第二章(1)
今日はいい天気だ。それは間違いない。
「皆人殿、このように話すのは初めてでござるな」
今日も一日平凡に過ごしてきた。それも間違いない。
「では改めて。クラスは女侍、名は伊吹。そして属性は《鋼》にござる」
そして、目の前には自分に跪く少女。これも間違いない。
「拙者、いかなることがあっても、この身、この刀、この魂を以って我が君主、皆人殿に尽す覚悟でござるよ」
凛とした面持ちとは対照的に、限りなく明るく誇らしげに皆人へ忠誠を誓う少女。
「さあ、皆人殿。共に剣の道を極めるでござる」
「断る」
そんな彼女に対する皆人の返答は素っ気ないものだった。
「え?」
「聞こえなかったのか? 断る、と言ったんだ。俺は降りる」
「え。え! え?」
まさかこれほどあっさりと断られるとは思っていなかった伊吹が、激しく動揺する。
「そんな、何故でござるか。皆人殿」
大声を出しながら、伊吹が皆人へ身を乗り出した。皆人の鼻孔を、甘い匂いがくすぐる。
だが皆人は、露にも感情を見せないまま、伊吹の肩に手を当てその体を押し戻した。
「理由は簡単。俺が参加する理由がないから」
淡々と答える皆人。だが、その答えに異議を唱える声が上がった。
「あら、理由ならあるわよ」
「また、あんたか」
皆人が再び指輪から聞こえる女性に辟易した溜息を漏らす。
「まあ、いい。おい、さっさと俺のエントリーを取り消せ。俺はお前らの実験につきあう気は毛頭ない」
「それは無理ね。もうエントリーしちゃったもの。ああ、それと。あなたが参加する理由はなくても、意味はあるわよ」
「意味?」
「そう。もしあなたが優勝したら、あなたの願い、何でも一つだけ叶えて上げるわ」
「ありがちだな」
「ただし、お金で叶えられる範囲でだけど」
「おまけに現実的だ」
「ということで、説明終わり」
「説明終わり、じゃないだろ。なにより、なんでこいつらが実体化してやがんだ」
「んー、えっとねぇ。わが社が独自に造り出した光化学実体機を核に、粒子力学亜空電子砲でそこらへんの粒子を集めて、あとはあれやこれやで実体化させたらしいわよ。私は選考担当だから知らないけど」
「おい、何だその大切な所丸々すっ飛ばした説明は?」
「……じゃあ、頑張りなさい。バイバーイ」
「な、コラっ。……ちっ、切りやがった」
舌打ちする皆人に、おずおずとした声が掛けられた。
「あ、あの。皆人殿」
声の主に皆人が視線を向ける。
そこには不安に目を潤ませる伊吹が、《睡蓮》をギュッと抱きかかえて立っていた。
「はぁ……」
溜息を漏らし、激しく頭を掻き毟る皆人。と、その時。
「おい、この野郎。伊吹のどこに不服があるってんだ?」
皆人の部屋に、ガラの悪い声が木霊した。指輪が再び輝き、ディスクへと変化する。
「今度は何だ?」
冷ややかな目でディスクを見る皆人。その視線の先でディスクにセットされたままのデッキから一枚のカードが飛び出し、勝手に発動した。ディスクから閃光が発し、その光が徐々に形を成す。漆黒の身体と翼。血の如き紅き眼。そして、天・地・人を表すとされる異形の三本脚。伊吹のパートナー、霊獣【八咫烏・九王】だ。
九王はその場で羽ばたきながら皆人に視線を合わせると、ガラの悪い言葉を吐きだした。
「コンチクショ。死んだ魚みたいな目しやがって。伊吹、やっぱりやめようぜ。コイツ、絶対に役に立たないに決まってる」
「九王っ。皆人殿になんてことを言うでござるか」
主に対する暴言に、伊吹が慌てて九王を諌めようと手を伸ばす。
九王はその手をひらりとかわし、再び皆人に向き直った。
「黙りこくってねぇで、お前もなんか言って……ぐうぇ」
九王が苦悶を漏らす。その体毛に覆われた首を皆人が鷲掴みにしたのだ。
皆人は無言のまま九王を睨みつけると、
「ふんっ」
「わきゃっ!」
鼻息一つ漏らし、伊吹に九王を投げつけた。
「何しやがるっ!」
「コラ、九王。さっきから、口が過ぎるでござるよ」
「だってよお、伊吹。コイツ……」
「皆人殿、でござるよ」
真摯な眼差しで諌める伊吹に「ぐぅぅぅぅ」と九王が唸る。その時、ガラガラガラと部屋の窓が開けられ、春の暖かな風が部屋の中に入ってきた。伊吹と九王が窓の方を向く。
そこには目を伏せ、腕を組みながら壁に背を預ける皆人が立っていた。
「皆人ど……」
「出て行け」
「「っ!?」」
それは短く、そして無慈悲な一言だった。
「そ、そんな……。皆人殿」
すがるように皆人へ手を伸ばす伊吹。
しかし、伏していた目を上げた皆人の視線はこの上なく冷たかった。
「出て行け、と言ったぞ」
「ぅ…………」
完全な拒絶に、苦悶を漏らす伊吹の眼に涙が浮かぶ。
だが、モエモンにおいてマスターの言葉は絶対。
「わかり、ました」
唇を噛みしめる伊吹は、静かに窓へ向けて歩き出す。
「コラコラコラ。待てぇーっ」
しかし、そんな彼女の状況を見て九王が黙っていなかった。激動する九王は伊吹の制止を振り切り再び皆人の目前で飛翔すると、感情をそのまま言葉に乗せて叫んだ。
「てめぇ。それが今まで一緒に戦ってきた相棒に対して言うことか。あぁぁぁ――っ。俺っちは決めたぞ。絶対に出て行かねぇ。意地でも、伊吹と一緒にここに残ってやる」
「そんなこと……」
目の前でまくし立てる九王に、皆人が再度退出を勧告しようとした、その時。
「みっちゃん。さっきから何騒いでるの~?」
不意に皆人の部屋の扉が開けられ、そこから皆人の姉かと見間違うほど若々しい皆人の母、髪を後頭部で束ねる千草が入ってきた。
「あら、あらあらあら」
息子の部屋。見知らぬ女の子。口に手を当てる千草が、何やら妖艶にほほ笑んだ。
「もう、みっちゃんたら」
「『たら』って何だ? 『たら』って」
何やら良からぬことを想像しているであろう千草に、皆人が溜息を漏らした、次の瞬間。
「カァァァァァァー」
突然、皆人に向き合っていた九王が、大音量で鳴き出した。
「なっ!」
そのあまりの声に、皆人が耳を塞ぎ、目を閉じ、身を竦ませる。
再び皆人が目を開けると。
「なんだ、そういうことなの」
何事もなく……いや、何かを納得したように千草がポンと手を打っていた。
驚くべき変化はその後起こった。
「じゃあ、伊吹ちゃんはしばらくウチに泊るのね」
「え、ええ?」
「はぁ?」
皆人だけでなく、伊吹までもが首を捻る。
「うふふふふ。今日の夕ご飯は何にしましょうかしら? あ、そうだわ。お赤飯も炊かなくちゃ、えっと、それから~」
何やら楽しそうに計画と立てながら部屋を出て行く千草。
後に残された皆人と伊吹は呆然とするしかなかった。
「くっくっく……ぐうぇ」
「おい、一体何をした」
再び九王の首を鷲掴みにして、皆人がドスの利いた声で問いただす。
すると九王は、苦しみながらもしてやったりな顔で答えた。
「俺っちの能力、忘れたわけじゃないだろうな?」
「……ちっ」
九王が何を言いたいかを悟り、皆人が激しく舌を打つ。
【八咫烏の九王】。その能力は、幻聴・幻影・幻術。そして催眠・暗示だ。
「さっさと能力を解け」
「解けも何も、俺っちはただ説明しただけだ。さぁ、これで俺っちと伊吹がここに居座る準備はできたぞ。むしろ、お前の母の性格からして、ここで俺っちたちが消える方が問題になるんじゃないか?」
「なんでテメェが、おふくろの性格を知ってんだよ」
「はっ。テメェに教える義理はねぇよ」
勝ち誇ったように胸を張る九王。皆人は一度大きく深呼吸をすると、再び伊吹に投げると見せかけて……、思いっ切り九王を壁目掛けて投げつけた。
「キュぅ~……」
あまりの衝撃に、目を回しながらずるずると床に落ちる九王。
その姿を最後まで確認せず、皆人は状況の変化にオドオドしている伊吹に向き直った。
「先に言っておくぞ」
「は、はいっ」
緊張して皆人の言葉を待つ伊吹。対して皆人は、こんなひと騒動があったにも関わらず、いつものように感情を押し殺した冷静な口ぶりで続けた。
「はっきり言って、俺にやる気はない。そのせいか知らんが、俺たちの燃えポイントは零だ。戦闘は不利。それでもいいのか?」
「も、もちろんでござるよ!」
この皆人の問いに対する伊吹の答えは即答。
(まぁ、いい退屈しのぎぐらいにはなるか……)
心の中でそう呟いた皆人は、片手をポケットに突っ込みながら、そっと伊吹に向けて逆手を差し出した。顔を綻ばせる伊吹。
感激しながら慌てて皆人の手を握り返そうと、伊吹その身を乗り出した、その時。
「わ、っわ、っきゃ」
「なっ」
伊吹は自分の右足に左足を掛けるという神業でずっこけると、その体が手を超えて皆人の体に崩れかかった。揉みくちゃになり、伊吹が皆人を押し倒す形になって倒れ込む二人。
「いつつつつ……」
「も、申し訳ござらる。皆人殿」
馬乗り状態になり、慌てて身を起こす伊吹。その時、運悪く袖が引っ掛かり、道着がはらりとはだけた。
皆人の視界を、サラシで抑えつけられた乳房と、雪のように真っ白の肌が覆い尽くす。
これぞ伊吹の隠れモエモン属性「ドジっ子」だ。
「あわ、あわわわわわ。とんだ御無礼を」
顔を真っ赤にして、手を振り回す伊吹。
本来なら、コレは萌えポイントを上げるために最適なイベントなのだが……。
「落ち着け。それから、早くどけ」
皆人の反応は至ってクールなものだった。
「え、あ、はい……」
シュンとする伊吹。『萌え』不発。
「ねぇねぇねぇ。伊吹ちゃんは、どんなお料理が……。あら?」
開かれる扉。少女と抱き合い倒れこむ息子。ニマァと不敵な笑みを浮かべ、「おほほほほ」と笑いながら千草は皆人の部屋から出て行った。
「おい、ボケ鴉」
「俺っちの名前は九王だ」
「そんなことはどうでもいい。泊めてやる、手を貸してやる、勝ってやる。だから」
「だから?」
「今すぐおふくろの誤解を解いてこい」
皆人は至って無表情だが、その言葉は限りなく早口だった。