007
ゲンプクは特別なリースではない。体内に埋め込まれているチップを交換するだけで済む。特別な能力を持つ子供が生まれてくると、能力を手に入れるため子供たちの誘拐が頻繁に発生した。重くみた政府は、法律で生まれてくる子供すべてに管理用のチップを埋め込む手段をとった。超小型チップの針を神経に埋め込むことで、子供ごとの位置情報等の基礎情報だけでなく、成長記録、能力特性を管理し、得られた情報すべてを政府の特殊能力開発専門部門が一律に管理することにした。チップは、子供たちが思春期を向える14歳に容量の大きなチップへと交換する。これを成人への通過儀礼としていた古代の風習元服に習い「ゲンプク」と呼ぶようになった。古いチップは特殊なリムーバーでピンポイント焼却が行われ、新たなチップが埋め込まれる。作業は簡単なものだった。
「みなさん、順番に番号を呼ばれたら一人ずつ焼却ルームに入室してください」
産休明けの担任、保坂夕実が事務的に告げると、F組の生徒の名前が番号順に呼ばれていく。京也は15番目だった。焼却ルームには、白衣を着た白髪の老人がチップの焼却というルーティン化された作業を規則正しく行っていた。京也の背中にもペンライトのような光があたると、前の生徒と同様の言葉を老人は繰り返した。
「インプットルームへ」
老人は目を合わせることもなく、次の生徒のチップの焼却に取り掛かかる。体内からチップが消失すると、激しい頭痛が京也を襲った。あまりの痛みに京也は、インプットルームへは向わず焼却ルームを出てしまった。
「滝本君、顔色が悪いけど大丈夫?」
保坂は、入ったばかりの京也がすぐに出てきたので驚いて声をかけてきた。
「頭が痛いので介護ルームで少し休んでから、チップのインプットをしたいのですが構わないですか?」
「もちろん。介護ルームにはひとりでいける?」
「ひとりで行けます」
「わかった。後で先生も様子を見に行くからそれまで休んでいて」
ふらついた足取りで介護ルームに向かう京也を保坂は見送った。
『滝本京也がそちらに行きます』
誰かが思念を送った。
頭の痛みが激しさを増し、立っているのも難しくなってきた。介護ルームは、生徒たちが集められていた小講堂Bから渡り廊下を抜けなければならない。渡り廊下の先が三重に見え始めると、講堂から漏れ聞こえてきたはずの生徒の話声も聞き取れなくなった。代わりに心臓を激しく叩く鼓動がこだまする。
「ダメだ」
体の機能を制御できなくなると京也は膝をつきその場に座り込んだ。汗が全身から湧きだし体温が上昇していく。両手をつき頭をもたげると、無数の汗が落ちていく。
「どうかしましたか?」
京也が顔を上げると、武術課のボディスーツ着た男子生徒が小講堂の入口に一人立っていた。視界がぶれるせいだろうか、男子生徒がふたりに見える。
「気分が悪くて、介護ルームへ行くところです」
「手を貸しましょう」
「大丈夫」
「そうですか……残念です」
「本当に大丈夫です」
渡り廊下の細い柱に手をかけなんとか京也は立ち上がった。
「残念です……ここでさよならなんて…残念です」
背筋に冷たいものを感じた。汗が引く、直感が危険を伝えてきた。京也はふらつく足で反対方向に渡り廊下を走りだす。背後から黒い液体がゆっくりと影のように京也を追いかけてきた。「追いつかれてはいけない」 壊れているホバーシューズを恨みながら必死で渡り廊下を渡りきり、2階に続く階段の前で振り向くと、黒い液体は京也の足元に既に流れてきていた。「捕まる」と思った瞬間、黒い液体は渦を巻きながら垂直方向に上昇した。真っ黒い三角すいが空間を切り取るように天井を突きさし完成していた。
京也は、それを1階の踊り場で見ていた。三角すいが黒い残像を残しながら消えると、ひとりの男子生徒が入れ替わりに1階フロアに現れた。
「固有結界をかわすとは……」
唇に動きがなく、聞こえてくる声に、京也は再び階下を見た。今は、はっきりとひとりの男子生徒の姿を確認できる。ホバーシューズに力を入れてみたがやはり反応はない。ホバーシューズの力なしでどうやって踊り場まできたのか疑問だったが、考えている時間はなかった。危険が回避されたわけではない。「黒い液体が再び発生する」と思い描いた時、京也の体は2階に存在していた。危険と認識するだけで、京也の体は次々に階段を登っていく、わずか数秒で最上階5階に到着していた。京也は5階の廊下をぬけ非常階段に向かう。「考えが正しければおそらくできるはず」京也は非常口の扉を開けた。
風はなく、らせん階段が魔法を使えない古きよき時代の産物として地上まで続いている。追いかけてくる黒い気配はなかった。
「発動」
京也は叫んだ。心の中で数を数えはじめる「1・2・3……」 3秒目で地上に到着した。
『認証中……???……午前10時4分…滝本京也をシングル……「ライムタベラート」と仮認証。未登録シングルにつき特権発動を留保。照会・登録手続き申請中……』
授業中のため生徒のいない校庭に電子音が響き渡った。
「能力者とは認めてくれないのか?」
京也は能力自動認証許可プログラムが認証しないことに落胆した。しかし、落ち込んでばかりもいられない。頭の痛みはなくなり、新たなチップをインプットする必要があったが、小講堂には、例の男子生徒が待ち伏せしている可能性もある。介護ルームも危険地帯だ。とりあえず京也は、早退するため赤鉄の扉に向かった。仮認証とはいえ、ライムタベラートの能力をいろいろ試してみたくなった。