プロローグ
学園までわずか二駅にもかかわらず滝本京也は憂鬱になった。タブレットを開き情報を読みこむには時間的にもスペース的にも難があり、音楽を聞くにはノイズがひどすぎる。学園行きの緑色の列車内は、紺のブレザー姿の生徒で埋め尽くされ、この時間のどの場所より一番の人口過密地帯と化し、人と人が重なり合っていた。
混雑がいやで乗車時刻をずらしたこともあったが、いかんせん単線で一時間に一本しか運行しない学園行列車。混雑を避けるため睡眠時間を削ってとった無駄な抵抗は長続きするはずもなく、京也は身動きの取れない車内で降参したかのように両手を挙げていた。
透明列車は、地域一番の過密列車とともに痴漢率ナンバーワンという不名誉な称号も同時に与えられていた。駅に着くまで一ミリも動けず、生徒同士の顔の毛穴が見え、息がかかり、鼓動が感じられる密着空間で、理性の欠如した獣たちが逮捕連行されていく姿を京也は入学式からわずか三か月の間に何度となく目にしてきた。目にする度に両手を挙げる高さが無意識に増していく。
「次は魔法学園前……、停車するまで転送魔法のご使用はお控え下さい」
無機質なアナウンスが終わり、車内に光が差し込むと壁が緑色から透明に変わる。目隠しがはずれ町の風景が広がるにつれ、三本のレンガ造りの柱が、固定されて動けない京也の視界にも確認できるほど近づいてきた。解放されると京也が安堵した瞬間、やっと透明列車はホームに到着した。
「魔法学園前……、トリプルは転送を開始して下さい。なお、その他の生徒は壁が消えるまでしばらくお待ち下さい」
生徒が転送を始めると、京也の周りにも隙間が徐々に生まれ体の自由が許された。やがて車内の壁が消え、残されていた生徒達も動き始める。誰よりも早くホームに降りた京也だったが、迷いなく示された指が目の前で止まると、恐怖で体の自由が奪われ立ちすくんだ。
「あの人です!」
「間違いないか?」
「はい」
小柄な体に不釣り合いなほど大きなリボンをつけた女生徒が、赤い腕章の風紀委員を伴い京也に近づいてくる。デジャブ……、いや京也は何度も見ていた。逮捕連行されていく生徒の姿を、言い訳もできずただ連れていかれるみじめな光景。
距離が二メートルまで縮まると、京也はリボンの女生徒の腕に白い三本の線をみつけた。「トリプル」魔法学園で最上位の能力者の証。左腕を掴んでいる京也の腕に線はない。能力が全ての学園で、能力をもたない者が何を叫んでも聞き入れられないことを京也は知っていた。
学園審判、もしくは脳内記憶スキャンを申請しても結果が出る一週間、登校は許されないだろう。三日後に控えた「ゲンプク」には間に合わない。能力を持たない者が、能力を獲得することができるリース(儀式)。京也のそばから、無関心を決め込んだ生徒達が引き潮のように消えると、能力獲得のチャンスもまさに消えようとしていた。
現状を打破する方法。回避すること=逃走。直感が京也の体を反転させると壁が消えた透明列車に飛び乗った。
正確に言うと飛び乗れなかった。気が付けば、風紀委員から放たれた鞭が京也の体を何十にも巻きつき縛りあげていた。制服を着ていないように素肌にめり込む鞭の感覚が、夢でない現実を京也に突きつける。
「姫野さん。言いたいことをどうぞ」
女性風紀委員が感情もなく告げたころ、京也はほどけるはずのない鞭に最後の抵抗を試みた。
「放電」
鞭から伝わる電流に奇妙なしびれを覚えつつ体が麻痺しはじめると、もはや立つこともかなわず京也は膝をついた。「痴漢などしていない無実だ」と声を荒げることもできず、わずか三か月で終わる学園生活に走馬灯の出番もなかった。思い出を浮かべるのをあきらめ、もうろうとした意識の中で京也に唯一許された行為は、姫野の声を聞くことだけだった。
「間違いありません。この人です、わたしのハートを盗んだ人は!!」
聞き終えると京也は気を失った。