011
「京也、無事か?」
「ああ、助かった。それより俺があそこにいるとよくわかったな」
圭介が瞬間移動した場所は、魔法学園手芸部の部室。
ミミの他、数名の部員がまだ残っていた。
「京ちゃん」
「ミミお前のおかげで……」
傷口から流れる血で痛みが再発する。
「ケガしているの?」
「たいしたことない。かすり傷さ」
抑えている右腕から血が流れ落ちた。
傍にいた手芸部2年の北原こずえが駆け寄り、フィーリング魔法を京也にかけると出血だけは何とか止まった。
「呪いがかけられている」
こずえは、慣れた手つきで傷口を確かめながらキャンセル魔法を試みた。
「ダメ。かなり強力、クラスAの呪いみたい」
「どういうことですか」
「クラスAの呪いということは、呪われた相手は死ぬ。つまりキャンセリングは不可能ということ」
「京也は死ぬのか」
「おそらくね」
「ええ!」
驚くミミと圭介をよそに危険を感じ取ったこずえは、冷静に手芸部員に帰宅を促す。
「呪いを解除する方法は?」
「術者を探すしかないけど、時間がどれだけ残っているか」
「どうすればいいんです先輩」
考え込むこずえをミミが急かせる。
「ブーフー」
呼吸音。
奴のあらわれる前兆。
徐々に音が近づいてくる。
「狙いは俺だ。ミミたちは逃げてくれ」
「待って」
京也は手芸部の部室を出ると廊下を突っ走った。
手芸部の部室は、文化部が集まる5階建の部室棟の2階。階段は全部で3カ所あった。中央の階段に辿り着くと、天井から重力を無視して逆さまにゆっくりと這い出してくる黒い仮面が見えた。
「発動」
能力で京也は5階へ、今度は東側の階段を目指して走る。
『わたしに考えがあるから、3分したら屋上に来て』
京也の脳にミミの言葉が伝わる。
呼吸音が聞こえるたびに階段を上下しながら、神出鬼没の仮面の男を振り切るため、何度も能力を発動させた。逃げまわりながら京也は、3分きっかりに屋上に駆け上がった。
「奴はすぐにここに現れる」
「こっちだ。京也」
屋上のフェンスに立つふたつの影に近づく。
「作戦は?」
「ミミに聞いてくれ。俺は知らされてない」
「大丈夫」
「ブーフー」
呼吸音。
背後には、入口付近に姿を見せた奴がいた。
「手を握って」
「こうか」
「京ちゃん。約束覚えている?」
「約束」
「忘れた?」
「何のことだ。奴はそこだぞ」
「トレース」
京也の右腕を触れたミミが魔法を唱えた。すると傷口が京也からミミに移る。
痛みを感じることで魔法が成功したことに気づいたミミは、触れた手を放し呼吸音の聞こえてくる方向にひとり歩み始めた。
「何をした。ミミ」
「さよなら。京ちゃん……」
伸びた剣先がミミを突き刺した。
「ブーフー」
「ミミーーーーーーー」
仮面の男はもはや京也の声に反応することなく、さらに片方の剣でミミを突き刺す。
血しぶきが飛ぶなか、ミミは悲鳴を上げることなくただ立ち続けていた。
「わあーーーー」
飛びかかる圭介。しかし、固定された剣を動かすことはできない。
「ミミを放せよ。クソ野郎」
圭介は仮面の男を殴りながら叫ぶ。
「移動」
圭介と仮面の男が屋上から消えると、ミミはその場に崩れ落ちた。
「なんでミミ、なんでこんなこと……」
抱きかかえる京也。
「ごめん……これしか呪いを解く方法……思いつかなかった」
腹部から大量の出血。裂かれた切り口から流れ出る血が真っ赤に制服を染めていく。
「くそ、止まらない。魔法も使えない。俺の能力なんて何の役にも立たないじゃないか」
悔しかった。手に入れた能力では、奴から逃れることで精いっぱい。倒すこともできなければ、ミミの傷を治すこともできない。こんな能力に何の意味がある。
「そんなことない。わたしには見える」
「ええ」
「無数に広がる階段を誰よりも早く駆け上がる京ちゃん……未来」
吐血するミミ。みるみる血色が悪くなる。
「しゃべるな。こずえ先輩を今呼んでくるから、それまで」
離れようとした京也の腕にミミがしがみつく。
「もういいよ」
「何をいっている。しっかりしろよ」
「……」
残された力を全部使い、瞼を開く。
最後のミミの願い。
灰色の瞳には何も映し出されなかった。
「やっぱり見えないや」
「ミミ?」
「一度でいいから……」
しがみついたはずのミミから感触が伝わってこなくなった。
嘘。
どうしてこんなことになった。
どうして涙が止まらない。
霞んだ世界にはミミの姿さえもう見えなかった。
「京也、奴はどこだ」
瞬間移動を終えた圭介が屋上に戻って来る。
仮面の男は現れなかった。それは同時に呪いの解除を意味していた。
「ミミはどうした」
「……」
「京也、答えろよ」
京也は口にしたくなかった。
ミミの死を受け入れることなんてできなかった。