017
赤の柱の先端を突き抜け空へ。抱き合ったまま雲に届く地点まで舞い上がると重力の激しい押し返しを受け始める。瞳孔が光を急激に吸収し何も見えない真っ白な世界で、柔らかい肌の感触とかすかに感じるハーブの匂いで存在を確かめる。
「姫野さん」
目の調節機能が戻り、顔をうずめたまま反応がない姫野を心配し京也が呼びかけた直後、急激な落下が始まった。
毛が逆立ち視界を阻む空気の波と耳の奥をかき混ぜる音。
制服がはためきだすと空気抵抗も勢いを増し、抱きしめていたはずの腕からするりと姫野の体がぬけ、京也だけが鉛の靴を履いているかのように先に下方へ引っ張られた。
「目を開けて、姫野さん」
抑えつけられていく首に反発して力を入れどうにか片方だけ瞼を開くと、頭を下に向け上下逆さまなまま姫野が流されていく。無意識に伸ばした手が激しく小刻みに揺れた。
距離が離れていく。
地面との衝突までの時間を考えるため一旦頭を下げると、緑色と茶色の混ざりあった地表に3つの円が見えた。赤い円の周囲に無数の黒い粒が甘いものに群がる蟻のようにひしめき合っていた。
円が急激に膨らみながら迫ってくる。
このままいけば、赤の柱との衝突はさけられ壁を触わることができるかもしれない。
時間はどれくらい残されている。
15秒ほどか、京也は空中で浮力と闘いながらうつ伏せになると体を水平にするため手足を伸ばした。気をぬけばバランスを失い吹き飛ばされるだろう。徐々に重心を右に傾けながら赤の柱に体を近づけていく
おそらくチャンスは一度きり。柱に触れることができれば能力が使える。柱の内側でできたのなら外側からでもおそらく発動は可能なはず。「届いてくれ」と念じ精一杯伸ばした指先に一本の線が現れた。
瞬間、赤い壁が猛スピードで上へ上へとスライドしていく。
壁に指が触れると爪がはがれ飛んだ。
「発動・1・2・3」
能力が発動して地上に降り立ち顔を歪める京也。
右手の一指し指と中指の感覚はすでになく、上空には傾きながら急速に壁面に吸い寄せられる姫野の姿。赤の柱に激突する前に、間に合うかどうかわからないがやってみるしかなかった。
迷っている暇はない。
赤の柱に手を触れた。
「発動・1・止まれ!」
赤の柱の3分の2地点に出現する京也。柱を蹴り、息を止めたまま血管が浮きだすとホバーシューズに渾身の力を込めた。赤の柱に触ると魔道具は効力を失ってしまう。細心の注意を払いつつ真上を目指す。
白い煙を吐き出しながらホバーシューズで上昇し続ける京也。
落下してくる姫野。
必ず助けてみせる。
姫野の頭部が柱に触れる刹那。
割って入った京也が柱に叩きつけられた。ホバーシューズの浮力も消える。
重力はそれでもなお執拗にクッションの役割を果した京也から姫野をほしがった。再び落下を始めようとする姫野の腕を動かせる左手一本で京也が掴まえる。宙吊りになった姫野を決して放すまいと思う心に逆らい握力が無くなると、姫野の重さに耐えきれなくなり前かがみになった。全身が麻痺した状態では柱に触れている自信はない。
「発動」
京也は祈った。
人だかりの少ない柱の後方に重力から解放された京也が降り立つ。力尽き片足をつく京也に姫野がもたれかかるように寄り添ってきた。支えることもできず後ろ向きに京也は倒れ込む。胸の中でようやく姫野が目を覚ました。
「京也?」
「離さないでよかった」
ほっとして両手を広げ大の字になる。さっきまでいた空が、遥か彼方で不揃いな雲たちに覆い尽くされていた。そばにいた生徒たちがふたりに駆け寄ってきた。
『審判結果……滝本京也と姫野舞の恋愛指数は……98% よって学生憲章第87条に基づき恋愛禁止の解除を認める。以後、両名にはいかなる禁止事項も及ばない。なお、審判に不服がある者及び異議を申立てる者は速やかに申し入れること……詳細DFC回路参照』
電子音がふたりの恋愛解除を告げた。