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モエモン  作者: 野生
4/23

(2)

「えっと。神埼君、この問題に答えてくれるかしら?」

「はい」

 先生の指名を受け、皆人は黒板に答えを刻む。

「はい、そこまででいいわよ、神埼君。ありがとう」

「いえ」

 先生が赤いチョークを取り出し、皆人の描いた答えに補足の説明を加える。皆人は赤ペンを取り出すと、機械人形のように何の感情もなく加えられた補足をノートに付け足した。

 皆人は決して不真面目な訳ではない。いや、むしろ。学校での彼の評判は優等生と言ってもいいだろう。しかし、周りの評価と彼自身には隔絶たる温度差があった。

 成績は良いが、さらに上を目指す気もない。一言で言うなら、皆人には「やる気」や「熱意」、「情熱」といった感情がなかった。昔の皆人を知らない人が今の彼を見たなら、無口で陰険な奴とでも評価するだろう。皆人も、それで構わないと思っていた。

 ノートに文字を刻むペンが止まる。終業の鐘。午前の授業の終了だ。

 淡々と机の上を片づける皆人へ、二人のクラスメートが弁当袋を持って歩み寄ってきた。

「皆人。ご飯、一緒にどう?」

「み~な~とん。おっ疲れさまでした。一緒にご飯食べよーよ。そして『萌え』が何たるかを一緒に語り合おう」

「お前らか……」

 東夜とミユだ。二人は自分の昼ご飯を皆人の机に置くと、周りの机を適当に引き寄せ、昼食の場所作りを開始したのだが……

「俺……、いいわ」

「皆人……」

「みなとん?」

 皆人はそそくさと自分の弁当袋を取り出すと、そのまま二人を置いて逃げ出すように教室を後にした。目指す先は屋上、しかも人が滅多に立ち寄らない別館のだ。錆びた屋上の扉を開く。視界に広がるのは、青い空と、所々に雑草が生えたコンクリートの床。

 皆人は屋上の一角、青い塗装が剥がれたフェンスの所まで来ると、春の日差しで丁度いい具合に温まったコンクリートへと腰を下ろした。

「ふぅ」

 漏れる吐息。見上げる空には白いはぐれ雲があてもなく流れている。その時、コンクリートに下ろした皆人の弁当袋から、カードゲームで使うデッキホルダーがコロンと零れた。

「ミューだな」

 皆人の言う通り、おそらく先ほどミューが皆人のカバンを漁った際に紛れ込んだのだろう。皆人はフェンスに背中を預けながら、腕を伸ばしデッキホルダーを掴み上げた。

「……確か、メインキャラに『学校の屋上に舞い降りる天使』の設定キャラがあったけ」

 それは、皆人が何気なく零した一言だった。


 突然、眩い光が屋上を包んだ。

 一切の闇をかき消し、後方に延びる影すらも覆い尽くす閃光。

「な、なんだ!」

 驚きの叫びと共に、皆人は手で庇を作りながら、目を細め光源を凝視した。

「あなたが、私のマスターですか?」

 この世のものとは思えない、鐘の音のように響く清廉な声。

「お前は!?」

 光に包まれるその人物を、皆人は必死に観察しようとした。だが、光を背負うその顔を見ることは叶わず、ただそのシルエットから女性であることだけが見て取れた。

 閃光が新月を迎えた渚のように引いてゆく。

 そして、徐々にその人影の姿が露わにな…………


 ガシャン、と屋上に響き渡るフェンスを殴った甲高い音。。

 屋上は何も変わっちゃいない。ほんの数秒前、皆人が空を見上げた時のままだ。

「俺は馬鹿か? ミューじゃあるまいし」

 幼稚な妄想。安易な幻想。自分自身の度を超えた馬鹿な考えに、皆人はもう一度舌を打つと、その後は無心のまま手早く弁当を口の中に放り込んで屋上を後にした。

 午後の授業も、いつもと何ら変わらない。だらだらと、しかし刻々と流れる時間。

 目標や夢を忘れた皆人に取って、それは退屈でしかなかった。

 最後の授業が終了し、皆人は黙々と帰り支度を始める。何やらクラスメートが密談しているが、それは聞こえないふりでやり過ごした。どうせ、ロクでもない。

「皆人、この間借りてたCD返すよ。ああ、それと。こっちは皆人に頼まれてたDVDね」

「ああ、サンキューな。東夜」

「みなとん。大好き」

「ああ、俺もだ」

「だから、『女神の接吻』をミューにちょ~だい」

「ミューの持っているカード全部となら、交換してやってもいいぞ」

 短い東夜との雑談し、適当にミユをあしらった皆人は、学校へ登校した時のように独り静かに玄関へと向かった。青春を謳歌する学生が雑談を繰り広げる玄関で、自分の名が書かれた下駄箱を開ける。すると、そこから青春の欠片がひらりと零れ落ちた。下駄箱に入れられた一通の手紙。封筒は淡いピンク、仄かな甘い香りが漂うが、差出人の名はない。

 ごく平均的な男子なら、鼓動を爆発させ胸を躍らせているだろう。だが、落ちた手紙を拾い上げる皆人はその鉄仮面をピクリとも動かさずに、「またか」と面倒臭げに漏らしただけだった。

 そんな浮世離れした皆人に、気配を殺しながら近づく影が一つ。ボーイッシュに髪を肩ほどで切り揃えたその人影は、皆人が靴をはき替えたのを確認すると、

「やっほー、神埼皆人っ!」

 大声で叫びながら、バンッと周りの人が振り向くほど容赦なく皆人の背中を叩いた。

 その威力たるや、ちょっとのことでは堪えない皆人が思わず苦悶を漏らすほどだ。

 背中の痛みを一瞬で飲み込んだ皆人は、再び無表情のまま背後を振り向き冷静に訊ねた。

剣宮つるぎみや先輩、取りあえず二つ質問します。何で背中を叩く必要があるんですか? なんでフルネームなんですか」

「そこに背中があるから」

 グッと親指を立てる剣宮。清々しいほどの笑顔だ。

 大きな眼でウインクしながら抜け目なく神崎の腕に手を伸ばす、この豪放磊落としたこの女学生の名は剣宮真季つるぎみや・まき。さばさばとした性格と端正な顔立ちの容姿から、同・下級生、先生からの人気の高い君影学園の三年生で、皆人の元部活の先輩だ。

「なるほど。で、フルネームなのは」

「よし、神埼。今から道場に行くぞ」

「僕の声、聞こえてますか?」

「と、その前に。何持ってるの? 神埼皆人」

「無視ですか」

 文字通り皆人の言葉を無視した剣宮は、皆人の持っていた封筒をよく見た後、ニマーっといやらしく笑った。

「ふっふっふ。謎は解けたよ。ワトソン君」

「どんな謎ですか?」

「神埼ぃ~、この色男がっ。何よその手紙は、ちょっと見せなさい」

 オヤジ臭さバリバリに肘で脇を小突く剣宮に、皆人は無言のまま手紙を差し出した。

「あり?」

「どうしたんですか先輩」

「い、いやぁ……」

 予想に反してすんなりと手紙を渡す皆人に剣宮のほうが困惑する。

「あ、あのさ。こういうのって、ほら、他人が口を突っ込むものじゃないっていうか」

「別にいいですよ。俺、興味ありませんし」

 その言葉に偽りはなく、皆人は本当に興味がないのだろう。

 ひらひらと手紙を揺らす皆人に、剣宮は「あぁー、もう」と観念したように叫んだ。

「はいはい。もういいわ。あたしの負けよ」

「何に負けたんですか?」

「さて、それはそうと」

「自分に都合の悪いことはすぐに流す癖、治ってませんね」

「さぁ、行くわよ。神埼」

 無理やり手を取って道場に連行しようとする剣宮に、皆人は少しだけ力を込めてその手を振りほどくと、「はぁ」と浅い溜息をついた。

「道場に連れてってどうするつもりですか? 俺はもう部員じゃないんですよ」

「あたしは三年、あなたは二年。知らないの? この学校ではあたしの言うことは絶対よ」

「後半、学年が関係なくなりましたね」

「年上の言うことには従いなさい」

 ドンっと胸を張る剣宮に、皆人が頭の中の友人帳をめくりながら答える。

「たった二ヶ月ですけどね」

 剣宮は遅生まれで、誕生日は二月二十三日。四月二十日生まれの皆人とは、上級生と言うより同級生と言った方がしっくりくる。むしろ、冷静で大人びいた雰囲気の皆人の方が年上に見えるくらいだ。

「うぁお。神埼、私の誕生日を覚えてくれてたなんて、そんなに私のことが好きなのね」

「あんな盛大な誕生日会されたら、誰だって覚えますよ」

 二か月前に行われた剣宮の誕生日会を思い出し、皆人が僅かに身震いする。負の思い出に厳重に蓋をする皆人に、神埼は太陽のような笑みを浮かべて、両手をパンと叩いた。

「そうだ。神埼の誕生日、来週じゃない。これは、盛大に盛り上げなきゃ」

「断固として遠慮します」

 冷静に、しかし強い口調で対処する皆人に、剣宮は顔が崩れないように、むしろ可愛く頬を膨らませ口を尖らせた。

「なぁに。いいじゃない、ケチ。昔の素直な神埼は一体どこへ行っちゃったのかしら」

「残念ながら、剣宮先輩の知る神埼皆人は亡くなりました」

「えぇぇー。あたし、葬式に行ってないんだけど」

「俺が誰にも見られないように、迅速かつ静かに暗殺しましたので。……それでは」

「待ったぁー。逃がさないわよ」

 そそくさと退散しようとする皆人の腕を、今度は振りほどかれないように剣宮は両手でしっかりと捕えた。

「もう。先輩がこんなに頭下げてるんだから、少しは『ああ、こんな綺麗な人が頼んでるんだ。一肌脱ごう』とは思わないの?」

「一回たりとも頭下げてませんよ。それに、二、三年はともかく、今の一年は俺のことを知りません。こんな目つきの悪い部外者が行ったら、一気に幽霊部員が増えますよ」

「へ~。自分のことよく知ってるんだ」

「……怒りますよ」

 少し低音で威嚇する皆人に、剣宮は全く応えた様子もなく、泰然自若と笑って答えた。

「あはははは。大丈夫よ、神埼。I・H優勝者のあんたのことなら、もうすっかり話しちゃったから。みんな、そんなすごい先輩に習いたいって、目をキラキラさせてるわよ」

 その言葉に皆人の目からさらに感情が消えた。

「話したって、どこまでですか?」

 感情が欠落したその声は、ひどく不気味で、そして寂しく辺りに響いた。

 しかし剣宮は、そんな皆人の問いに変わらぬ明るい口調で答えた。

「えっとねぇ。入部初日に神崎が道場の玄関で一発芸メドレー百連発したところから、I・H優勝の後の打ち上げで、私の胸をもみくちゃにしたところまでだったかな」

「何を、後輩にあることないこと吹き込んでるんですか? あなたは」

 飄々と答える剣宮に、皆人がどこか毒気が抜かれたように肩を落とす。

 そんな皆人の腕を掴む剣宮は、これ好機とばかりに腕を引っ張って歩き始めた。

「さぁ、ではでは。我らが道場へ、レッツら・ゴー」

「一人で行ってください。俺は行きませんよ」

「そんなこと言って。本当は私の胴着姿が見たくて堪らないんでしょ。ミューちゃんが言ってたわよ、ムラムラ&悶々とした毎日を送ってるって。今年は豊作で、かわいい女子がいっぱい入って来たんだから。見に来て損はさせませんよお客さん。――って、あり?」

 スタスタとテンポよく動いていた剣宮の足が急に止まる。

 おかしい、無抵抗すぎる。ゆっくりと振り向いた彼女の眼に映ったのは……

「ほんふぃふぃは、まひふぇんふぁい」

 口いっぱいにキャンディーを放り込まれた、ミューの姿だった。

「あ~あ。今日もやられちゃったか」

 苦笑を浮かべながら顔を手で覆う剣宮は、反対の手でミューの頭をポンポンと叩いた。


 一方その頃。

「あー、もう。やっぱり来ないじゃない」

「うぬぬぬぬ。これでも無理か」

 皆人の下駄箱に手紙を入れ、超巨大くす玉『神埼皆人もえモンアリーナ優勝おめでとう丸』を校舎の裏庭に用意した二年三組のクラスメートたちは、やはり来なかった皆人に頭を悩ませていた。

「昔の神崎なら、絶対に食いつくのにな」

「いや、普通の人間なら食いつくだろ。せっかく香水まで振りかけたんだぜ。あの手紙」

「ぐぐぐぐぐ、やっぱりやるわね、神埼君」

「ねぇねぇ、どうする。もう、あの日まで時間が無いよ?」

「「うーん。そうだな(ね)――」」

 完全に怪しい軍団と化した二年三組の生徒たちが一様に首を捻る。間近に迫った、皆人の一大イベントをどうやって祝うか。披露し損ねたくす玉を悲しむこともなく、彼らの頭の中は、次はどうやって皆人を驚かそうか(辱めようか)という考えでいっぱいだった。


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