゃなくて桃子なんです」

「ああ、君の友達の?」

「はい。わたしも、まさか、こんな事になるとは思ってなくて……わたしも桃子にのせられてそのヒラヒラを着たんですけど、着替えの部屋から出てきたら瀧先生もそんなになってました」

「いや、まさか、あいつがな。君と文化祭に行くと言い出した時もどうかしてしまったのかと思ったが、こんなことまでしていたとは」

 岩崎が、そこでまたククッと小さな笑いを漏らした。

「すごいな、君は」

 感心しきりの岩崎に、キラはかぶりを振る。

「すごいのは桃子ですよ。瀧先生を言いくるめちゃったのは彼女ですから」

「コスプレのことじゃないよ。君は気付いていないのか?」

 そう言って、岩崎が柔らかな眼差しをキラに向けてくる。

「何に、ですか?」

 訝しげな彼女に、岩崎は少し考え、ああ、と頷いた。


「そうか、君にはこれが普通なのか」

 ますます判らなくなって、キラは首をかしげる。岩崎はまた微笑んだ。

「俺の知っている瀧と、君が見ている瀧は、多分全然違うんだろうな」

「え? 循環器内科の瀧先生ですよね? 他にいましたっけ?」

 眉根を寄せたキラに、岩崎はクスクスと忍び笑いを漏らす。

「いや、一人だよ。だけどな、君はこの写真を見ていても違和感を覚えないんだろう? まあ、恰好はアレだが、瀧自身は、いつも君が見ている瀧なんだよな?」

 どういう意味なのだろうと首を捻りながらも、キラは頷いた。

「この写真の瀧は、俺の知るあいつよりもずいぶんと表情が柔らかいよ。それに、温かい。君といると、あいつはこんななんだな。随分と変わったもんだ」

 感慨深げな岩崎に、キラはどう返していいものか判らなかった。


(瀧先生が変わった?)

 その心の声を聞き取ったかのように、岩崎が呟く。

「君が、変えたんだな」

(わたしが……?)

 そんな力がある筈がないと思いつつ、もしもそうなら嬉しいと思っている自分が、キラの心の片隅にいた。

(だけど、なんでそれが嬉しいのかな)

 岩崎に言われた言葉でやけに胸がざわついて、同時に炎がともったようにそこが温かくなる。。

 キラは、膝の上に置いた両手のひらに目を落とした。


 清一郎と、もっと関わりたい。

 清一郎のことをもっと知って、キラのことももっと彼に知ってもらいたい。

 一緒に過ごした時間が増えるほど、もっと一緒にいたいと思う。

 その欲求が、日に日に膨らんでいく。

 あんなに大好きな桃子に対してでさえ、彼女の方から与えてくれるもので満足するようにして、こんなふうに「より多く」を望むことはなかった。無意識のうちに、親しくなり過ぎないように、セーブしていたのかもしれない。


 それなのに。


(わたしも、瀧先生に変えられてしまったんだ)

 たった数ヶ月前に出逢ったばかりの彼が、誰よりも大きく、キラを変えてしまった。

 ――欲張りに、貪欲に。

 少し前までのキラは、多分、死を受け入れていた。

 もちろん死にたくはないけれど、一分一秒でも長く生きていたいけど、もうそろそろだよ、と言われても、それを受け入れることができていたと思う。


 だけど。


(今は、死にたくない。まだまだ、絶対に)

 両親とも、桃子とも、――そして清一郎とも、もっともっと一緒にいたかった。

 未練が、強くなってしまった。

 いつから、変わってしまったのだろう。

 何故、変わってしまったのだろう。

 ――どうして、清一郎なんだろう。

 彼といた時間なんて、キラの十七年の人生のほんの少しに過ぎない。

 もっともっとたくさん言葉を交わした人は、他にいくらでもいる。

 それなのに、キラを変えたのは清一郎なのだ。


 視線を落として考え込んだキラに何を感じたのか、岩崎は穏やかに頬を緩めた。

「誰が誰をどんなふうに変えるのかなんて、判らないものだよ。ある誰かにとって自分が思いもよらぬ力を持つ時もあるし、何故かは判らないけれどある誰かに強く影響されてしまうこともある。少なくとも、今の瀧が以前の瀧とは違うことは、確かだ」

 岩崎の眼差しは明るく温かだ。

 だけど――

(変わるということは、良いことなの?)


 キラは自分の変化を怖いと思う。

 彼女が望むのは、笑いながら最期を迎えることだった。未練を残さず、自分の生に満足して逝くことだった。

 けれど、今のキラにそれを叶えることができるとは思えない。今の彼女では、どれだけ時間があっても、やりたいことが尽きるとは思えなかった。

「それは、変わるということは、いいことなんですか?」


 少なくとも、キラは、変化を怖いと思う。

 ならば、清一郎はどうだろう。自分は彼に良くない影響を及ぼしてしまったのだろうかと不安が込み上げてくる。

 すがる眼差しで岩崎を見上げると、彼は肩をすくめた。

「その答えは、瀧に訊かないと。だけど、そうだな――」

 そう言って、言葉を切る。少しの間、何かを考えるように、あるいは言葉を選んでいるかのように口を閉ざし、また開いた。


「……今のあいつは、迷うことを知ったんだと思う」

「迷うこと?」

「ああ。少し前の瀧は、自分の信じる道を貫き通すのみだったから」

「だけど、そうするのが正しいんじゃないですか?」

 自分の信念に基づいて行動する。

 それは、良いこと、そうあるべきことな気がする。

 キラの言葉に、岩崎はまた少し沈黙し、そして言った。

「ある意味正しいし――楽でもあるな」

「『楽』……?」

 それは、今の話の流れにはそぐわない一言な気がする。

 キラは首をかしげて岩崎を見上げた。彼は小さく笑って続ける。


「迷わないのは、楽だよ。迷うとその分選択肢が増える。その分、考えなくていけなくなるんだ。選ぶ道が増えるということは可能性が拡がることでもあり、悩む苦しみも増えるということだ。あいつには、今までそれがなかったんだよ。自分が良かれと思ったらそれを貫き、他の者の考えや感情は斟酌しない――それが、あいつだった。だが、今は色々な方向から考えるようになって、それどころか、患者本人の意見さえ聞こうとすることがある。……その変化を歓迎しているかどうかは、本人にしか判らない」

 岩崎の声からは、彼自身がその変化を良いものと考えているのか好ましくないものと考えているのかを読み取ることは難しかった。顔を伏せて唇を噛んだキラに、彼が微かに笑う。

「良いかどうかを俺が判じることはできないけどな、まあ、人間らしくなったな、とは思うよ」

 そう言った岩崎は、ガラリと口調を変えた。またタブレットの写真を眺めながら、ニヤリと笑う。


「しかしそれにしても、これ、プリントアウトして医局に貼り出してやりたいな。あるいは循環器内科じゅんないの外来にするか?」

 唐突に突拍子もない発言が飛び出して、キラは一気に現実へと引き戻された。

「え、そんなのダメですよ! わたしが殺されちゃう!」

 慌てふためき手を伸ばして、岩崎からタブレットを奪い返そうとする。と、その拍子に、二、三度小さく咳き込んだ。

 途端に岩崎の目が鋭くなった。


「風邪か?」

「あ、ちょっとさっきからくしゃみと鼻水が……でも、全然たいしたことないです」

 真剣な岩崎の眼差しを注がれ、しどろもどろでキラが言い繕う。それを無視して彼は首にかけていた聴診器を手に取った。彼の身にまとう空気が一気に『医者』になる。

「診せてみろ」

 言うなり岩崎はてきぱきとキラの胸を隈なく聴診し、ペンライトで喉の奥を照らす。

「胸の音は悪くないし心雑音も強くはなってないが、喉は少し赤いな。熱は?」

「さっきの朝の検温の時は三十六度八分でした」

 一般的には微熱とも言えないくらいの数値だけれど、平熱が低めのキラからすると、普段よりも少し高くなっている。

「いつもよりは若干高めなくらいか。……今はそれよりももう少し上がっていそうだな」

 キラの首筋に触れながら渋面になった岩崎に、彼女は明るく笑いかけた。

「もう、これでもかっていうくらい、おとなしくしときますから」

「……息苦しかったり動悸がしたりしたらちゃんと言うんだぞ?」

「わかってます。だいじょうぶ、十七年、この身体と付き合ってきたんですから。おかしかったらすぐに判ります」


 取るに足らない事のように、キラはおどけてみせる。けれど、岩崎はそれにごまかされはしなかった。彼は眉間にしわを刻んだまま、言う。

「念のために詰め所近くの個室に移っておく方がいいかもな」

 詰め所近くの個室――それはつまり、注意深い観察が必要なほどの状態であるということだ。

 そんなことをされては、裕子が本気でパニックになってしまう。

 確かに、最近の母は随分と落ち着いてきていて、ちょっとやそっとでは以前のように取り乱すことはなくなった。

 けれど、それでも重症患者用の個室に移るなんて聞いたらどんな反応を見せるか判らない。

 せっかく自然な笑顔を見せてくれるようになってきたのに、また以前のような裕子に戻ってしまうかもしれない。

「だいじょうぶです、ホントにだいじょうぶですから。ちょっと喉がイガイガして、咳がたまに出るくらいなんです」

 ベッドの上で少し身を乗り出してそう力説するキラを岩崎は目をすがめて見つめていたけれど、やがて小さく息をついた。

 かなり、本当にかなり渋々であるのが判る表情と口調で、言う。


「なら、取り敢えずは現状維持だが、今よりも少しでも悪くなるようだったらすぐに部屋移動するからな? いいか、くれぐれも――」

「わかってます」

 岩崎の台詞を遮ってきっぱりと言いきると、キラはもう一度ニッコリと微笑んでみせた。

 その笑顔を、彼はジッと見つめてくる。

「……無理は、するなよ?」

 彼はそう残して病室を去っていった。

 ――その言葉の中にはただ安静を守るようにという意味以外のものが含まれているように感じられたのは、キラの気の所為だったのかもしれない。

 一人ベッドの上に残されて、キラは小さく息をつく。

 微かに胸が痛んだことには、気付かないふりをした。

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